nekoSLASH_記録編(日常・登山)

『nekoSLASH』分家。日常、登山、廃墟、珍スポットの記録集。

【桜】R4.3/30 某所の桜並木を訪ねたらほぼ満開でした。

今年(2022)は桜の開花が早いなあと思いましたが、はやいよねーって言ってたらマジで土日の前に桜が終わりかねないんで、ダダダッと某所に駆けつけてすり寄ってきました。桜の花って写真に撮ると白色がボタッと厚くて体の器官みたいなんだよな。ぐえ。

 

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なぜ毎年春になると桜を愛でるのか、なぜ桜なしでは生きていけなくなるのか、この奇妙な問いを抱えるようになったのはいつ頃でしょうか。

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10代後半までは「桜など老人福祉」と生理的に拒絶していたように思います。20代後半までは「酒が飲めればそれでいい」と割と無学無教養なスタンスが逆に心地良く、しかし30代半ばあたりには「散った桜は美しい、死と滅びは美しい」と、中二病からゾーマっぽくなった人のような心持ちに変化します。それ以降は・・・

思うに、純粋に「死」へと近づいていることが大きいです。心身が確実に「死」へと近づいている、つまり老いていくに従って、人為を排した静かな中にある生命力というものに惹かれるようになるのです。

あと、老いによって時間の感覚が縮まり、1年の体感が異常に短くなり、四季折々のクサビとなる出来事や光景をしかと五感に焼き付けておかないと、マジで今年と去年と再来年との区別がつかない、という状態に陥るのです。陥ってます。けっこう怖い。脳がやばい。

 

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桜は1年のサイクルを正しく刻む証、言わば、見えざる時計の文字盤となる光のようなものとなって、それによって私は「1年」という奥行きと今現在の位置を得ることができるのだ。桜が咲くから狂人が生まれるのではない。桜が無かったなら私は狂人になっていたのだ。たぶん。そうした時間軸の認識の迷宮を時の回廊と呼んでいる。イチョウの葉エキスでもどうにもならない。

 

こうした緩慢な終わりから逃れる方法の一つに、信仰がある。日本でいうと、強力な信仰の体系 ≒ 神がいないので、代替措置というか、一番最初に自我が芽生えて他者を意識する体験の瞬間へと、全てがピュアに収束することになる。初恋を基軸とした青春や学園生活である。

原理的には、初恋の感動や切なさを適度に思い出し、自己の絶対的な開始点を反芻しつつ、四季を旨とした大枠の時系列を掴むことで、現世を良い感じにやっていくことができるらしい。桜はその柱を成す。

つまり桜は偉いのだ。税より偉い。そういうことを考えていると酒などいりません。このへんのことはまた別の機会に考えたい。よく咲いている。今年は早い。次の土日までピークは保たれるだろうか?

 

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なぜ遮蔽物を挟んで抽象化された写真を撮るのか? それが正しい「桜」のように思われたからだ。主観、感性を反映するためではない。私達が目で見るとき、「桜」とはおそらく生物・植物学的な、物質としての花のことではない。それは「春」を反映し象徴するスクリーンのようなもので、地上由来のオーロラのようなものだ。個別具体的な花弁や器官を見ていてもだめなのだ。カメラ越しであっても、見ずに見ることが必要だ。

 

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暗黒と天上を行き来する感じが望ましいです。記号性を徹底的に解除してやりましょう。

メタバースでも桜を見ることは出来るだろう。それは「メタバース内の花見に参加している私(達)」という、桜の画像を含んだ箱状のイベント=「花見」のオンライン版を指すと思う。参加するか否かという「場」である。掲示板やニコ動が立面でキャラ化したようなものを想像する。

桜が催す訳の分からぬ幻視めいた視覚は再現され得るだろうか? オーロラのような・・・ それは可である。ただしクリエイターにそういうセンスを持った人間が混じっていればの話。陶酔感をより強化させて実装する可能性はある。個人の網膜にライゾマとか入れたらいいんじゃねとか本気で思うような連中だ。陶酔は重要だ。多くの文化は必ず薬物の代替品としての本質を隠し持っている。優秀な作り手はそのことを漏れなく知っている。知らないのは手本をなぞることが表現だと信じているような器用な貧乏人だ。あれは悲惨だ。美しくて丁寧な量産しかやることがない。

 

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東京の国立新美術館で展示中のダミアン・ハースト「桜」展が概ね高評価で共感を呼んでいる。行きたいな。桜とは別のもので桜を見た時の視覚的に生じる現象を再現しているのかどうか。Twitterに投稿された数々の写メを見るだけでも、実際の「桜」を想起するときの、花と白色の集合体・モザイクとしての情報の質がうまく構成されているように感じた。桜は脳内物質なのか? 体験なのか?

 

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これ何? 違うのがまざった。別にいいけど。

 

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桜を観ました。満足しつつある。

 

( ´ - ` ) MAN-ZOK.

一切何もする気力もないが、食欲と性欲だけは湧いてくる、みたいなことってあるじゃないですか。あれ何なんでしょうね。桜を目の当たりにするとそれを思うんです。別に桜なんて見たいとか触れたいとか特に思ってなかった、ただ1年の基本的な基軸になってるから、毎朝6時前に起きるのと同じぐらい習慣として見にやってきた。そうしたら表層の意識とは裏腹にこうしてなにやら食らいついて離れられない。なにこれ。@_@ 

 

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シート敷いて花見をしている人は3組ぐらい。ささやかなものです。平日に様子を見に行ったからというのもあるが、やはり新型コロナのニューノーマルで丸2年が経過し、「桜は長居せず立って観るもの」という新たな態度が見についたのかもしれない。そりゃストロング系飲料も12%以上の高威力ラインが撤退しますわ。マツリが消えたのだ。

ハレの消えた社会では、潤羽るしあにスパチャを投げるか、商業施設の通路に張り出されたジャニーズの巨大広告に群がるか、海老蔵とその周辺(麻耶)の醜聞を呆然と眺めるか、そのぐらいの選択肢しかない。一方で露軍のウクライナ侵攻に心を痛めつづけているわけで、知らない間に心は乾きまくっているから、癒しは欲しい。FF7R続編リリースってまだですか??? 買わんけど。

 

皆さん最近どうですか。私は全然だめです。

 

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だめな理由は、

 

( ´ - ` ) まあ、日頃Facebookでぽろぽろ述べているようなあれだ。しょうもないことなので言わない。

 

色々あって人間としてブッ潰れた上に、カフェイン+αの脂肪燃焼サプリを常用していたら、廃人のようになってしまった。こんなことになるとは、、

 

夕方は17時半を回っても明るい。太陽の力が増してきた。うれしい。前世は南国の農民か漁師か。太陽が正義であり太陽こそ全てなのだ。夏至が1日の8割ぐらい続いたらいいと本気で思っている。

 

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夜が近づいてくる。

 

写真というのはフレーミングからできているわりに、よくできている、フレーミングだからと割り切れないところがある。光を収めているからなのか。陰影の封じ込めがうまいからか。私は、この世界が、素晴らしいかどうかを考えるだけの力をもう持たないので、ただ色んなことを忘れないで、倒れずに眼を開いていたいと思う。桜は気色悪くて良い。

 

( ´ - ` ) 完。