nekoSLASH_記録編(日常・登山)

『nekoSLASH』分家。日常、登山、廃墟、珍スポットの記録集。

【diary】H30.12/22(土)DAS(総合デザイナー協会)まち歩き@アメ村、堀江

【diary】H30.12/22(土)DAS(総合デザイナー協会)まち歩き@アメ村、堀江

大阪を歩き回って、地形と歴史のクロスオーバーなお話を聴く会に参加しました。

主宰はDAS(ダス/総合デザイナー協会)。夏の展示でお世話になりました。「四ツ橋」(よつばし)の碑のあるところからスタートです。

 

※DASの皆さんとの夏の展示  

mareosiev.hatenablog.com

 

なお私は落ちてたゴミとか電柱とか街の隙間を撮影するのにかまけていたので、ここでは街歩きのレク内容はほとんど載せていません。興味のある方は「DAS」HPなどからお知らせをフォローしてみてください。

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<★Link>

総合デザイナー協会 – The website of the DAS Deginers Association for Designers Authorities Sponsors 
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四ツ橋は今や、大きな車道とオフィスビル街と高速道路ばかりで、橋というより車しか見えませんが、かつては東西を流れる川と南北を流れる川とが十字路を形成し、そこに「ロ」の字で四本の橋を掛けたことから「四ツ橋」と呼ばれるようになったそうです。今や川は埋め立てられていて面影をしのぶのも難しい。

大阪の物流は水運が主でした。戦前は人・物・情報が海と川によって、内陸の街の方まで運び込まれていったそうです。大正時代ごろの古地図を見せていただくと、海がかなり近かった。戦後めっちゃ埋めたようです。 

高速道路を回り込んだところ。でっかい石碑がある。 

そしてそこから南を見上げると、白い建物にひと際明るく映えるのが、皆さんお馴染みの巨大なアメコミの一コマ。誰かが勝手に類似品を掲示していたのかと思っていたのだが、大阪長堀開発株式会社が正式に版権を得たロイ・リキテンシュタインの作品です。原画制作料・版権使用料含めた5千万円は宝くじ協会が助成。タイトルは「OSAKA VICKI」、1964年のVICKIシリーズから作られている。 

相変わらずパワーあるなー。さすがポップアート。建物はクリスタ長堀の換気塔なのだった。へー知らなかった。殺風景すぎて何か載せようやという話になったらしい。その判断ありがとう。そういえば地下街があったよなあ。存在すら忘れてました、クリスタ長堀。あったあった。

1997年にクリスタが開業し、この絵画も設置され、同年リキテンシュタインはご逝去。今になって初めて「ほんまもんのリキテン作品」と知って驚きです。高校時代から「あのアメリカ姉ちゃんは何だ」「気になるなあアメリカ姉ちゃん」「パチンコ屋かな」と思っていたが、平成最後の冬に謎が解けたのであった。調べろよという話だが人生そんなもんです。

アメ村の方へ入ると同じく白基調のアセントというパチスロ店があり、見事に廃業している。昔この二階って本屋なかったっけ?記憶違いか…。ともあれ90年~00年代にあった風景ががらりと変化しつつあるのは間違いない。

この街灯もいつの間にか全機別々の彩色が施されて、カラフルに個性的(な無個性)になっていた。人型なのだがカマキリとか節足動物にしか見えない。どうせなら無色銀色にでもしてくれた方が宇宙生物みたいで殺伐としててよかったのだが。宇宙しようぜ宇宙。

アメ村の中心部、三角公園のあたりまで来ました。人がやたら多い。寂れたと思っていたがとんだ認識違いで、若い人とか外国人がいます。なぜか全然写真が残っていない。人が写り込むのを本能的に避けたようです。 ブルータスビルの上層階がリアル脱出ゲームになっていてあせった。そういえばclub jouleって移動したんだな。超サイヤ人まがいのヤンキーの巣窟だったのが懐かしい(2001年頃)。つまり安全な店がやたら増えた気がする。安全でない店とはどういうことか。つまりその

アメ村は早々に離脱して堀江のほうへ移動してゆく。移動の合間にも視覚情報がワーッと入ってくる。視界が忙しい。道もへんな折れ曲がり方してるし。なんだこの三角公園あたりの車道の歪さは。思春期か。車と人がせめてくる。しかし我ながら学校で写真史や現代アートを学んだとは思えないひどい写真だ。ぎゃはは。ひでえ。いや視界がひどいのか。とにかく若い人は安くて体に悪そうなものが好きだということが分かった。こういうのをキッチュと呼ぶ。どうかな。知らん。しかし皆さんなあ、30過ぎたあたりから唐突に軽井沢とか上高地を希求するようになるんやぞ。今だけやぞジャンクな精神で居られるのは。加齢とともに平穏な世界を欲するようになるのだ。覚悟しなはれ。ははは。嗚呼。最後の写真は色を塗り忘れた信号機ではありません。たこやきという食文化がありまして。まあその 

風景は一変して四ツ橋筋を渡り「オレンジストリート」に来ました。正式名称は「立花通り」。ほら、あれやん。立花、たちばな、橘。柑橘やん? それで、その。orange。Oh. 昔はアメ村から人が四ツ橋筋を渡って来ず、寂れていたようです。1989年「トマト銀行」が当たってウケていた(旧・山陽相互銀行)ので、それを参考に1991年、振興策として大阪市助成金が出て、公募が行われて、こうなったとのこと。こうなるんですねえ。へえー。「けったいなもん」(珍妙な物事を指す関西弁)の裏には行政という存在がありまして、こ  以上言うと権力にブログを消されるのでしずかにします。

なんかこのこだわりのラーメンに乗ってる良いチャーシューみたいなのは木の板で、店の顔として掲げられており、たいへん良くて、ほれぼれとしました。イチマツ家具店さんです。抽象絵画とそん色がない。堀江って元々こういう古風な家具屋さんが並んでいる街だった気がするが、いつの間にか飲食店やおしゃれ服屋に切り替わっていて、昭和めいた家具屋が全然無いのだが。あれっ駆逐されたのか。おしゃれは昭和を駆逐する。いやだあああ。おしゃれこわい。街がおしゃれだったので堀江の写真がほとんどありません。ぎゃはは。ぐえー。

そんなこんなでツアーも終了です。(※この間もDASの皆さんは解説をしたり聴いたりちゃんとしてはります)ここは堀江公園。この半円筒のおしゃれ服屋は、元は「ミュゼ オオサカ」(muse osaka)というカフェで、1998年開店・2016年閉店してしまったらしい。美容のほうのミュゼとは無関係です。さすがの記憶力に難のある私でもこの物件は記憶にある。地味にランドマークなんだよ。大学時代はおしゃれに目覚めた同期らとうろうろしましたね堀江。とうとう入る機会もないままだったなカフェ。公式HPでは「少し休業とさせて頂きます」とのことで、またミナミで復活する?のだろうか。グランフロントにも系列店あるやん。へー。こんど行こ(※一生いかないパターンです)

lworld.co.jp   この一覧からは堀江の店は消えている。

この「ミュゼ」をプロデュースしたのが「日限萬里子」(ひぎりまりこ)という方で、今のアメ村を中心としたミナミの発展は、この方が起源となっているという。へー。面白いものを作って人を集める力が伝説級で、「cafe boite Qoo」もこの方がプロデュースしたと後で知った。は? まじか。それはすごい。天宮志狼、ヨージビオメハニカの活動の場を作った方なのか。まじか。それはすごい。しかしQooは難波も梅田も、私が大学生になる前?につぶれてしまったので、行く機会がなかったのである。あれはおしいことをした。あれはおしい。合掌。

だんだん自分の人生を振り返る旅になりつつあるが、堀江公園の石碑です。堀江川が文化発信の場を産み出したことが刻まれています。堀江堀江と書くとロケット飛ばす人に脳内変換されるので健康上よろしくない。なんであの人たち宇宙に行きたがるんだろうか。行きたいからだよ。はい。

一時間ほどの行程でした。ありがとうございました。

( ´ - ` )ノ

 

解散後、後輩氏と「カレーくいましょう」「カレー」とうつろな眼つきで改めてアメ村に戻って徘徊します。カレー。ごちゃごちゃしている場所なら基本的に汚いものが撮れる、私は汚いものが撮りたいんだ。だって生命だろう? ええそうよね。ふふ。汚いものでないと撮ってはいけない、カレーを食わせろ、等と強く念じて歩くのですが人が多く、人が多いな、店も店員さんが生きていたり路上まで出てきているので勝手に撮ることが難しく、カレー屋がないし、そもそも撮っても普通の粗いスナップにしかならへんよねという自制心が大で、不慣れな街はだいたい自制心が勝つのでだめです、つまり全然撮れていません。カレー屋もない。

プゲラ。こんな真面目な写真を撮るようになったら年金生活者みたいだなとか思いますが、年金生活したことないだろお前、と自嘲しまして、もう夕方になってるのに飯を食いたい店がない。詰んでいる。直感が弱っており、オムライスの話を延々します。服屋の兄ちゃんが店先に立ってるのがすごいやりづらいねんな。アメ村の辺縁というか、普通の心斎橋との境目のあたりが撮っていて撮りやすいというか基本的に通行人を放置していてくれるので良いです。世界よ私を放任せよ。だめすか。はい。

ひどく頭の悪そうな写真が撮れたので一応良いということにします。うげえー。作品には使えそうもない。帯に短したすきにながしというやつです。やつかあー。アメ村をうろうろしたのは4,5年ぶりかも知れない。街の流れとこっちの体の波長が合っていないので撮るとか撮らんとかいう以前の話です。人が多い。カレー屋もない。後輩氏ともどもくたばりかねないので妥協案をうちます。オムライスはどうかね。写真では伝わらないが人が多く、最初に「アメ村ってもう寂れましたよねえ」などと歓談していた自分を呪います。嘘つけ。おまえの印象は何処から来たのか。印象派や。うろついておるやないか。民が。メイクやファッションは変わったが民の「うろうろしたい」という欲望は変わっていないようだ。概ね「昼飯」「どこする」「コスパのいい昼飯」「どこする」「コスパ」とゾンビのようにうろついていたのであるが、とうに16時ぐらいにはなっていた。結果的にはオムライスが優れた存在であることは認めつつ、現実的にすぐ辿り着ける店で何とかしようということで油そばを食べ、満たされ、徘徊は終わった。満ちたね。よかった。

地下鉄駅構内を大胆に改装する案が持ち上がっているが、どうなんやろう。やめてんか。おれはさけんだ。このままでいい。

( ´ - ` ) 完。