【diary】H30.1/1元旦~1/2_シノアリス、梅田徘徊、シャワートイレ交換
あけましておめでとうございます。もう言いましたかね。認知だ。
正月も2日目3日目になると、多くの芸人が年末から連日連夜出演していることに驚嘆を覚えますが、彼らのネタのキレが格段に落ちてきていることが目にも明らかな瞬間もあり、いかなる銘刀も立て続けには人を斬ることはできないのだという例の警句が思い起こされます。ひとのー!あぶらー!ズバァ。活きの良いアイドル達も笑顔の裏でたぶん過呼吸その他でタヒっていましょう。庶民は明日からタヒます。
当方は元旦から狩りで忙しいです。ちょっとしめ飾りが呪術人間に見えて仕方がありません。立ち姿の整っている飾りについてはもはやゼルエルの祖先かなと思います、腹部から足元にかけてのふくらみのラインが似ている(気がする)。
あひゃらひゃら。
◆1/1(月)元旦_深夜
以下の通りでした。あひゃらひゃら。
あひゃらひゃらしました。
◆1/1(月)元旦_日中
まず年末年始はゲームです。あひゃらひゃら。
ログインボーナスがあるのでゲームをぬかりなくやります。得るものをしっかり得てからガチャをひきます、案の定外れたりします。なんやと。
現在はスクエニの「シノアリス」一択です。もう年老いているので複数のゲームに力を割り振ることができません。心を定めて1回5分から15分のプレイを一日複数回重ねて稼ぎをします。
はい。
それはすごい。
リセマラ地獄じゃねえかwww
やらしいな。
リリースから撒いてきた1ユーザーあたり石の数を改めてアピールしやがって。
やらしいな。
石蒔きをアピるなwww
10連ガチャに3千円使うやつがどこにおるか。もうちょっと大胆に値下げしたら食いつき良いのに。理性を奪うところから段階踏んでほしいな。残ってるんすよ理性こっちは。
このように現実世界のゲーム(ややこしいな、)(ゲーム会社が配信するガチのゲームプレイ)は、課金問題とかスタミナ切れとか時間のロスなど、全般的な割の合わなさがあるので、現実世界のゲーム化(ややこしいな、)(ゲーム脳による現実世界の疑似ゲーム化プレイ)をやります。
今年のゲーム化に当たっては、東松照明を基部フォーマットとして進めます。
上野昴志「写真家 東松照明」(1999、青土社)が分かりやすくて網羅的で、東松研究の手がかりに役立ちます。Amazonでは古本5千円もするので買えませんが。上野氏は映画評論の界隈の人らしく写真評論は今のところこの1冊しか見つかっていません。
代表的な東松作品を挙げよクイズでは、長崎・原爆、沖縄、桜あたりが主な回答になるかと思います。なるよね。胸に手を当てよ。
(メモ / 代表的な写真集名)
・長崎の原爆の爪痕:「<11時02分>NAGASAKI」
・戦後、米軍占領下の沖縄:「OKINAWA 沖縄 OKINAWA」「光の風 沖縄」「時の島々」等
・沖縄から南西諸島、タイ、フィリピンなど東南アジアの文化の系譜:「太陽の鉛筆」
・13年間に及ぶ日本列島の桜「さくら 桜 サクラ」(※66と120がある)
当てました。そうですね。どの作品群も深み、対象への迫りが凄く、とりわけ沖縄に対しては半ば恋愛感情すら抱いておられる(※本人談)のですが、一方で東松氏は都市についても眼を向けており、他の写真家の都市写真とはまた異なるアプローチを行っています。東松氏が都市、いまいち実感がありませんが、当該書籍においても第8章「1960年代・都市」と第12章「下方に注がれる眼差し 「プラスチックス」~「インターフェイス」」において言及されています。
下記のような言及があるのだ。
「…おそらく。、この「都市」という主題は、「占領」や「長崎」などとは違って、実際に写真を撮っていくなかで、事後的に、東松のなかで主題として自覚されていったものだと思うが、それだけに、ここに紹介しきれないような多面性と多様性を持っている。」
(「写真家 東松照明」 第8章「1960年代・都市」_P135「写真家がアスファルトを発見する」)
私も半分発狂しながら同じようなことを言ってましたが、そうどす都市。都市とは多面性と多様性どす。その多面、多様な在り様を、写真というフレーミングの平面映像によって切り取ることで、肉眼あるいは日常の観念を超えた、都市の実体について、多少なりとも近づくことができるようになります。なるんかな。やれる。やっていこう。やる。
そうやね。
それで。
東松氏は1960年代に「アスファルト」という作品群で、都市の表面にして我々人間との最大の接点(interface)である、道路を撮ります。黒いアスファルトに溶け込んで埋まった円形や直線、ねじれたりひしゃげた無数の金属片を撮り、そこに暗闇の宇宙空間の美を見出します。東松流の都市論は表層、表面へのアプローチが特徴的です。我々人間との最初の接点、触れ合う境界面(interface)に注目しています。 (京都を舞台にした取り組みにおいても、京都文化の内部へと取材は潜行しますが、どこまで撮っても表層のイメージだけが延々と続くという、歴史と文化の無限たまねぎ状態に陥ってて面白いです。)
「アスファルト」の他にも「プラスチックス」「ニュー・ワールド・マップ」「キャラクター・P 終の住処」といった作品があり、それらは平面上(見下ろす視点)において、フォト絵画のような空間の中で、小さなモノが宇宙の星のように存在感を発揮するものとなっています。意外にも東松氏はメイキングフォトもお好きなようです。
これらはフォトアート的な作品ですが、その当時の都市のインフラの状況や、都市生活の姿、当時の感性について作品が語り出すということになります。
撮影当時の心境について東松氏が後に語ったのは(1976年、雑誌「話の特集」における寄稿文「野良犬の目」)、以下のような言葉でした。
それらの廃棄物や落とし物は、家路を急ぐ者の目には映らない。野良犬の目になったときはじめて、これまで見てはいたが実は見えてなかったモノが、そのディテールが、親しげな相貌をもって立ちあらわれるのである。路上に捨てられた家具、風雨に洗われて木目の露出した電柱、腐臭を放つゴミ箱などがにわかに活性を帯びて、向こう側から話しかけてくる。ぼくは、しばしば路上に立ちどまって、文明の落とし子とでもいえそうなそれらのモノたちと向き合い、独特なやり方で会話するようになったのである。
(「写真家 東松照明」 第8章「1960年代・都市」_P139「野良犬の視線」)
時代は違えど、どっかの誰かと同じようなこと言ってますね、マジかよ、ありがとうございました。「独特なやり方で会話するようになった」、おそろしいですね、時代が半世紀近く経過した今でも、都市は人類に同じことを言わせています。
なんか梅田に行きたくなるよね。行きます。元旦直後の深夜に見た、地元の神社とは話が違うであろう。ちがいます。
( ´ - ` ) こうでなくてはいかん。
謎の生命力な。おお都市よ。お前は一体何者だ。サブカルの源泉かそれとも最終目的地か。困った。
都市とは何なのでしょうか。我々が生み出した理想的生活圏であると同時に、我々自身の壮大な拡張分身のようでもあるし、衣・食・住を共にしながらどこか分かり合えない家族のような存在でもあります。
元旦は、都市が仮死状態で、普段は店の人々のテリトリーであるためカメラの介入が難しい場所でも、大っぴらに撮影することが可です。その上、こちらも仕事に行かなくてよいので、自然光の下で様々な表情を目の当たりにします。「そんな貌するとか2年撮ってて全然知らんかった」ということが多すぎて困ります。困った。デヘヘ。
未来、「都市」という言葉が死語となる日のことを夢見ることがあります。「公衆電話」や「家電」や「ケータイ」が「スマホ」にとって代わられたように、都市が死に、また新たな、全く異なる名詞の、異なる建築的体系が現れる時が来るでしょう。その前に今見ている都市を形にしないといけないのですが、やや浮足立っており、箱根駅伝に人生を懸けられる人はすごいなあと思います。浮足立ってないもんなあ。
( ´ - ` ) 見ないけど >駅伝
--------------------------------------------------------
◆H30.1/2(火)
シノアリスへのログイン及び適度な稼ぎをぬかりなく行うために目覚ましをかけています。午前8時より「コロシアム」でチーム戦があり、一瞬でも参戦すれば参加得点でアイテムやアイテム交換財が貰えるためです。生活がゲームに支配されるとはこういうことです。まだぬるいが。
この数か月間さんざん干上がっていたガチャもようやくキャラが当たるなど嬉しい展開で、これのせいでまたゲームから離れられなくなります。見ての通りこの国では未成年ぐらいの若い女子が色んな格好で色んな武器を振り回して敵を撃破することが心底悦ばれます。迫害されてたり特殊任務についてたり突然変異した青年やお姉さんやおっさんが活躍するマーベル等とはえらい違いです。それもまたよし。
自宅のウォシュレットが暴発して第一次ウォーターガン祭りになりかけたので、事態を憂慮し、親を伴ってホームセンターに駆け込みました。
はい。シャワートイレを直すために地元を移動するということの視座です。このあと眼は便座ばっかり見ます。なんで便座ばっかり見ないといかんのか。業界の黒幕や重鎮などは少なくとも正月からこんなに便座は見ていない。姉ちゃんを見ている。格差だ。
奇妙なポストモダン風の建築物はうちの家ではありません。すごいなあ誰のだ。
洗面台の劣化も激しくて交換しないとまずい感じだったので買っておきました。実家の車には到底載らないため軽トラを借ります。5回も福引を回したのに白い玉しか出ませんでした。粗品に愛されています。
打ち上げられたイカの死体みたいな。
ウォシュレットの交換はめんどくさく、まず使用中の分をもぎ取って脱がせるのに、ボタンを押して手前に引いて外すとか、色々としました。正月とは何だったのか。あと本棚を見ていたら突然「このビジネススキル本は醜い」「ビジネススキルむかつく」とスイッチが入ってしまい、色々と棄てました。正月が短すぎます。
ひどいダイアリーだ。
完 。