白髪もどんどん増えてるけど、今は平和に暮らしている私です。
しかし、私は転職組です。1年半勤めて、脱北者のごとく、逃げて今の仕事にありつきました。原因は自分の本性を見誤ったことと、会社側も私の本性を見誤ったことにあります。不幸なお見合い婚でしたね/(^o^)\
ともかく、入社2年目となる2005年度は、最悪の年でした。
仕事内容(大手消費財メーカー営業職)も、職場風土・人間関係も、何もかもが合わず、気が狂ったように狂ったような目で「いやだ、いやだ」「ああ、いやだ」「いや」「/(^o^)\いや☆」とだけ繰り返していました。
危機を察したレミングの群れのようにして同期が次々に退職していくのを目の当たりにしたことや、「営業で成果出されへんかったら存在意義ないからな」と断言されたこと、全国有数のトップセールスだった先輩の手取りが入社1年目の私と大差なかったことなどが大きな要因でもありました。
今思えば健全な苦悩だったわけですが( ゚ p゚ )
ちょうど今、身近に、現職がイヤすぎて日々嘔吐いている方がおられます。今でこそ偉そうに私ときたら「対策せえへんかったら転職できまへんで」「みんなめっちゃやっとりまっせ」「うへへへ地獄に落ちろ」と、のたもうていますが、
いや、そもそも実際、私自身、どうだったのか?
ということで資料を発掘しましたので(よく残ってたな、)参考までに開示いたします。
自分に記憶はないのですが、どうも業務時間中にあまりにイヤすぎて、無意識で打ってプリントアウトしていたらしいです。はよ辞めろ。
( ゚q ゚ ) ひどいなこれ、
2005.4.12
新年度スタート直後からこの有様です。
社会人ならびにセールスマン2年目ということで、いよいよ見習い期間も終わり、これからは一人前のセールスとして売りを上げろよとシビアなハッパをかけられている頃です。
意欲が出なさすぎる上に、もう耐性が付きまくってカフェインも効果がないようです。営業所で提案資料を作ったり、セール目標値を立てたりしている時は死神の鎌が容赦なく振り下ろされ、あっち側に逝ってます。やる気がないので死人と変わらないためです。
こんな状態でどんな商談してたのか逆に興味がそそられます。
パキシルのくだりは、あまりに生きる意欲が出なくてヤバい旨をクリニックに相談したら簡単に処方してくれたものの、飲んだら眠いだけで逆効果だったという馬鹿げた顛末に対する怒りと失望が籠っているようです。それ健康な証拠やん。はい。
「信託銀行に勤めて3年になるが」はまるで謎です。私はメーカーの営業職2年目に突入したばかりです。誰の代弁でしょうか。オーバーソウル能力に目覚めていたことが伺えます。
2005.4.15
3日が経ちました。
状況は好転していません。むしろ「HP」「たんぼ」の設定について思案するなど、脱線も甚だしいです。私はゲーム会社で勤務していません。
闇金はシャチハタ印でも金貸してくれるというのは不良先輩の豆知識だったかもしれません。不良先輩はその後、カラ出張がバレてクビになりました。実にまっとうな不良でした。
2005.4.18
更に3日が経ちました。言語解体が進行しています。
断っておきますがこれはナチュラルな状態です。
具体的なことを手元で書きつけることにすらもはや意欲がないようです。どうやって営業車の運転してたんだ。
ドラッグストアの店長、バイヤーへの商談のことと、タナゴの産卵のことが同時に頭にあるようで、冒頭から錯綜しています。また、タナゴは基本的に清流を好みますし、営業所の整理整頓でも命じられたのか、「きれいにしなければ」という使命感がリピートされます。断末魔のようでこわいです。
2005.4.22
言語解体が順調です。眠気に対する憤り、そして無力感が綴られています。
これだけは対策の仕様もなく、夜9時から寝ようが午前2時まで起きていようがまるで改善されませんでした。実際、根深い眠気との戦いは現在も続いていますが、色々とサプリを使ってしのいでいます。
「柏餅」や「ダム仮説」といった斬新な発想もありますが、これらを当時活かして営業所長に褒められた記憶はないので、まあこの時だけの泡沫企画だったのでしょう。
ここから間が空きます。
これらの自動速記をしている余裕がなかったか、する意味を見いだせなかったか、mixiや携帯メールでの発散に移行したか。
季節は夏になりました。
2005.7.26 & 8.22
「誰のためにめしをくう」
すばらしい自問自答です。これまでで最も本質的な問いかけです。
誰かのためでなければ、力なんて出ないんだということに気づき始めたらしいです。
「営業は所詮、営業所の成績を上げるためにやってる」「表向きは、取組店舗や、祖消費者のみなさんのためでもある、」「けれど自分が売っても売らなくてもその製品・サービスは他セールスまたは競合他社がこの世に供給する」「それはおれの仕事ではない」「それに売れても取組が進んでも営業全然おもんない」
致命的な時期でした。
売れてないからやる気が出ないのではなく、売れても、バイヤーと関係を構築できても、自分にとっては全然嬉しくも面白くもなく、顔面蒼白になっていました。
「もう夏やのにこんなことしてる」
おそろしいですね。焦りが明確になっています。
事実、この後、夏休みで同期社員とともに1週間の海外旅行に行き、ラオス・バンコクで酩酊しまくった際に転職の意志を固めました。そこからの動きは比較的素早く、10月に退職しました。
「ターチン油田」('o' ) なにそれ
油田王に小金を恵んでもらうようなゲスな発想はなかったはずですが・・・おかしい・・・・
まあこんな感じ
ろくでもねえなまったく
すべてが嫌だったあの頃のことを振り返って、今に感謝するとともに、新たに戦場へ一歩を踏み出そうとする者の勝利と繁栄を祈って。
(人´∀`)合掌