【鉄道】2012.1/20_ブルートレイン「日本海」(後編)
ブルートレイン「日本海」 後半です。
夜になり、暗闇に包まれるごとに美しいなあと感嘆符。
( ゚〜゚ )フー!
小学生時代は大の鉄道ファンだった。
自由のきく中学生になって、JR大阪駅に撮りに行ったりした。
当時はまだ「つるぎ」「銀河」「きたぐに」「だいせん」等が健在で、賑やかな早朝のホームが楽しかった。
ちらりと見えた、日本海の心臓部。
ゴゴゴ・・・。
方向幕が入るような無地のスペースは、トイレの採光窓だった。
そういう発見もまた新しく。
1輌だけのA寝台車は別格扱い。
窓の色が違うだけで何かとても異なる空間のような。
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○A寝台
<下段>190cm(長)×93cm(幅)×113cm(天井高)。
<上段>185cm(長)×88cm(幅)×92cm(天井高)。
○B寝台
<下段>195cm(長)×70?(幅)×111cm(天井高)。
<上段>195cm(長)×70?(幅)×95?(天井高)。
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スペックがほぼ同じ?
開放型A寝台は、「日本海」やかつての「銀河」など、旧世代のブルトレのもの。
高級志向の強い新しい世代の夜行列車は、個室型が主流だ。
そして21時すぎから、ぷっつりと写真は途絶えていた。
(´〜`) 寝てたんかな私・・・。何も覚えてない。
真夜中の暗闇に富山駅や新潟駅が吹っ飛んでいったらしい。
そう言えばところどころ、記憶の片隅に残っているような気もしなくもない。
ああ。
うう。
5:48 秋田駅。
冬なので真っ暗。
なんだかんだで、もう秋田まで来てしまった。
雪が迎える、新しいフィールドへ突入。
向かう先の青森のことを想像しながら、そわそわ。
朝のような、朝でないような。
ここで昔の映画「NANA」の中島美嘉サントラを聴いたりし、
色々と思い出したり、新しい思いにとらわれたり、飛んだり跳ねたり。
酒を舐め続けて、いい雰囲気に浸っていた。
なみなみと味わうべきだ。
真冬の豪雪地帯を思いっ切り走り抜けてきたわりに、雪が実に少ない。
私は先頭のEF81顔面が、雪の塊で白く凍結した暴力的な姿を見たかった。
青一色の光線となって闇を駆ける姿、外から見たかった。。
2011(H23)年の平均乗客数は約130人/日。
1987(昭和62)年は約530人/日だったという。
衰退のスピード( ・_ ;)
天井の照明をクローズアップ。
これも丸みが独特。昭和は丸みに定評がある。
寝台とはいえ、もう朝ですよ。
朝のおはよう放送。みんな、起きだしてきた。
外は、太陽がまだ低いけれど、雪が濃厚な青に染まっている。
6:47、東能代を出て。
その名にふさわしく、日本海の海岸も見えたのかも知れない。
が、しかし、あまりに夜の闇が深くて、
何も分からないまま。
7:09、鷹ノ巣駅。
ああ、青森駅が、真っ白に豪雪で包まれていたら良いのよ。
雪まみれならいいのよ。
青森着は8:34の予定。
4時だの5時だのに起きてごそごそしていたから、二度寝。
二度寝じゃ。
( ー_ー) (意識飛びました。)
青森駅に到着。
天候が安定していたせいで、ブルートレインの顔は綺麗なまま。
もっと真っ白に、吹雪で凍てついていてほしかった。
車庫入れ牽引のため、ディーゼル機関車にバトンタッチ。
ガチャン。
たぶんこれでブルートレインとは本当のお別れなので
ちゃんと撮ります。
はい。
青森駅ホーム。
地上にべったり展開していて、ゆったりとしている。
揺られながら、真夜中に飲む酒は、格別であった。
大きな窓から差し込む、早朝の、白く青い光も、素敵だった。
中島美嘉「雪の華」などを聴いて、感じ入った。
( ー_ー)ルルル
旅は始まったばかりなのに、もういきなりクライマックスを終えてしまったような
ことになった。なったが。
( >_<)アー。
メインデッシュを最初に食うから・・・。
ぴぃ。
そういうブルートレイン一期一会の一夜であった。
もう乗ることはない。ないですね。なくなるし。
けれど間に合ってよかった。
幼少期に乗ってみたかったな。あの頃なら、もっとちがう出会い方になった。なったと思う。たぶん。
ぴぃ。