nekoSLASH_記録編(日常・登山)

『nekoSLASH』分家。日常、登山、廃墟、珍スポットの記録集。

【diary】1/12(木)~1/21(土)寒すぎる列島、「PLAY展」「住宅特集研究」、空間へのアプローチ

【diary】1/12(木)~1/21(土)寒すぎる列島、「PLAY展」「住宅特集研究」、空間へのアプローチ

 Dan-touだと思って高をくくっていたら、本格的に冷えてきた。列島をだれかやさしく擦ってあげてください。

 

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寒すぎる列島。 ( ゚q ゚ ) Samui. 

○1/12(木)廃墟に行かなくてよくなった理由

  少し前まで私は廃墟が好きだった。仲魔の小唄氏と意気揚々と全国のめぼしい物件を巡っていた時期があった。しかし廃墟との蜜月はしゅんっと終わった。なぜか。廃墟は日常に潜んでいることに気付いたためだ。

例。自分のいる職場は築年数が相当経っていて、職員の仮眠室などは、メンテナンスがなおざりになっていたせいもあり、まさに「廃墟」と呼ぶにふさわしい荒み方になっている。その室内の表情たるや、おぞましく、到底夜勤の若手職員がひとりで快適に仮眠をとることはできない。これはまさに「廃墟」で、壁や床の荒み方は見れば見るほど、これまで探訪してきた物件と何ら遜色はない。すると逆に、廃墟を物見遊山で探訪する動機は薄れてしまう。現場の職員からすれば「感心してないで何とかせいや」という一点でしかないのだから。

 

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日常を見つめるにつれ、そこには非日常/「異」常性ばかりがある。うわあ。とうとう毎日の生活そのものが「旅」のようになってしまった。うわあ。逆に、パッケージ化された旅はすべて日常的なルーチンに感じられてしまう。うわあ。マウスのホイールの調子も悪く、下へスクロールを送ると上下にブルブルと動く。うわあ。がんばれよ。

 

夜、パスタやおしゃれご飯を出す店に行く。バイトの荒仕事のようなひどいパスタが出てくる。泣く。これはパスタではありません。食材だ。書店を確認する。やはりアラーキー森山大道が多いが、赤々舎のものが比較的多く、よい店だと思った。100点あげます。

 

 

○1/13(金)コンパクトフラッシュ・クラッシュ

 寝ながら取組総評の文案を作成する。私は群体に憧れる。理性の一部が眠気にやられて休止しても、その他の無事に覚醒している知的個体がカバーして業務を継続するという生体システムである。将来的にはカツオノエボシに倣った脳リメイク・デザイン業が。むりかな。

EOS 5D Mark Ⅲに入れていた64GBのコンパクトフラッシュが唐突にクラッシュする。なぜだ。おうい。だめ。数秒凍結するぐらいエアダスターを振りかけるが、だめ。かと思ったら、ふっとアクセス可能になることもある。いみがわからない。

スマホの狂い方も順調で、入力していると、タッチしていない文字が連続選択され、しかも選択個所が勝手にブレて動く。液晶に悪霊でも取り憑いたか、それとも私の指先の磁界が乱れているのか、

 

 夜、宴。人員体制や業務分担の話になると管理職にスイッチが入り、二、三人ぐらい鈍器で撲殺しかねない凄い眼で持論を展開したりしている。仕事の出来る人は必ず何か業のようなものを抱えている。名の通った人は必ずそうだ。きれいな空論ではなく、少々怖いものがある。

 

夜はとても寒い。列島が寒すぎる。

 

○1/14(土)PLAY展&「住宅特集研究 80年代特集」

 寒いんだが。

仲魔のみっこさんとNMAO(国立国際美術館)に「PLAY展」を観に行き、研究員さんのギャラリートークで理解をふかめる。これが面白かった。NMAOに徒歩で通える圏内に住みたいなあ。

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ドカーン。まさかの美術館内に構造体を組み立て。

思い切っている。ここまで物理で攻めたことがあっただろうか。アレクサンダー・カルダーのオブジェが風で動いた際にやぐらに当たってしまうので、その部分だけは切り抜かれている。面白いコラボ空間。

このほか全ての平面展示も仮設の工事現場のようなベニヤ等を使って、PLAYの活動におけるスピード感、むき出しの「行為」性を表現していた。

 

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例の「京都の山頂で10年間落雷を待つ」プロジェクト「雷 -THUNDER-」のやぐらを再現したものです。

無駄にかっこいい。来るか来ないか分からない超存在を待ち続けるという、祈りにも似た行為は何故か惹かれる。それに毎年秋には解体し、翌年また6月頃から山に木材を運び込んで一から組み立てるのである。

 

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活動の中核を担った4人衆が来ておられたりして最後の最後に紹介。

「PLAY」集団の特異な点は、参加者が作家となること。各プロジェクトについては参加の応募があり、申込みをすれば誰でも「PLAY」の一員として活動ができる。なんて有機的なプロジェクトチームだろうか。発想が新しい。

 

 

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500円でおつりがくる入場料で、3時間ぐらいかけてようやく読み終わるボリュームの展示。途中で少々疲弊して仮眠しました。

彼らの作品は、その現場におけるその瞬間の「行為」(パフォーマンス+インスタレーションのようなもの)なので、作品として展示されるのは告知のチラシ、記録・報告書や、当時のマスコミ記事だけである。テキスト量がすごいので追うのがもう大変。

 

 

そして夜は谷町六丁目「上町荘」へ移動しての「住宅特集研究 80年代特集」。

住宅におけるポストモダン建築のあり方を改めて振り返り、検証するという非常に刺激的な会でした。  

mareosiev.hatenablog.com

 「ポストモダン」とは何だったのかを研究、評価すべき時代に来ているわけですね。単なるモダニズムへのカウンター、バブル期の熱病という括りでは捉えられない。しかし当時の建築家たちの思考の熱量は、すごい。

 

スピリチュアル、オーラ、そして発狂について語る。人智を超えたパワーを解放すると、人はヒトでなくなります。ヒトの外形だけ残して内部を失うことは、想像できない凄まじさがあります。

 

f:id:MAREOSIEV:20170125235311j:plain寒すぎる。 

 

 

○1/15(月) 【写真表現大学】空間へのアプローチ

 とうとうきた。空間の話である。朝は雪が積もっていた。正直そんなことどうでもいい。茨木市駅前では市議会議員の選挙運動が盛んで、支援者らが気焔を上げていた。それどころではないんだ。雪が溶けてゆく。どうでもいいんだ。

空間。美術品。展示。博覧会から291ギャラリーへ。

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それは市民革命に遡る。にゃーん。私達は今なぜ美術品を展示するのか。特権階級の支配から「美」を奪還したという人類史があるためでした。ねこは人類史を超越しておられるが、我々は人類なので、歴史を学ばないと先へ進めないという事情があります。

では、どう展示するか。

空間とは。作品とは。ある質量と大きさのあるそのモノが、「作品」になる境界はどこからか。きたよこの命題。いよいよか。だめなんだ。私は展示に関していうなら、小中学生と大差がない。飯の美味い不味いが分かるからと言ってうまいカレーを作れるか否かは別次元の問題であるのと同じで、ぎゃはは。もうだめだ。

ギャラリーの考察の助けになるのは、飯沢耕太郎「眼から眼へ 写真展を歩く 2001-2003」みすず書房)である。加えて、粟生田弓「写真をアートにした男:石原悦郎とツァイト・フォト・サロン」小学館)はmustである。

  

 選挙カーが爆音で候補者の名前だけを連呼して、どこかへ向かってのろのろと走り去ってゆく。本当に爆音である。「お食事時にお邪魔致します。」確信犯かよ。そして走り去ったかに見えるがただただ人の多そうなエリアを巡回しているだけで、また名前の連呼に掴まる。複数台が同時に名前を発すると、一種の戦争インスタレーションのような殺伐とした空間になる。 

 

○1/16(月) 自称・干物女のフクロウ幸福論

 奇怪な論を聞かされた。「私は干物女ですよ、底辺なんですよ」と語る後輩によると、萌えと癒しの極意はフクロウを飼うことだという。えっ。

指南を受けて調べてみると、出るわ出るわ、15~25㎝程度の「手乗りフクロウ」なるジャンルが存在していた。ヒエーッ。前からちょいちょい「フクロウかわいいです」と言うので、動物園のシマフクロウアオバズクを想像していたが、恐るべき愛玩時代、小さくて可愛いものなら何でも消費の対象なのだった。超枕草子である。

 ただしどれだけ小さくて可愛くても、肉食性なので、ラットだのコオロギだの、少々気味の悪いごはんをあげないといけないことから、「冷蔵庫にラットのストック入れとかなあかんぽいよ」「それはちょっと、」こうして家で手乗りフクロウを飼って毎晩癒されるという夢物語は一旦終了となった。お疲れ様でした。

 

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干物は回遊性の青魚に比べて価値が低いかと言うと、時と場合と目的に依りますでしょう、同様の議論は恐らく縄文時代以前からあったと個人的に勘ぐっています。キラキラする必要はないんだよ、リア充って怖いでしょう、あれは私達とは違う世界から来た異教徒だから言葉は通じても何かが通じないんですよ。滔々と述べる。私は根暗な発言をしているときが一番幸せかもしれない。女子か。

 

 

○1/17(火) 運気の低い日=立ってるだけで棒に当たる

犬も歩けば棒に当たるといいますが、運気の低い日はただ単にそこに存在しているだけで棒に当たります。勝手に人がよろめいてきたり、ぎゃぎゃっと急いで駆け込んできたのがぶつかったり足を踏まれたりします。避けようがない。

 

経営の改革プランや、改善取組に関する評価委員会、協議体の議事、会議資料をリサーチする。長けた学識者はあちこちの組織に呼ばれて改革の委員になっている。そして哲学を伝え、経営に携わる職員を教育している。ということが分かった。学識者、有識者の究極の姿は教育者なのかもしれない。自身がプレイヤーとして調査、研究、提案する段階を超えていった先には、もっと広い意味で世の中を良くしたい、次世代を育てたいといった気持ちになる模様。

 

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私はヨドバシのカートが生き物っぽいか否かで盛り上がっているので教育者になれません。永遠のプレイヤー目線。しかも恐らく「見る」段階では、相手と関係性がほとんど構築できていない。「ちょっと撮らせて」「あっ面白いの撮れた」で止まっている。その後の妄想・加工の処理工程のウェイトがめちゃくちゃ大きい。それって「写真」じゃないのでは疑惑がある。ないかもしれない、ないこともないかもしれない。ないないバー。

 

○1/18(水) 生酒は死にます

三芳菊の生酒に「要冷蔵」とあるのに、「冬だからだいたい冷蔵庫と変わらんでしょう」と解釈し、キッチンのカウンターにて1升瓶を。炊飯器の真横に置いていたんですね、晩酌のたびに注ぐの楽だし。死んだ。ものの1カ月で味が激変し、酸っぱい何かになりました。合掌。これは酒ではない何かだ。

 

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トランプは呟き、サムスンの親玉は逮捕状の請求があり、森のくまさんは替え歌に対して訳詞者が販売差し止めを求める。家ではえんえんA4出力し、トーンカーブや彩度の微調整と並び方を考察する。

 

○1/19(木) チョコレート依存症

 「考具」は役立つ。企画、アイデア系のスキルアップ研修で絶対に言われることが盛り沢山。ひとりワークショップしましょう。→毎日が旅人みたいな感じになる。わあい。行きすぎると世界の意味が剥落したりするからほどほどに。そうだね。だが一方ではもっと突き抜けろと言う要請もある。  

「チーム医療」「患者サービス」の定義を再検討する。大阪府成人病センターの患者サービス取組案は相当冴えていて、お笑い芸人を招いて患者さんに笑いを提供することも考えている。トップの方の考えが素晴らしい。

 

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しかし私はけっこうなチョコレート依存症で、職場の足元におさめたチョコをひっきりなしに取り出しては、冬眠前のリスのように貪り食う。ゴミ箱には重度の薬物依存者が射ちまくった残骸のようにチョコの包装紙が散乱している。発火していると思われる。脳。チョコ、チョコ、脳。おいしいです。

 

 

○1/20(金) 円環する - Ring World -

例えば。体感的には零度を下回っているだろうというようなひどい雨と風から逃げるため、ワーッと小走りで逃げるように駆け込んだ先が、偶然にもかつて駆け込んだ場所と全く同じだったりする。他にも無数の選択肢はあったはずが。何かが大きな形で円環している。当時、円は閉じず、完成しなかったわけで、歪な力によって別の星系を目指して飛んでいくことにしたような気がする。しかし、遠心力だけはひどく、強く残り、再び大きな環を同じように描いて、回っていたらしい。主観的には、直線的にどこかへ向かって、推進剤をありったけ使って飛行していたが、今こうして、無意識で駆け込んだところは、何年か前のかなり重要な時期に過ごした地点と同じだったりする。終わりのない夢のような、円環を描いている、らしい。きりのない物語の中を、駆け回っているわけ。

 

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 ○1/21(土) 備える。

翌日のプレゼンのためにポートフォリオ、コンセプト、タイトルの再考を一気に進める。日頃からあれこれ考えているので形にするのは早い。正直、書くことはできる。ただオリジナリティと呼べるだけの切れ味、輝きみたいなものは、作業時の偶発的なきらめきに依る。一線、二線、またいで越えないと、いいものが来ない。何か予期せぬものと衝突するというか、出逢わないとだめだ。 

うじゃうじゃ。