H28.11月某日 【遺構】滋賀県・八日市飛行場掩体壕
滋賀県に戦時中の遺構が残されていると聞いて、ちょっと車を走らせてもらった。
その名は「八日市飛行場掩体壕」 (ようかいちひこうじょう えんたいごう)
場所で言うと。 中途半端に遠くてですね。 ドゥルルル
琵琶湖の南側、甲賀の北側になる。
東近江市に行く機会はなかなか皆さん無いですよね。 さてどうなるか。
地理がよくわからん。
もうちょっと地図を見ようか。 ドヘー
「八日市」は、「八日市市」(ようかいちし) が2005年に周辺の自治体と合併して消滅、「東近江市」へと名称変更してしまったもの。
そいでえらい細かいとこ行くのよ。 ドゥルルル
ふええ。
シキボウさんの工場があるあたりに行けばよい。
昔は大規模な軍飛行場があり、それ関連の門柱だの石碑だのが点在していたりして、真の歴史好きの方々にとっては熱いスポットとなっている。
私は戦争系の遺構マニアではないので、情熱と情報量はとてつもなく薄い。ただ、何かの目的に特化し、異形の進化を遂げた建築物、マシンなどをたいへん愛しており、行かずにはおれなかった。ということで、当ブログの情報量がペラペラであることをご容赦願いたい。願います。
そしてしかも
\(^o^)/ まっくら。
色々あってですね。浜辺でキャッキャしていたらすっかり暗くなった。自業自得である。軍人の霊にどやされそうな状況。
えらい細い道になるし、まっくらだし、極めて恐る恐る探索を開始する。
やだなあ。どこにあるのか全然わから
あった。
有刺鉄線の向こうに、あからさまに何か空間がある。空洞式古墳のようだ。そんなものはありません。はい。
そばにはご丁寧に解説の看板がある。
いっぱい書いてあるので、転記する。
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<看板全文>
この掩体壕は、大戦中の昭和19年(1944年)米軍による日本本土空襲が激しくなることが必至と見られるにいたり、軍部では飛行機を空襲から守るために、各航空基地の周辺に急いで作られたものです。
この掩体壕は小型機用のもので、八日市市には現在この他もう1個所残っており、八日市飛行場の語り部として貴重な存在です。
注釈
掩体壕は至近弾の破片は防ぎましたが、爆弾の直撃には耐えられませんでした。一方、上空から隠蔽(隠す)する目的もあったので壕の上部は土で覆い、草木が植えられてありました。
応急の道路が作られましたが、地盤が軟弱な箇所ではタイヤがめり込んで大変でした。それで軟弱な所へは栗石を大量に投入したり丸太を敷き詰めて急場を凌ぎました。
また警戒警報が発令されると、総出で飛行機を掩体壕まで押していき、警報が解除されると再び飛行機を飛行場へ戻す作業が毎日繰り返されたのでした。
現在、大阪の八尾飛行場の付近にもこれとほぼ同規格の掩体壕が残されています。
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私は、掩体壕というのは飛行機の格納庫なのだと思い込んでいたが、大きな誤りだった。まさに防空壕のように「爆撃機が接近してきたら飛行機を隠す」ために使われていたのだった。
しかも爆撃には耐えられないという。勝ち目がなさすぎませんか。
三脚もなく、あまりに真っ暗で、肉眼でもAFでもピントを合焦できないという非常に辛い事態に見舞われたが、勘で何回かあれこれしていたら何とかなった気がしなくもない。カメラの性能がやたらいいので伝わらないが、実際には真っ暗です。
ちょっとかっこいい。
よくよく光を当てて調べてみると、巨大なスズメバチの巣がぶら下がっていたりして、なかなか怖いです。他の訪問者のブログでも、天井などの老朽化がひどい旨が指摘されており、万が一なにか起きても自己責任です。
しかしこのような特異な建築物がまだまだ隠されていると知ると、ちょっと出会いに行きたくなる。他サイトの情報では12基の存在が指摘されている。
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<情報引用>
「2000年~2001年に行なわれた調査では、コンクリート製の掩体壕が2基、土製の掩体壕が10基、合計12基の現存が確認されているとのことです。」
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たくさんあるようだ。ちょっと何とかしたい気もするよね。
掩体壕はこれで終わり。
次回は明るいうちに撮影したいなと。
明るいうちに。
( ´ - ` ) ・・・。
なぜ明るいうちに到着しなかったか。
そうだね時空がいがんでたんだと思います。
いや夕陽が来てて、琵琶湖の、その、マイアミ浜に。
ここな。
なんで日本なのにマイアミなのか。
これが予想外に答えがあった。 はいこれ。
昭和25年(1950年)頃、戦後の復興に必死になって働いている人々に、安らぎと保養の場を提供できれば…
世界的リゾート地であるアメリカフロリダ州マイアミビーチのように…
というのが命名の由来だそうです。
<引用元link>
また戦中戦後の話が絡んでいました。琵琶湖東岸は戦争色が少々濃いようです。
バブル期にリゾート開発で浮かれて変なテンションでネーミングしたというわけではなかったようで何よりです。
大津からもだいぶ遠い。
大阪人からすると立派な小旅行です。
この日は、空と太陽は実に美しかったが、風が強く、気温は低く、
\(^o^)/ 荒れとるがな。
琵琶湖があばれています。
思春期の衝動の突き上げる様に苦しむ息子・娘を見ているかのような複雑な気持ちになり、世界をいとおしく思うようになります。しかし寒い。あまりに寒くて、身の危険のほうが優先的に意識に上るようになり、ぐねぐねと変な動きをするゆえ、靴の中に砂が入ります。やだあ。
仲間たち。有能なモデルを気取ってポージングしているのではない。寒すぎて絶えず駆けたり飛んだり構えたり、TMレボリューション並みの躍動感に満ちていないと体温が持って行かれてしまうのである。写真というメディアの欠点は風や寒さが記録されない点である。びゅうう。
はっきりとした波を繰り出して、語気強く自己主張する琵琶湖というのはなにげに初めてだったので、少々驚くとともに美しいなあと思った。
水はきたない。何の色だこれ。
これもワイルドに駆け抜けてくださいとか指示出して撮り合いをしているわけではない。私達は夕陽を浴びながらまったりしていたかっただけです。世界に愛されないなあ。びゅうう。
これ何の色だ。湖がこんなんでいいのか。
上等のこんぶでダシをめちゃめちゃに取った汁のよう。
ごらん向こうに比良山系が見えますね。去年まではあのへんを登ったりして、琵琶湖を遠くから見下ろして喜んでいました。「海抜の低いところの人たちは気楽でいいなあ」等という選民思想に毒された時期もありました。訂正しよう。海抜低くても十分にきつい。ざーん。ざーーん。
4人で積もる話をするでもなく、それぞれの腹の底の性根をぶつけ合うなどとといった決定的な瞬間はあるはずなく、ただただ寒いということで暴れていました。あまりに落ち着きがなかったので、撮った写真はぜんぶブレてるのではないか疑惑
そんな夕暮れでマゾい感じに暴れていたら、掩体壕に着くのが遅くなった
というわけである。happy.
なお余談だが、途中で例の有名な「ピエリ守山」にさしかかり、経路調整で駐車場を通り抜けたがえらく繁盛していて吃驚した。
あの「生きている廃墟」「ゾンビ物件」と名高かったピエリ守山が、普通にテナント入っていて、普通に駐車場いっぱいだと。なんてこった。何が起きた。
解せない点も多いのだが、まずは復活おめでとうと言っておこう。
「めっちゃさわれる動物園」 有能なコンサルでも雇ったか。
滋賀はミステリアスの宝庫である。