南アルプスの塩見岳にレッツゴー(死んだ

めちゃくちゃしんどかった。原因は、山小屋の位置と、全体の行程・所要時間のせい。

コースタイム通りとすれば、駐車場から登山口まで片道1時間、登山口から塩見岳山頂まで登り8時間、下り6時間半、往復でトータル16時間はかかる。
使える宿泊場所は、道中の「三伏峠小屋」か、頂上直下の「塩見小屋」の2軒。2軒もあるならええやんと思っていたのだが、山頂が駐車場から遠すぎるのと、山小屋が中間地点に位置していないため、一泊二日で組むと往路か復路どちらかでキツい思いをすることになる。
そもそも大阪から塩見岳エリアに来るのも片道4~5時間かかるため、登頂を朝夕どう組み込むかが非常に悩ましい。悩みましたよ。
◆3日間の行程の全体像
パーティーは3名、私と師匠オタケ氏と登山初心者の妻氏。
コースタイム16時間に対して実績はこう。
・8/22(金)_車移動
22時 大阪発(車)
・8/23(土)_往路、登頂、復路(泊)
3時、鳥倉林道ゲート前駐車場 →3:30 林道出発 →4:45 登山口
→8:00 三伏峠小屋 →8:50 三伏山 →10:00 本谷山 →12:45 塩見小屋
→14:20 塩見山山頂 →15:35 塩見小屋
→下山 →19:00 三伏峠小屋(宿泊)
(行動15時間半)
・8/24(日)_復路、車移動
4:50起床 ~ 6時下山開始 →8:25登山口
→9:15 登山口前でバス乗車 → 飯田市街散策 →13:45高速 →19時半?自宅
(行動2時間半)
実績としては17時間で動いており、悪くないように見える。
最後は林道の歩きをバスに切り替えたので、実際は18時間かかっていたと思うが大きな問題ではない。
8/23(土)の行程がやばい。
大阪から移動してきて即、登山開始。片道10~11時間かけて山頂に行き、4時間半かけて山小屋まで下山する。体力もつんかこれ。※危なかったです
あと19時に山小屋と書いてますが、山小屋の夕飯は17時、消灯17時半で、詰む寸前でした。これは「理論上は13時間行動で17時に間に合う計画だったが、体力その他の問題から時間超過した」ということです。山小屋に怒られたりめんどくさいことになるのが嫌な人はテント泊を検討しましょう。次からテントやわ、、
◆色んな不調・・・課題と反省
まず体力がおかしかった。ものの2~3時間登ったところで既に激しく息切れしている。私の場合、汗はかいてもハアハアとした息切れはだいぶ抑制できる。意識的に息切れしないペースに抑えて歩くのが数年来の習慣となっているからだ。ペースを上げていないのに息切れするのは、おかしい。
体調がそもそも良くない。数日前から下痢です。登山口前で駆け込み、ことなきをえた。事前にそれ以外の自覚症状はなかったが、うっすらとおかしく、力が入っておらず、倦怠感があった。風邪というには曖昧過ぎた。
五感がおかしい。全身の情報入力が狂っていて、曇ったフィルター越しに外界を見ているようで、現実感がない。モヤがかかっている。実際にそういう視界だった。景色の変化に全く感動しなかった。現実感が欠けていた。
睡眠不足と高山病が合わさったのかもしれない。スタート地点の駐車場で1630mあり、三伏峠小屋は2580m。世界水準では低山なのだが、地べたに這いつくばって生きる都市生活者にとっては異界ではある。
中盤からは頭を下にすると変な頭痛がした。なにこれ?
パーティーを気遣うことの重み。
自分自身のおかしさもさることながら、初心者の妻氏は輪を掛けて、気の毒なぐらい体力が深刻で、少し歩いては立ち止まってぜえぜえしている。それが山頂付近までずっと続いた。
それを見て、コース全体の負荷、今後やってくる更なる消耗、何より「10時間かけて登頂した後、4時間かけて山小屋に戻る体力」を考えると、目の前の姿からは成功のイメージがつかなくて、山行の目的をはじめとする全体像を見失ってしまった。今思うと「体力の尽きたメンバーをどうやって4~5時間かけて下山するのか(自分だって尽きてるから無理じゃね?)」という中間管理職みたいな悩みを抱き続けていたので、撤退の発想が主になってしまった。これは力が出ないと思う。
体調不良、体力低下の影響。
予期せぬことが起きた。三伏峠小屋を通過してすぐ、右足の太腿が激しく攣りかけた。太い痛みを伴う痙攣が、腿の芯から湧き上がってきた。終わったと思った。漢方「芍薬甘草湯」粉末スティックを偶然ウエストポーチに入れていたので、本当に偶然にも命拾いをした。いちど攣ったらもう歩けない。その後は師匠にもらった「ドデカミン」を飲み続け、なだめすかし続けた。
序盤も序盤から、腿の深部で痙攣が起きた理由は不明だ。昔は脂肪燃焼系のハードなサプリを常用していたせいで、ミネラルが流出し痙攣に見舞われたが、手痛い反省から断薬している。ただの体調不良で起きたことはない。なぜなのか…。
教訓として、長時間山行では「芍薬甘草湯」と「ドデカミン」を常備しておくべきことを改めて学んだ。
もう一つが、固形物を受け付けなくなったこと。
だんだん、行動食を摂るのがつらくなり、塩見岳山頂を往復して降りてくる頃には、本格的に食べられなくなった。単に疲労が積み重なっただけと思うが、これも登山経験を積む中であまりみられなくなった現象のため、驚いた。ごく初期の頃ぐらいでは。
「バランスパワー」というカロリーメイト状のバーを行動食の常としていたが、食欲がなく、食べられず。腹も減っているのかいないのかよくわからない。
今回は仲間らが助けてくれたが、教訓として長時間山行では、食欲ゼロになった時のために、ゼリー等の食べやすいものも用意すべきことを学んだ。ミニ羊羹は最適だろう。
◆山行のペース、総合的な動き
色々と書いたが、しかしやることはやった。塩見小屋以降、登頂は無理かなと思っていたが、なんとか山頂まで行けた。なぜ行けたかというと師匠が「ここまで来たら行くしかないやろ」「行ったら何とかなる」と言い続けて、退路をマイルドに断ったからだ。
フィジカルというのは不思議なもので、その稼働率、ポテンシャルは、メンタルが大部分を握っており、要は車のブレーキとアクセルをどう踏むかという話だった。しかもメンタルというのは個人の意思と別のところで決まるのだと知った。わけが分からない。自分の心身だというのに、自分だけの考えや体調では、それらの可動域を決めることができないのだった。
「それはただただ実戦から離れすぎでは」というご指摘が(内面から)あり、まさに委員のご指摘の通りでして、実戦の頻度不足が課題であると認識したところでございます。はい。
実戦を定期的に重ねていると訓練によって個人のメンタルのブレが無くなり、いかなるときでも安定してパフォーマンスを発揮できる。信号が青になった横断歩道を渡るべきかどうか悩む人間はいないが、それは訓練によって習慣化されたものだからだ。スポーツ、登山も同様だ。
しかし今回はやはり脳機能、認知がおかしくて、一ミリも感動しないし、景色の移り変わり、自分がどこで何をしているかに、現実感が乏しかった。一歩一歩の歩みのしんどさや手ごたえはあるが、3052mの山頂に立つという行為に実感がなかった。かなり奇妙だった。
体調不良などで主観、脳がバグっていたのが一つ。もう一つは、あまり考えたくないが、登山に興味を失っている可能性もある。心が動かなくなった状態なら、お手上げだ。もはや登頂しようがしまいが関係なくなってしまう。このことは後に考えたい。
コース全体に対する見積もりと結果は、問題がある。
「朝4時からコースタイム13時間で17時に山小屋着の予定」というのは、相当な絵に描いた餅で、私のペースはコースタイムよりも遅い。そのうえ、前述のように不調不調であるし、すぐ後ろでは初心者が両腿に手をついて喘いでいる。むりやて。結果、到着が2時間超過し、山小屋に迷惑をかけることになり、翌朝、なんで遅れたんですか、どういう計画だったんですかと苦言を呈された。
解決策として、登頂を二日目にして、下山後すぐ帰宅する案もあったが、15時間登山の直後に5時間運転して帰阪するのもたいがいキツいので、難しい。結局、大阪出発をもっと繰り上げるか、体力と経験の底上げをするしかない。
山小屋の営業への迷惑と対処という点で、簡単な解決策は、テント泊への切り替えだ。これはもう切り替えていく。8月、モンベルでテント用品の30%ポイントアップセールがあり、テントは購入済みである。くそ。
◆自分の中での登山について
さてどうしましょうか。ただ単に寝不足その他不調によって、山にときめかなかったのなら、話は簡単だが、小屋から山頂の巨大な岩の塊を目にしたとき、私は「攻め」や感動の興奮ではなく、徒労や吐き気を覚えた。疲れというより、もっと深い所から来ている感じがあった。
ついに「同じことの繰り返し」、体験のクリシェ化が我が身に生じてしまった。その実感に襲われた。言葉で思ったのではなく、鬱病に罹るようにして、クリシェに襲われたのだ。
こうなると逃げ場がない。考えは意識的に変えられるが、症状はそうはいかない。
登山を、山を、自分の中で再定義するか、文体を再構築しなければならない。今までの通りにやっていたら、確実に登って下りてくるだけの気力と体力が維持できなくなる。山にわざわざ行くことすら面倒になる。クリシェが生成されるのであれば、文体を変え、情報源や引用元を切り変えなければならない。
新奇的な、未知なるものへの遭遇と対話がこれまでの喜びだったとしよう。自分を超える圧倒的な世界観への没入、探索が喜びだったとしよう。
それを一旦全て棄てて、自分と山との関係を、山というものを見直していく必要がある。
道中、回らない頭で考えていたが、もはや新奇的でも圧倒的な神々しさでもないなら、おそろしく普通で、無意味なものかもしれないというところから始めなければならない。
登山自体は何ら新しくも珍しくもない。普通だ。普通とは何か?
全く回らず言語化できない頭で浮かんできたのは、自分にとって登山はまさに文体であり、言葉であり、言語空間であった。歩きながらも言葉で考えているから言語なのだという意味ではない。歩いたり止まったり何かに影響されたり意味不明な雑念に意識を奪われたり、地形や気象や天体の中で自己がどんどん変性し、思考や感情が転々としていく、自・他の区別のあやふやなパッケージとしての「登山」。この体験、時空間は「文学」なのだと気付いた。
最も言葉や文章から遠いはずの、非人間的な物理そのものの環境なのに、それが言語や文学というのはあまりに飛躍し、矛盾しているが、しかし、私にとっては書籍で流通している文学や文芸はただの出版・印刷業界のビジネス、商品であり、業界の事情でしかなかった。文学界、文芸界はここでは考慮しない。私のことだけを考える。
自分が五感+αで何ものかと出会い、それと格闘したり逃避しながら、言葉にならないものを言葉未然の感覚によって理解していくこと(あるいは理解できない体験をしていくこと)、これほどに言語活動らしいものも他になかった。それにサバイバル登山や未踏ルート開拓ほどの積極的な意味もなく、逆にボルダリングやトレランのように強いゲーム性に支配されているのでもない。ただただ余剰的な歩行があり、無目的で、ゲームですらない。その中で起きること、過ごす時間の総体はまさに無意味の極みで、しかし日々の規範やシステムを脱したところで起きている。私個人の心身に限りなく肉薄したところで起きる、無意味の生成と転成。ゆえに登山は「文学」なのではないかと思った。
これは個人的な感想なので文学の定義について議論するつもりはない。
生きる死ぬのソリッドな掛け合いが真に緊張感のある言葉を産むのだ、と言えればかっこいいのだが、そんな高尚な精神はない。ただただ道中、虚ろなゾンビの歩行の中で、数日前に聴いた歌謡曲が流れ続けていた。90年代前半の、バブルの香りがたっぷりと残る、文化遺産のような歌だ。意味不明な恋愛観で、愛という言葉が無残なまでに連呼される、ひどく能天気で過剰装飾な詩で、古臭いエレクトーンで電子的に色どられた、幻の宮殿のような曲と、硬く伸び切らない中途半端な筋肉の歌声が、ゾンビ化した私の中でずっと回っていた。南アルプスの標高2500m前後の森を上り下りする間、意味もなくそれは続いていた。私と「山」との間を、意味不明で無価値で、しかし忘れ難く、逃れ難いものが、はっきりと満たしていた。
こんなに混乱した意味不明な平熱は、文学としか呼びようがないと思った。
もしここから私が山に登る動機を見出すならば、この文学と呼ぶ何かを鍵とし、足掛かりにするほかはないだろう。

( ◜◡゜)っ 具体的なレポと写真は別ページで。つづく。