【東日本大震災】2011.4/4_仙台市若林区・荒浜(その2)
荒浜は、広い。まともに徒歩で南北を縦断するだけで1〜2時間すぐに経ってしまうだろう。
今まで折れた電柱を見たことは何度もあったが、こんな、生の腕を引きちぎったような折れ方は初めて見た。筋肉が剥き出しに。
どうやったら普通の農地や住宅地がこうなるんだ。海辺みたいになってしもうとる。
妙に美しかった。静かで、不純物のない、人間の立ち入れない世界が広がっていた。
営為を根こそぎ奪って現れた静かな地獄。
目で見えている表層だけではなく、地盤の強度や高さ、流出物による汚染など、
多岐にわたる変化が起きているのだと思う。
この日はとてもさわやかな陽が射していた。
とても美しい空だったのが印象的だった。
彼方に浮かびあがる仙台市中心街の高層ビル群。
ここが別世界となってしまったことを感じさせられた。
一度、海側から内陸へ戻る。
自衛隊や土木関係者の尽力がすごい。徹底して廃材を脇へ退けてある。
こうした復旧活動に日本という国のポリシーと国力を実感した。この国はすごい。
・・・津波の方も負けじと凄い。
どうやったら自動車をこんな形にできるのかと(><)
「震災の被害を伝える」「被災者の声なき声を代弁する」といったメディア意識は、私には無くて、
代わりに「この世のものでなくなった世界の貌を見たい」「自分の眼と体で、地獄と化したその中へ、知りに行きたい」という気持ちがあります。いいのか悪いのかは別として。社会には何の役にも立ちませんが。
なぜか廃墟にソファーやイスは似合う。
人為を排しているのにピンポイントで人を迎え入れるという矛盾が
見る者の心をぐっと突くのか。
錆びついたママチャリ(市役所の備品。金がないのでギア変速もなし)をギーコギーコして
移動するのも大変である。
広い。
仙台市が広い。
仙台東部有料道路まで戻ってきました。
この土手で津波と土砂を防いだのか・・・と納得。
大量のがれきが積もっていた。
そして自衛隊の頼もしさが半端ない。
このわけのわからん専用重機などが流石すぎる。
大掛かりなガレキ撤去作業であるにも関わらず、作業従事者の心遣いは、とても細やかだ。
被災者にゆかりのものと思わしき品があれば、道路脇へ集めて置いてある。
大体はこのような、木々と泥とゴミの塊である。
めぼしい遺留品は自衛隊の方で既に回収が済んでいるのかもしれない。
特別養護老人ホーム「杜の里」と、木の塊。
特養「杜の里」。
建物自体は大丈夫だった・・・のか?
人が色々来ていた。ボランティアとか関係者かな。
なんとか運営しているようでちょっと安心。
漫画やゲームのイメージで言うと、世界の破壊って美しくて逆に清いぐらいかと
思っていたけれど実際には
「・・・で、この後、どうするの・・・?」などうしようもなさが溢れている。
そのどうしようもなさに立ち向かうのが課題なわけだが・・・。
場所によってはほとんどがれきが見当たらないところも多い。
何が差を分けたのか分からないが・・・
こいちゃんの死。
無念、しかしおまえはなぜか美しい。
県道10号線を北東に歩く。
地名で言うと狐塚のあたりか。
何もない孤独な荒野の中に、興味深いものを発見した。
そこには木々で守られたあざやかな朱の社が見えた。
聖域のようだった。
思わずそこに上がらずにはいられなくなった。
置かれていた日本酒は、新しかった。
損傷は非常に少なく、密集する樹木によって守られていた。
何に由来する社なのか一切不明だが、合掌。
原発問題ばかりが取り沙汰されるが、根本的に、沿岸部の宅地造成、今後の住まいのあり方についても、そのうち問い直されるべきだろう。
根を深く張った樹木が並んでいれば、致命的なダメージは防ぐことが出来る。段階的に樹木のエリアを設ければ、防波堤でも守れなかったものをもっと守れたかもしれない。堤防で対策を講じたことにするのかもしれない。
大胆すぎる。
美しいが不自然な色だった。
絶対に何か化学的にまずいものが入っている。
・・・あまりの光景に、「いや、部外者が写真なんて撮ってるわけには、いかんのちゃうん」と、どうしていいか分からなくなりました。が、太陽が傾くにつれてどんどん光の力が強まり、脳があてられて、いつの間にか、その光景に引き込まれていました。
全く良いことではないのですが。
しかし、太陽の強い光によって、メディアや「情報」めいたものから与えられ、私の抱いてきた「被災地」の姿を、大きく裏切ったかたちとなりました。
太陽に合掌。
( ー_ー)