元旦に諏訪大社・4社巡り。残る「下社秋宮」へ。
そして「御柱祭」のハイライト「木落とし」の現場へ。

午前3時からの上社本宮、上社前宮、下社春宮 3社レポはこちら。
「下社秋宮」付近の駐車場が開いていないので、明るくなるのを待つ回。
諏訪湖を暗いうちにちゃんと見たいという欲望があり、見えない湖を見に行きます。黒いものに惹かれている。暗闇ではなく、暗黒。暗いのではなく、黒いこと。似ているようでそれは全く異なる。金沢21世紀美術館でアニッシュ・カプーアのダークホールを直視してから眼だけなく様々な器官がおかしくなって落下していったのかもしれない。穴だ。
◇岡谷湖畔公園(初日の出)
諏訪湖の最寄りに公園があり、公衆トイレ、駐車場まである。たいへん都合の良い立地で、安心して車を停められた。
諏訪湖。


あれ 意外と普通か。普通の湖か。
午前3時台に車を走らせ、諏訪に入り、遠目から街を眺めていた時には、湖は風景を穿つ穴だった。街灯かりが集まって風景を浮かび上がらせているその中心が、暗黒となっていた。私はひどく心を奪われた。しかし風景を食い破る黒い穴は、すぐ傍に立って眺め渡すと、黒くはなく、暗い夜の湖なのだった。わかってはいたがやはりそうなのか。暗黒との距離感は極めて難しい。虹に触れられないように、暗黒は、追えば姿を消す。暗黒であることを剥ぎとって照らし出したいのではなく、暗黒そのものの中へ近付きたいのだが、それは難しい。届かず知覚も及ばない断崖そのもののことを暗黒と言うのだから、打ち手はない。しかし諏訪湖は暗黒の姿を見せた。風景の中において。
ねます。
( ´ ¬`) 大量に夢を見ながら、起きると、7:15。
アホほど眩しい。
なんかめっちゃ人が湖畔に集まってる。

ご来光なのだった。

完全に偶然でご来光を得た。こんなに無欲かつ無意志に日の出を見ることがあるだろうか。闇に心を奪われすぎて太陽に関心を無くしていたため適当な写真しか撮っていません。湖の端には薄氷が張っていて、御神渡りがありますように。



眠かったのでもっぺん寝ました。
( ´ ¬`) ねむいんや。
◆諏訪大社(下社秋宮)
9時前になり、もう「秋宮」の駐車場も開いているだろうと出発。
「春宮」への道を再び通っていた。錆びた青銅めいた鳥居が街中に立っている。謂れは分からないが特別な場所であるという気持ちになる。


「秋宮」へのアクセスとして市役所駐車場も案内にあったが、徒歩で片道20分もかかるので厳しい。最寄りの臨時駐車場に行くと、幸運にも空きがあって停められた。10時過ぎに戻ってきたら駐車待ちの行列ができていたので、9時台が初詣の理想タイムと思われる。


境内へ続く道は、普段は車道なのだが歩行者天国化しており快適。道の規模に対して露店の数が少ない気もするが鳥居に近づくにつれて密度が上がってくる。「飛騨牛フランクが食べたい」と同行者が。がまんや。

下社秋宮が一番立派で規模が大きい。どことなく熊野神社系列の入口にも似ている? というよりも全国の大手神社と共通した設えになっている気がする。「神社」の型として分かりやすい。
明るい時間帯に来たことで猶更全てがわかりやすくなってしまった、取り立てて理解できない領域を彷徨うようなことはなく、淡々と歩を進めていく。往復40分かけてでも真っ暗なうちに来るべきだったのかもしれない。まあ3社で十分ですねという気持ちになったんすよ寒いし眠いし寒いし。また次回に・・・。

「根入りの杉」、樹齢およそ6~700年で丑三つ時には寝入りいびきが聞こえ、子供に小枝を煎じて飲ませると夜泣きが止まるとの伝説。



4社のなかで注連縄が最も立派なのが秋宮でした。出雲大社と同じ形をしている。太い方(綯い始め)が向かって右にあるから様式としては出雲大社と逆になるか。にしても全国の有名な神社と重なる様式が随所にみられるので「諏訪大社とは何か」がまた分からなくなりました。過度に縄文的期待を抱きすぎていたのでは問題がある。地方への原始幻想は差別的眼差し!暴力性がある!リベラル勢に怒られるぞ。っわあい。


幣拝殿の前には参拝客が並んでいて、賑わいがあり。
日光東照宮を質素にしたような建築にまた頭を抱える。またなんかイメージと違う建築様式を突き付けられてしまった。建築のことは何も分からないが人工的に誇張された立体感と圧迫感が東照宮を連想させた。獏だか象だかの彫刻を見るにつけても、思ったよりも洗練されているというか、「神社」の様式にカチッとはまっている。「諏訪」を探す旅を改めて企画せねばならないのではないか。あっまた原始信仰を地方に押し付けている怒られるぞ。っわあい。


100円硬貨を投げ入れて「知能を上げてください」「私にまともな脳を」と祈願。やばい。壊れかけたパソコン抱えながら神社4つも回ってタダで直してくれと懇願してるわけで、精神的にはド底辺である。建築は立派でした。暗闇の中で見るべきだったのでは。内臓を取り除いたあとに肋骨と筋膜が残されたような曲面・曲線がいいですね。




御柱No.2の傍にある「八坂社」、その裏に回ると、「子宝石」なるコーナーが。
あっ。チンポ男石と女石だ。やりました。これで今年もやっていける。
年末からカフェイン類の断薬を試みて、クリアなリセットを試みているものの、反動で意識がおかしくなっており、ぶっちゃけ色々とキツかったのですが、チンポ男石と出逢えたことで、少し意識が盛り返しました。パルスが弱ったらチンポ男石を。





四本の御柱が幣拝殿をはじめ2つの宝殿を囲っていて、神々しさ、結界の確かさを感じさせる。何か神道の型を超えた古い信仰の形を現わしている。最も古い「時間」の形、結晶化させた「時」を束にして宇宙との間に打ち立てているような。もっと何かを現前させてほしいのだが、恐らく大気や建築や資材や植栽やそれら全てに「何か」は折り畳まれていて、無数の鍵穴に通さないと開かない。こちらが自分で鍵を持ってくる必要があるだろう。







露店を冷かしたりおみくじを引いたり大吉を引いたりしていたら10時を回っていた。参拝客が行列になっている。わずか1時間足らずの間に賽銭箱へ辿り着くのに行列。いよいよ「元旦」が始まってしまった。祭りである。私達の祭りは、逆に言うと、終わった。暗黒は完全に遠退いた。後はのっぺりと、規定通りの時間が流れていく。

石があまりに平らだったので、国譲りでタケミカヅチに負けて諏訪にやってきたタケミナカタがくそ怒って地団太踏んだ説があり (※ない



もちを食ったんや。
◇木落とし坂(下社)
「春宮」付近のスポット案内看板に「木落とし坂」と示されていて、まさかのあれかと気になり、向かった。御柱祭のハイライトとして映し出される、あの坂――引き落とされる巨柱と、それにしがみつく野郎どもが、坂の重力と速度に振り落とされてゆく、あの非合理的で理解不能で暴威の象徴である、あの急坂である。
4社の初詣と柱にばかり気がいって、坂の存在をすっかり忘れていた。というか一般開放されていると知らなかった。私にとって「御柱祭」はTV映像でしか触れられない何か(=聖地)であり続けたため、現実物理の場所として「ある」とは思いも付かなかったのだ。
「春宮」から国道142号をしばらく登っていく。やや山あいで、冬季は天候によっては凍結しているかもしれない。
じつはその道中に「注連掛」というポイントがあったようだが見落としていた。坂を下ろしてきた御柱の到着を神前に奉告する「注連掛祭」を執り行う場所である。春宮・秋宮ごとに立てる柱を並べて儀式を行うそうだ。柱がないときはただの広場のようだ。


きついカーブを曲がって坂を登ると「木落とし坂」はあった。あまりにも狭い。縦横ともに狭い。あまりに狭くて本当にここがあの「御柱祭」の舞台なのか信じられなかった。


御柱の実物モデルもご丁寧に展示してあり、頭が少し宙に突き出ていて、満点です。しかしやはり、映像で作られた記憶(印象)よりもずっと細くて小さい。そして4社の境内で見てきたよりも小さく感じる。陽の光で照らされて安全なものと化したためだろうか。印象と空想が剥ぎとられていく。だが物理的な怖さで言えば逆に、こんなに細いものに跨って坂を落とされる方が怖い。「人間載せようぜ」と誰かが言い出して儀式化されたのか、木だけ落してたところに興奮した野郎どもが勝手に飛び乗って様式化していったのか定かではないが、狂気だ。

樅(もみ)の巨木を奥山から切り出し、社の四角に建てるのですが、山から引き出す「山出し祭」が御柱年の四月、町内を曳航し建立する「里引き祭」を五月に行います。
曳航途中、木落とし坂と呼ぶこの急坂で、御柱を引き落とすのが下社山出し祭最高の見せ場「木落とし」です。男意気に駆られる若者たちが、群がりむちまたがった御柱を、100メートル余り・傾斜度四五度近い崖のようなこの木落とし坂頂上から、一気に引き落とします。落下の反動で、若者たちの大半は放り出され御柱とともに転がり落ちる(略)


斜度が強すぎるのと、笹だらけでいまいち写真では何を撮ったか分からない、場所感が伝わりづらく説明の難しいスポットです。ドローン飛ばすか木に登らないと笹しか写らん。
看板に書かれていた唄。
「男見るなら七年一度
諏訪の木落とし坂落し」
いかつい。
「女性」とは社会によって作られた存在であるという。「男」とは?同じだ。共同体、イエ制度、国などによってあるべき「男」像が示され目指されてきた。それは過酷な自然環境や飢えの中で生き抜き、子孫を繋ぐためでもあっただろうし、一族を守り、安定的に繁栄させるためでもあった、逆に統治する側はそうあるよう民に求める。御柱祭における「男」像は、そうした生存上の必須要件を束ねたモデル仕様書のようなものだったのではないか。良い悪いではなく時代や環境に応じた仕様書があるということだ。
今では、御柱祭において残存している「男」の像は、無効化や形骸化を通り越して逆に「人智を超えた何か」として映る。急坂を見下ろすと「斜度45度」が深刻な危険さをもって迫ってくる。おかしい。実は昔もそうだったのかもしれない、単なる「理想とされる強き”男”像」を示すためだけに、こんな急坂を下り落ちるものなのか?
改めて車を回し、坂の下から見上げてみる。



車を停めるスペースもあったが、全体的に狭い。坂はやはり非常に狭い。実はTV報道や写真などで専ら目にしていたのは、上社側にある「木落とし坂」の方だったかもしれない。そちらはもっと市街地に近いところにあり、一回り広く、開放的な環境だった。
写真の哀しさで、広角で撮ると傾斜が潰れて平らになってしまう。目で見た感覚と全く違うのでご容赦ください。それにしても本当に飾り気のない、山の斜面のごく一部に木が生えていないというだけの場所だったので、ここに観客が集まる中、木を落とすのは恐ろしいことに思えた。



◇木落とし坂(上社)
木落とし坂は、諏訪湖の向こう、上社側にもあると分かり、そちらへ向かった。





上社側は「木落し公園」という急斜面の丘を擁する広場になっている。構成は下社側と似ているが、公園なので自由に坂に入れる。そして、下社側が山あいの切り立った斜面で周囲の視界が遮られていたのに対し、上社側は平地で、公園の隣に上川が流れ、JRの陸橋があり、地続きで風景が広がっている。全く雰囲気が異なる。


木というより、神の乗り物、いや、神の領域へ近付くための乗り物の形をしている。神とは?それがよくわからないのが日本の神事だ。全く姿形が掴めない。理性とも、善悪とも全く異なる次元にいる。力そのものの根源なのか。そこに向かって柱は突っ込んでいく。

平均斜度27度。下社側の45度に対して緩やかで、視界が圧倒的に開けているので、荒々しさや原初的なものは感じさせない。整った場であり、原初的な力が渦巻く場になるとは想像し難い。だが公園にしては不自然に急な坂であることは確かだ。

下から見上げると、見覚えのある風景、記憶にある「御柱祭」のハイライトと重なる地形であることが確認できた。映像では坂の左右が切り落とされ、坂だけが全てとなっていたが、それはフォーカス、フレーミングが生み出した光景ゆえだった。無論、祭りが催されれば、熱気と狂気によって人間の視界もおのずとフレーミングが掛かるのだろう。
「御柱祭」の公式サイトで「山出し」の流れ、「木落し」について説明がある。
木落しを終えた御柱は、すぐ傍の上川ではなく、南に流れる宮川へと運ばれ、「宮川の川越し」という次の神事が執り行われる。詳細な場所分からなかったので、「御柱祭」の聖地巡りはこれで一旦終了となった。続きはまた◆年後に。


◇天空の田園テラス
この日は晴天だったので、東の方角に山脈がはっきりと見えた。見え続けていた。

青空に向かって聳え立つ高山帯の姿はそれだけで異様だ。大阪のように全てが平坦なベッドタウンに住んでいて、関西の都市部をちょろちょろ移動する程度の暮らしをしている身には、世界の基準が全く違う。ここでは、地から天に向かって突き上げる膨大なエネルギーが絶えず大気、風景に満ちていて、静かで神々しい緊張状態にあると感じてならない。御柱祭のごとき不条理なまでに高エネルギーな祭りが生まれたのも当然だという想いになる。

もっと山を拝みたいということで、それっぽい「天空の田園テラス」なるビュースポットへ向かう。車で10分ほど行くと、一面の田畑のど真ん中を通る車道脇に、山の名前を記した看板が設置されていた。



「八ヶ岳」の一群が見えていたのだった。中でも一番目立って大きく高いのが「赤岳」、標高2,899m。
山登りをしているわりに、どこに何山があるとか、山の特徴とかは全然知らない。いまいち関心が低い理由が自分でも分からないが、山に入って普段とは全く異なる時間と空間に巻き込まれながら、自分がどんな変容を来すのか、何と出会うのかに関心があるのだと思う。山の知識や攻略のコレクションではなく、生体験を。生とは? 今回の初詣もそういう趣旨から来ている。
なお180度反対側、北アルプス側はあまりに遠くて小さく、またなぜか山岳的情熱が大幅に欠落していたのか、風景の写真が残っていない。槍ヶ岳と大キレットの極端な段差を確認したが、標高差約430mというあまりにえげつない地形を自分が歩くことを1㎜も想像できなかった。断薬によって脳がもう動いておらず、私には主体が無くなっていたのだ。主体のない虚ろな主観をこうして取り出し、貼り付けている・・・。

登ろうという気持ちにならない。ただ「とんでもなく大きなものが空に対して拮抗していて、そこに力が生じている」ことを認め、明日は北上してもっと近くから北アルプス群を見ましょう、などと喋っていた。
◆諏訪大社(上社本宮)再来
せっかく上社側に来たし、まだ13時前後で余裕あるので、帰路のついでに藤森照信が手掛けた「神長官守矢史料館」、そして「空飛ぶ泥船」「高過庵」「低過庵」などを見に行こうとしたんですね。元旦に営業してないと思うけども、敷地の外から眺めるだけでも良いと思って。ついでに、一番最初に訪れた「上社本宮」の明るくなった姿を拝んでおこうと思い、
思い、

あかん。渋滞これ、
行列の途中に「神長官守矢史料館」をチラ見しにいくなど到底無理。あ-あーもう。
それと「上社本宮」鳥居の向かいにある「諏訪市博物館」、これも元旦休館で入れなかったのが痛い。諏訪を体系的に理解するには元旦を避けましょう。いかにも平成初期のお金の掛かった建築デザインなのがたいへん心をひかれます。


コンビニをはじめ、近隣の飲食店などが1回千円で駐車場を開放していたり。そのためか?少しずつながら行列は消化されていく。
小一時間ほどで「上社本宮」最寄りに駐車できた。よかった。
本宮への道はもうカオス。祝祭が満ち溢れている。午前3時に見たあれは何だったんだ、同じ所に来ているのに何もかもが別世界すぎて混乱している。元旦-1と元旦1に来ているわけ。






参道が狭いのが混雑の元凶。ただ混雑してるから楽しい・興奮を催す説がある。
先に進むのは後にします。
まず歩いて「やまさや」に蕎麦を食べに行きます。元旦に開いてる蕎麦屋がレアすぎてたいへん助かりありがとうございます。
神社反対側は反対車線が長蛇の列で渋滞中。どうあがいても渋滞。




蕎麦美味しかった( >_<)
天ぷらを付ける意味は特になかったけどテンション上がってつけた。蕎麦も天ぷらもたいへん美味しかったですやばい。

諏訪大社の近くにある店という店が、木の丸太のスライス、木の板を家紋か免許のように掲げている。「ご神木」といった言葉も見えるがこれらがどういう扱いなのかは不明。地元の、諏訪大社と付き合いの深い店や、寄進を積極的にしてきた店などが買える?のだろうか。後ろの大きな輪には「御柱大祭」と書いてあり、神木を切り出した際の端材的なものだろうか?

うなぎも有名なんですって。
寒い。
理不尽に寒い。誰も「寒い」と悲鳴を上げてないのが不可解なのだが寒い。

神社の正面が混んでるのと探検したいので、向かって東側、「波除鳥居」の方から入る。


あーあー。
参拝客が延々と行列を成しており、行列は階段の上、門へと続いている。あかん。よくある開放的な神社なら賽銭箱への行列を避けさえすれば自由に動き回れるが、門をくぐるのに列に並ばないといけないのは厳しい。幣拝殿のある一角は門の先にある。



禁じ手だがちょっと全景の写真だけ撮らせてもらうのに、出口の方の門を使わせてもらった。大変な人混みです。お参りをした人がそのまま反対側の授与所でお守りやお札を買うために列をなしている。むりです。早朝に来ておいてマジよかった。



(´・_・`) 行列が鳥居の先、露店の先、駐車場までずーっと続いている。これ1時間ぐらい待ちませんかね?きつい。
異様な世界を体験したいなどととぬかしておったが、こういう異様さは嫌だなと。求めてるものと大分違うなと、線引きが明確化された瞬間でもあった。・・・と現地ではそう思いつつ、今こうして書いていて、実際はどうだろうか疑問になってきた。理不尽な行列に投げ込まれて、微妙に長い時間にわたって拘束されつつ、少しずつ少しずつ歩を進めることで何やら微熱のようなトランスに徐々に蝕まれて陥り、心身はひとつの目的地へと向かい、やはり異常な状態に至るのではないか?
試すのめんどくさいんで帰ります(´・_・`)
あ店が気になる、ちょっと寄る。



さすがに達磨はいらんな、、
あざした。
いやホテル行くのさみしいなまだ早いで。
しかしこの後はもう元旦営業している施設が無さすぎて、唯一開いているであろう「SUWAガラスの里」へ駆け込むのでした。
( ◜◡゜)っ つづく?