【diary】H29.4.9(日) 奈良公園の桜
奈良公園です。
今年の桜は咲きがよろしくない。春だというのに冷え込んでいて、土曜日には雨も降った。冴えない冴えない続きでこちらも冴えてこないが、写真表現大学の写真仲間らと奈良公園に集合して、桜を撮ることにした。
鹿の聖地でもある。果たして桜はあるでしょうか。
近鉄奈良駅から奈良公園に向かって歩いていると、眼が合う気配。
なにかな。
奈良県庁舎モダニズム建築。設計は片山光生(かたやまてるお)氏。
そして鹿。
快調に脱線しながら「実は桜がなくても相当楽しいのでは」という万能感がわたしたちを襲います。写真には決定的瞬間も主役も要らないのだといったところでしょうか。主役はフレーミングでありこの一瞬一瞬の快楽のことなのかもしれません。嗚呼。
嗚呼。
映像は人を中毒状態にします。過度のアドレナリンがわたしたちを離しません。日常生活に深く振り下ろされた鉈のように何かの基準が変わってしまい、地をはいつくばって、美をもとめるようになります。まだお酒は飲んでいません。
桜はどこから来たのでしょうか。
どこへ行くのでしょうか。
桜はどこから来て、どこへ行くのか。よく分かりませんので、幻想の恋人を追うようにして、皆必死にあがいて撮りためます。それでもまあ結局よく分からないんですが、何もやらずに分からないでいるよりも、色々やった末に結局分からないという結論に落ちるのが、素敵なんだと思います。
エイサー。
桜はよく咲いていました。生きていますね。
ビニールシートを敷いて花見らしく軽食をしたいいとう思いがつのり、若草山に来ました。飲食店がほぼ皆無です。桜というと浮かれた屋台などを想像しますが、奈良公園は本当にありません。大人の楽しみを楽しみたい方は、事前に買って持参することをお勧めします。
鹿の糞がばらばらと続き、やや冷たい風が吹き続ける、優しさと殺伐とが同居したような丘です。
飲酒をし、喫煙もし、すてき鯖寿司やすてきサンドイッチで幸せになりました。飲酒は良いですね。毛細血管がみだりに開いて、風に体温を奪われっぱなしになる点だけが残念ですが、それ以外は概ね幸せです。
ここからややマイナーな進路をとり、「奈良市写真美術館」へ向かいます。
静かな市街地で、一軒一軒が大きな家です。志賀直哉の旧居があったり、個人宅なのに庭に見栄えのする桜の樹が立っていたり、歩いているだけで楽しい。また、京都と異なり、雨溝もしっかり通っているので、溝に落ちた花々が咲き乱れる様も酔い酔いしいところです。アンダーグラウンド花見。
おうちは門扉、ノブに昭和後期の装飾性が見られます。獅子頭や物憂げ女子などですね。分譲された時期がだいたいわかる。
『思い止まれ 先は蟻地獄』
うへえ。\( ゚q ゚ )/ 結婚に失敗でもしたのだろうか。
日輪山・新薬師寺のあたりでは、桜の花弁が舞い散り、そこいらの花見スポットよりもむしろ撮影には適しています。車の往来だけは気を付けましょう。
売り物件。背後のカレー屋ともども身売りされたらしき埴輪。
おかあさん、僕の家はどこですか。
奈良市写真美術館では、奈良の風景や仏像を撮り続けてきた写真家・入江泰吉(いりえ たいきち)の 「大和路」が展示。
同時に、若手作家・田淵三菜(たぶち みな)の展示。四季折々の浅間山北麓の姿を、山小屋に一人で住み込みながら撮り続けていた。ひと月ずつしっかりと踏みしめるように撮られた写真が集まって、まさに森の生命を表わす。
黒川紀章の建築である。周囲の環境への調和と、内部のスタイリッシュなひずみを楽しみましょう。
奈良公園の方へ歩を戻しつつ、日が暮れていきます。
桜も鹿も立派でした。
鹿がそこいらにもしゃもしゃしている分、KYOTOよりも断然面白いかもしれない。
また、近鉄奈良駅とつらなる商店街あたりも面白い。
(´-`)
完。