【飲食店】人生初、すっぽんを食べた @ ◯安(まるやす:大阪・京橋)
2019年2月16日(土)人生初のすっぽんを食べた。
店頭にはとらふぐしか泳いでいなかったが、すっぽんを食べた。
私はすっぽんを食べたことがなかった。
色んなことをしてきた。色んな所にも行った。だがすっぽんは未体験のままだった。なぜだろうか。
純粋に高いということもあった。相場は1万円ぐらいと、格段に高価だ。けれど社会人、別に1万円なんて、払えない額ではない。それに好き嫌いは特にない。むしろ微ゲテモノは好むところだ。ワニでもゾウでもタガメでも火星人でも、食わせてもらえるものなら有り難くいただきたい。なのにずっと避けて通っていた。意図的な迂回だったはずだ。
自分にとってすっぽんは、「聖地」なのだったのだと思う。
すっぽんを食べるということは、自分の最高推しのアーティストの、未開封のアルバムをついに、聴いてしまうことになる。そんな緊張感の楽しみがあったことは否めない。
すっぽんは、日本の食文化としても、美味しさの面からも、最上位の一角であることは間違いない。
あの成金・美食で鳴らした有名な鶴森会長ですら、すっぽんのまる雑炊には完全に打ちのめされ、自慢の特注の「純金の鍋」を、雑炊の食後には否定するところにまで到達したのだ。只事ではない。
(参考)鶴森会長
①純金の鍋を自慢 ②キレる ③すっぽんのまる雑炊で改心
これである。
私にとって社会とはこういうことであった。
「すっぽんは人生観を変える」
すっぽんのポテンシャルは、頑迷な権力者や偏屈な老人、すなわち社会の仕組みをも打ち砕き、変えてしまうのだ。小学生の頃からそれを目の当たりにして生きてきた私なのである。おいそれとすっぽんを食べに行ってはいけない。そうだ。そういうことなのだ(※実際はすっぽん料理が凄いというより、職人に30年間使い込まれた土鍋のポテンシャルが凄いという筋書きです。)
更には、すっぽんはこの国では、中年・高齢男性の性の悩みに応える各種広告において、お馴染みの売り文句となっている。これまでの人生で、どれだけそっち系の文脈で「すっぽん」の4文字を目にしてきたと思っているのですか。子どもはアンパンマン、大人はすっぽんに、勇気とやる気をもらって生きてきた。
もはや「すっぽん」は、庶民にとって神のパワーワードである。
力の象徴なのだ。すごいのだ。儀式だ。うかつに食べに行ってよい代物ではない。何かよほどの機会でも訪れたときでなければ、この聖域へと踏み入れることは許され―――
( ˆᴗˆ )
来ちゃった。
お店はこちら、京橋の「〇安」(まるやす)さん。
( ´ - ` ) 来ちゃった。
年末に仲間とグワーッとかギャーッとか騒いでいたらこういうことになったのである。崇高とか神とかあれだけ言ってきたのにこのザマだ。持つべきものは仲間です。グワーッ。ああ封印が解かれた。もうだめだ。食おう。
たぶんそのとき性欲か好奇心のどちらかあるいはいずれもが亢進していて口走ったのだと思われるが、誰が最初に口火を切ったかは、議事録が残っていないので、仕方がない、血から肉から何でも食べましょう。
コースにしました。おひとり8千円で首尾よくやってくれました。
例の写真の学校(写真表現大学)のメンバー4名でグワーッとかギャーッとか言いながら入店です。ギャーッ。
( ´ - ` ) グワーッ。
お二階へどうぞ。
( ´ - ` ) グワーッ。
⓪つきだし
ワーッて食べたので写真すら残ってません。
ワーッ。性欲が変形しておったのか。
すっぽんと関係のないものが出ます。トコブシ的な貝が美味。
①すっぽんの血、胆汁
これぞすっぽん料理の本懐である。実際、血を飲みたくてコースにしたと言っても過言ではない。
「血」のほうは、ビジュアルはドロドロ、いかにも動物の血、って感じで抵抗があるが、全く生臭さなどは無い。酒がかなり甘い。「赤玉ポートワイン的な」と声が上がったように、甘さで全コーティング。血の個性を完全に隠しています。犬神家のすけきよさんみたいなやつです。顔面包帯で「白い」という印象しか残らず、中身は分からないけどたぶんヤバいあの感じ。甘さを控えたら一気に惨事が起きそう。
左側に添えられた「胆汁」のほうは、やや苦い。
相当マイルドにしてくれているのが分かるが、それでも、美味しいかどうかで言うと、そういう尺度で飲んではいけない類です。薬の類に近いかな。効能を特に調べていなかったが、まあたぶん元気になるし、子孫も繁栄したり運気が上がるのであろうと期待したい。
どちらも、店のテクニックでマイルドに調整されているが、本性は強そうなので、あまり調子にのって量を飲むとよろしくない気がする。ジョッキで血を飲めるような環境で暮らしている人は少数派だと思うが・・・。
この時点で、すっぽん企画にいちばん乗り気だった男子(Toda氏)が、もうイヤイヤをされている。どうされましたか。どうやら、熱心に動画で予習をしてきたそうなのですが、すっぽんの解体動画などという、血や肉を食うのに相性の悪そうなジャンルだったため、イメージが色々なことになり、早々に戦線離脱してしまいました。あうあう。
youtubeにはふつうに「すっぽん 解体」で調理動画が出るので、よく鑑賞してみましょう。手際がよすぎてどこをどうやって切り離しているのか全然分からなかった。
そういうわけで、私が二人分飲み食いしました。
( ´ - ` ) 血も胆汁も二人分。
( ´ - ` ) 帰宅後、夜3時半ぐらいまで作業が捗り、翌朝は7時にきっちり起床したので、もしかしたら効いてたのかもしれません。ウワアァアー。アウアウー。
アーッ
②お造り(心臓、脾臓、肝臓、卵など)
「すっぽんはアトラクションだ」と思いました。
( ´ - ` ) 血! 臓!! 肉!!!
「鶏に近いなー」という印象。亀を食べているという感じがしません。日本酒でコリコリ齧るものだなあ。
しかし、卵だけは異質です。これは亀。亀ですな。潰すと中からクリーム色の身がどろり。これが、生臭いというかアクというか、やはり何か「美味しい」の範疇からはみ出た、野生の気があります。量をいくと気持ち悪くなると思います。この皿は2人用で、卵って言っても少ししかないやん、皆さんそう思うかも知れません。しかしこの量の卵を一人で全食いすると、けっこう、大変、ウボァーってなるかもしれません。
うちの卓は2人でもこの量の卵に「・・・ぐうう」「ちょっともう要らないかな」となり、後に鍋に投入しました。火を通すとあっさりしていけます。
なぜか隣の卓からしきりに「ジャーンケン! ジャーンケン!!」と、ほほえましいコンパのような声が何度も聞こえてきました。すっぽん解体動画を真剣に予習してしまったToda氏が食うのを嫌がっていたようです。わあい
③鍋
メインデッシュきました。
「ほう、ヘルシー鍋ですか」「ってか野菜やん」と一瞬不安がよぎりましたが、底には、すっぽん肉の塊がゴロッゴロッしてます。ゴロリ将軍です。わあい。
こういう肉の塊がゴロゴロ。
「ホラ、見給へ、これがすっぽんと言ふものだよ」「まア、随分とクニュゝしてゐるのね」「してゐるのだよ! 君!脳を悦ばせ給へ!」「あラ嫌だ、そんな」 あっあっ、
( ´ - ` ) Umai.
ゼラチン。ゼラチンの宝庫です。白いツヤツヤしたところ、分厚いゼラチン質が素晴らしいと思いませんか。エンペラってやつですね。うまい。ゼラチン王国。おれはゼラチナマスターになる。うまい。ゼラチンだけでもいい。しぬかな?
あとキノコもうまい。
あーぜんぶうまい。
視界もおかしい。
語彙がだんだんバカになってくるのが分かります。うまい。美食は人類を文化の果てに追いやる感じがあります。下へと退行するのではなくて、高次へとグンと押し上げられた結果、オーバーフローで一周回ってバカになる感じです。結論から言えばバカで、脳のどこかが役割分担を飛ばしてしまってバカになります。うまい。
歯応えがいいし、味が、しょうが等、しっかり効きつつ、牛や豚や鶏にはない、飼い慣らされざる肉の味わいがあって。ゼラチンもっと多くていい。品種改良で「ゼラチナ皇帝」みたいなのが人類史で開発されていなかったことが悔やまれる。藤原氏とかがなあ、すっぽん愛好家だったらなあ、やってたとおもうなあ、確実になあ。
逆説的に考えると、うまさに関する語彙を鍛えようとしたとき、本当の「文化」の正体に辿り着くかも知れない。語彙が尽きてバカになった地点で身を留めて何かを見ようとするわけだ。グルメリポーターって世界で最も不幸な職業の一つじゃないですかね。あれ絶対何も味わってないというか、味わったらコメントできないと思う、だから脳があっあってなる遥か手前で言葉と発語で、バスッと快楽を断ち切ってる。何処にもいかない。すっぽんを食べると発見が多い。ゼラチンが良いです。
隣の卓はパフォーマンスアートみたいになっていて、「すっぽんのコースを頼みながらすっぽんを全く食べない行為」が催されているのであった。「本末転倒」という言葉が全身で体現されており、味わいというか、心配ですらあります。すっぽん解体動画の影響です。お子さんの育児の手間省きに動画を乱用するのは危険だという警鐘にもつながるものがあります。Todaさん何か食べてください。
( ´ - ` ) あ???
ついにすっぽんの解体動画を見すぎたToda氏が飢え死にしそうになり、通常の飯を注文です。目の前の鍋には、大量のすっぽん肉がゴロリしていますが、別の肉が来ました。珍奇な光景です。
このような、定食屋みたいなメニューすらも美味しかったので、ポテンシャルがすごいです。
Toda氏の分の鍋のすっぽん肉は、私がズバズバ食ってしまいました。ズバズバいけます。日中は少しパン食っただけで血糖値がワーワー鬼のように乱高下するのに、夜は脳も臓器も緩んでいます。ズバズバ。調理系、過剰料理の方面でネジが何本か飛んでる方がおられましたら、ぜひ食う専で相伴したいものです。
④すっぽん雑炊
とうとうラストです。さきの鍋にご飯を入れて、調理場でぐらぐらされ、再び上がってきました。
なんと写真が一枚もありません。一枚も! 私が「撮らなかった」のではなく、純粋に「撮るのを忘れていた」ので、 いかにラリっていたかが分かります。
けっこう淡白な味だったので、特徴は特にないなあ…と思いながらズルズル、ゾゾゾ、ゾーゾーと吸っていました。
が、冷めてくると、いかに特殊な雑炊だったか、急に本性が出ました。
口腔内、唇の周りが、ベトベトして重たい。
膜を張ったような・・・ なんだこれ。
脂身じゃない何だこれ 膜
おれ は maku になる
( ´ - ` )
お会計を済ませて、ごちそうさまをしました。
良い夜でしたね。脳天が曇っていて視界がよく見えません。星占いがさああ当たってても当たってなくても気になるよねえええあたしさあああダメな人間だからさあああ星占いが好きなのよおおおお 今日の運勢 の今日 ってどこだ店長でてこい
2軒目です。
Toda氏のお気に入りのゆるい子を若干撮影会して、お口直しの巨大パフェ的なものを頼み、イチゴをむさぼってコーヒーで口中のコラーゲンの粘膜を洗い流し、清められ、夜が深まり、お開きです。長い議論が繰り広げられていました。私は器からイチゴを書き出すたびに赤がぐしゃぐしゃになるのを見て、さきのすっぽんの臓物よりも遥かに血と肉の感じを覚えて、ずっと体を思いました。果実はなんて体に似ているんだろうか、いや、体と呼んでいるものの中にあるものに似ている。文化の正体は悦楽の果てに宮殿を、王宮を建造することだけではない。その王宮が落とす深い影を、何世代も刻み込んでゆくことなのだ。雨水が石を穿って彫刻を築くように、快楽で人体の内府に影を刻み込むのだ。それを千年単位で繰り返すのだ。いちごおいしいです。王朝だ。
美味しかったです。またしましょう。
次はフグかクエか。
( ´ - ` ) 完。