【遺構】2015.10/17_神子畑選鉱場跡&ムーセ旧居@兵庫県朝来市
巨大なことは いいことだ。 ( ゚q ゚ )。
「神子畑選鉱場跡」(みこばたせんこうじょうあと)。
「第9地区」をイメージしたのは私だけではあるまい。
ゆる勢「産業なめんな」「遺構なめんな」 はい。
廃墟フォトは美しい。美しくて当然であることよ。
しかし諸君。それとこれは別でもある。
刺身の色つやがどうの、鮮度がどうの、おしょうゆとの相性がどうのと歓声を上げても、それは魚を知ったことにはなりまへん。ではどないせえと。
魚を知りたくば生きた魚を。
廃墟を知りたくば現役時代を見よ。
あらよっ \( ゚q ゚ ) ド ン
\( ゚q ゚ )ノ 明神電車動いてる ハァハァ。
/( ゚q ゚ )\ グランビー鉱車かわいい ハァハァ。
特異な鉄道が動いてると、生きる力が湧くね。
現役時代のイメージを理解したところで、公式の解説を読もう。
よくわかった。ここで神子畑の特徴をまとめよう。
・明治11年(1878年)~大正6年(1917年)は神子畑で銀が採れた
(以降は細って閉山)
・大正8年に選鉱場を設立、6㎞離れた明延鉱山からの鉱石を扱う
・明延鉱山とはトロッコ列車(1円電車)で接続
・選鉱場の規模は幅110m、斜距離165m、高低差75m
・昭和40年頃は250世帯、1100人が居住 →閉山の昭和62年には373人に縮小
・裏手の山、丘には廃石、廃泥を蓄積して固めた「鳥ノ奥ダム」「間歩谷ダム」がある
では実物いこうか。
現在の神子畑選鉱場跡。
上記看板の写真と異なり、2004年の施設撤去により、階段状の土台が残されているのみとなった。
これはせつないが、今を肯定するしかないので頑張ろう。
なぜ撤去した! ( ゚= ゚ )
立派な階段状。
階段状の巨大地形を「○○のマチュピチュ」とよく称するが、これもたいがいそっち系のビジュアルを誇る。それなりに巨大なため、ざっくり見るとあっさりしてしまう。
どうがんばればよいのか。
多段をもりもり活かしたい。よって望遠レンズで空間を圧縮する。ガオン。あと桜の時期は近くのムーセ旧居と桜をライトアップするらしいから、その漏れ光を駆使して長時間露光するとか。
逆に言えば、距離があって望遠がないと構造を把握するのは難しい。
いかしましょう。
インクラインの軌道は急勾配。
大人げない急坂ほど熱いものはないんだよ。胸がキュッとくる。
荒っぽく概算してみると斜度は約27度。 歩かせてくれ。
この小屋は操作室。300㎜望遠でもこんなに遠い。
冬のよく冷えた朝とかレール凍ったりしないものか。
インクラインの解説をごらんください。確かに徒歩でどうにかできる斜面じゃない。
なお、山側の
廃石、廃泥を蓄積して固めた「鳥ノ奥ダム」「間歩谷ダム」
については、車で走っていると選鉱場に車での道で「あれ何!?」と気付く。
明らかに人工的で不自然な、平らな地形が現れる。
選鉱後の不要なスライム等を廃棄して作ったダムである。
あまりに周囲環境と異質すぎて驚く。立ち入り禁止らしいよ。ブー
選鉱場跡の真正面は広場に整備され、「1円電車」が静態保存されている。
広い敷地に佇む可愛い子たち。
可愛い顔してガテン系。
1円ガテン。
「1円電車」とは何か?
『昭和27年、1日の乗降数を数えやすくするために乗車料が1円となり、「一円電車」の愛称で親しまれました。』マジかよ。潔すぎるだろ。
このブログいらんやん。解説がいちいち充実。
「明神鉄道」:明延鉱山から神子畑選鉱場の6.1kmを結ぶ鉱石輸送線。
実際に車で山道を走って明延鉱山へ向かってみると相当厄介で、きついカーブ、強めのアップダウン、片道40~50分と、普通の旅行者では太刀打ちできない。山をぶちぬく鉄道はさぞ便利だったろう。
1円電車の中に入れるのだ。
とても小さい。当時の日本人の体格を疑う。
選鉱場のふもとを歩くと円形施設が姿を現す。
冒頭の写真のあれです。
この正体は「シックナー」。選鉱場の選鉱作業の締め括りを担う。
「浮遊選鉱」という手法である。鉱物の表面が液体に濡れやすいか否かの差を活かしたもの。
<浮遊選鉱のプロセス>
①鉱山から産出された岩石を粉砕、スライム状にする
②気泡剤を転化して攪拌→鉱石が泡表面に濃集(この泡をフロスと呼ぶ)
③フロスをシックナー(円形の水槽)で攪拌、鉱石と薬品と水分を分離し、精鉱を得る。価値のない脈石(不要部分)は泥状(スライム)とし、下部に集めて固めて棄てる。
シックナーは③で活躍。
このブログぜんぜんいらん ( ゚q ゚ )
公式解説を熟読ください。
ちゃすりん「なぜとばしたし」
(※推定年齢1600歳)
全景はこう。
最初に見せろよという先祖の声も聞こえてくる。
円形はみな神秘で美しい。シックナーをもっと愛していこう。
腹が見事。宮殿の趣がある。これはすごい。
シックナーは周囲を低い柵で囲われており、中に入ってはいけない。
配管等も大雑把に残されている。 廃墟と遺構のハーフだ。
いっそ全て残してくれたらよかったのに… 色々あるが色々ない。
仲間が隠れていた。\(^O^)/ シックナー二基。
存在感は満点。廃墟慣れしていない人は早めに来るといい。
あまり先鋭的な攻めを重ねてしまうと、静態保存の物件への関心が薄れる恐れが。
謎のハシゴ
深く刻まれたシミ。
変電設備?トランス?
双子ちゃん。
浮遊選鉱のことは分かったが、これは多脚砲台のプロトタイプだ。
(※アップルシードを読みましょう)
球体宮殿であった。
怪物の腹である。
やっぱ廃墟すごいね妄想で自由にカスタマイズできる。
冒頭で現役時代がどうのと申していましたがそういうことではないと思います。
\( ゚q ゚ ) 妄想に勝るものなし。
締め括りは「ムーセ旧居」でさっぱりしよう。
「ムーセが本当にいたという物証がない」という趣旨の解説があった。
/(^o^)\ オー。尖ってんな。
この邸宅の解説は朝来市の公式HPからまとめよう。
<★Link>
・明治4年(1871年)12月頃~翌年以降、生野鉱山に建設された(とされる)五棟の外国人宿舎のひとつ。
・うち一番館(二階建て)と二番館(平屋建て)は、生野鉱山から少し離れた白口にあったもの。後に神子畑に移築されたのが二番館:現在のムーセ旧居。
・鉱山開発に携わったフランス人技師たちのうち、ムーセやコワニエたち幹部妻帯者の居住宿舎として使用。
・神子畑鉱山の開発にともない、明治20年にこの地に移設され、事務舎、診療所として利用され、これまで、ムーセ旧居の名称で親しまれてきた。平成4年に県指定重要有形文化財(建築物)の登録を受けた。
・その後、建物の老朽化、及び、国道429号バイパス計画により、県補助を受け当初位置より北西側に移築復元。
選鉱場&シックナーの美に あまりに偏ったため、ムーセ旧居はほとんど撮っていない。外観はコロニアルスタイルという白くて美しい建築様式を誇る。
ムーセ旧居について写真をまとめたサイトを発見したので紹介しよう。ボリューム盛りだくさんで愛を感じる。
<★Link> 近代建築watch さま
中は資料館、写真館になっている。
神子畑の歴史と構造おさらい。概要はもう覚えました?
この模型は気が遠くなる。
戦艦模型の作りかけパーツかと思えば選鉱場の再現。
地元出身写真家の写真集や、現役時代の映像などがある。
ムーセ旧居の何がいけてるか。おみやげが謎に凝っているのだよ。
菓子。定番の菓子。
しかしミコバタブランド しかし特徴がわからない。
洋風せんべい・・・
ムーセ風なのかな・・・
驚きのシャツを発見した。
シックナーがデザイン化 ( ゚q ゚ )
ちょっとこれは相当なプロの犯行。
かわいい、そしてスタイリッシュすぎる。
朝来市役所の仕事とは思えない。
うわーなんやねん このこなれたおしゃれ感。
寝てるのくぁわいぃー
クリアファイルもなんか凝ってる。
シックナーを擬人化し朝来、神子畑のアイデンティティーの軸に据えたプラン。くそっ。おしゃれ。
他にこのお土産を売ってる場所を特に見つけられなかった。
ムーセでしか買えない可能性もあるので、シックナーちゃんにピンと来たら買っておくこと。
そしてここから、幾多の鉱物を生み出してきた「明延鉱山」へと潜入することにした ――が、道が長いわ、現地でどうしたらいいか分からんわ、さんざんでした。
つづく。