【東日本大震災】2011.4/3_仙台市若林区・荒浜(その1)
被災地へ支援活動に行ったついでに、仙台市若林区の沿岸部;荒浜地区へ行ってきました。
直下型地震ではなかったので市街地の損傷は阪神淡路大震災に比べ、非常に少なかったのですが、今回の震災では桁違いの大津波が町を飲み込み、甚大なダメージを与えました。
その破壊の様は報道でしょっちゅう目にしているので、ある種のへんな「慣れ」はあったのですが、現実にその場へ足を踏み入れると、別の世界と化してしまった大地が、何とも、この世のものとは思えませんでした。
区役所から延々と自転車をこぎ続けて(しかも、壊れかけたようなママチャリ)、40〜50分。
さすがに脚がパンパンになるところでようやく南北を貫いて走る「仙台東部有料道路」に到着します。これは大きな土手の上に高速道路を通しているようなもので、防波堤の役目をして津波を防ぎました。
そのため、仙台東部有料道路までと、そこから先とで、天国と地獄が真っ二つに分かれています。
奥の木々のあたりが仙台東部有料道路。時折、飛ばされてきたらしい何かの破片などを目にするが、まだ平和な景色が続く。
道路を越えた。
自衛隊らがかなり片付けた後なので、車や自転車で行き来できる。
それでも撤去しきらない巨大な樹木などは田んぼにとりあえず突っ込んである。
10分ぐらい進むと、恐ろしいことに、まるで砂浜のような光景が広がっていた。
海岸にはまだ遠く、小さく映る松の木あたりのはずだが、運ばれてきた海の砂が田畑を埋めているのだ。
電気系統がぐしゃぐしゃ。
それでも根を張った木々のあたりはちゃんと残っているのだから、自然はえらい。
津波に耐えうる家というのは、コンクリート塀の代わりに樹木にきっちり囲まれた家のことかも知れない。
県道137号線を東;海辺に向かって進み、途中で南下する小道へ入った。
自衛隊や警察、土木関係者の車両と何度もすれ違った。ここまで道路を片付けたのは本当にすごい。
地面からは砂煙が上がる。
何をどうやったらこうなるのか。
死者捜索作業のためか足跡が泥に転々と残る。
多くのものが引き摺り回されて投げ出されているが、中には元の位置のまま耐えている家屋もある。
元がどんな土地だったのか想像できない。
塩水に様々なものが混ざり込んでいるのだろう。
そこいら中に散らばる品物がどれも具体的ではなく、混然としていた。
港でも見ているかのように錯覚するが、海とは逆方向。
本当は農地だったのだと思う。
日本とは思えない光景にクラッとする。違う国のようだ。
一体自分は、どこにいるのか?
車が通れる数少ない道ということで、かなり往来は多かった。
自分の家の跡を見に来た人、めぼしい物を取り出しに来た人、
惨状を眼に焼き付けに来た人・・・等々。
天と地と・・・静かな地獄か。
中には根性で残った建物もある。
「社会福祉法人 円
障害福祉サービス事業所 まどか荒浜」である。
ようやく位置を特定できるスポットに来た。
県道137号線・荒浜交差点あたり。
ここから東に行けば荒浜小学校は近かったのに、かなり気が動転していて、そちらとは逆方向の南西へと、県道10号線を下る方へ舵を切った。たぶん、面白半分に遊びに来ているとか、落ちているものを漁りに来た不審人物と思われたりするのが強烈に怖かったのだと思う。自分が圧倒的に部外者であることを自覚せざるを得ないエリアだった。が、自分はこれをこそ見にきた、体感しにきたのだから、しおらしく引き返すなどということは、出来なかった。
メディア越しに状況や世界を把握しようとする営為は疲れた。自分の心身で知りたかった。
ガソリンスタンド。
コスモ石油のセルフステーション荒浜。
付近にはサンクスとレストランがあるはずなのだが・・・。
かなり水は引いたとは言え、まだなお海の一部のような姿が広がる。
海岸の手前まで来ました。
海のすぐ近くギリギリで、こんなに明確なかたちで家屋が残っていることに驚きました。
並んで立つ松の木の向こうはもう砂浜です。
しっかりと根を張った樹木の陰に建っていた家屋なら、波にも飲まれなかったのか?
似たような光景がずっと続くので、自分が今どこにいるかを体が見失いそうになります。
長い。
自転車を押して歩くと、ひたすら長い。
家の土台だけ残して。
まだこんな残り方なら、個人の所有地が特定できるからマシなのだろうか。
またしても海側と逆、内陸側。
道路の脇から一帯が冠水したままになっていて、海のようだった。
不思議な世界が広がっていた。
人間の管理が及ぶにはまだ時間がかかりそうです。
海側。
家屋の傍に車を停めて、家財道具などを取り出している家族がちらほら。
上空を取材のヘリと、自衛隊のヘリが幾度もばらばらと鳴らして飛んでいる。
脇を自衛隊の武骨な車や、一般車が土煙を上げて通り抜けていく。
静かなようで騒がしい。
特別養護老人ホーム「潮音荘」。
海の近くの、のどかな場所に建つ定員70名の特養が、まさかこんな目に遭うとは。
中に人はいたのだろうか?
被災地の病院や老人ホームでは、入院患者や入所者を抱えて身動きが取れず、職員が張り付いてそのまま持久戦を耐え凌いでいるという報道やTwitterがしょっちゅう見られたが・・・。
がれきの遥か遠くにそびえたつ、政令指定都市・仙台の中枢。
つづく。