nekoSLASH_記録編(日常・登山)

『nekoSLASH』分家。日常、登山、廃墟、珍スポットの記録集。

【にゃん】2026年3月_猫(ちょび)が亡くなるまで:最期にむかって

にゃんの話。

亡くなるまでの状況を記録しておく。

 

あまり自分の生活のことを書くのもどうかと思っていたので(こんだけ色々書いてきたくせに)、具体的なことを避けてきたが、先日2026.3/17、ねこが亡くなった。

 

名は「ちょび」、13歳(♂)。

 

彼は妻氏が地元で捨てられてるのを保護して育て、昨年から連れてこられた猫なので、私が一緒にいたのはたった1年間にすぎない。が、もう完全に日々の生活の根幹となっている。なっていた。

亡くなったので、もうこれ以上話はないのだが、妻氏が早くも次の猫を検討し動き出そうとしており(※愛の枯渇による苦しみのため)、今ある気持ちや記憶が予想以上に早く上書き保存される可能性が出てきた。記録しておこうと思う。

 

亡くなるまでの約10日間がめちゃくちゃ早かった。異変が出てからの転がり方が尋常ではなかった。猫経験者はみんな同じこと言うけど、早いんや。早すぎて仰天した。

ベースに猫エイズを持っていることが大きい。記録上の私達の判断や行動がいささか「諦めがよすぎる」ように見えるのも、このためだ。

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最期の10日間ほどの状況を、手元のメモと思い出せる限りの記憶から書いてみる。

 

 

◆2026.3/8(日)ノーリアクション

早朝から身支度して6時半には家を出た。金沢21世紀美術館に行かねばならない。

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まる一日、家を空けて、夜22時過ぎに帰宅。

普段なら、放置されたことに猛烈にキレて、玄関先でわんわんわんわん鳴いて、メシと愛情を陳情してくる、もしくは拗ねて、迎えにいくまで2階の隅でつんけんしている(迎えにいって謝って撫でまくってごめんごめんしないと目を合わせてくれない)のだが、玄関を開けても、何も反応がない。

 

めしを要求するでもない。あれ?

とりあえず好きなものを選べるようドライフード、パウチ2種類(どろどろ、フレーク)を並べて置いておく。

 

◆2026.3/9(月)メシ食わない、ちゅーる2本

朝5時半起床。3/8(日)晩に与えたごはんが減っていない。あれ?

好き嫌いはかなりある子だが、3皿とも全く手を付けていないのは異常だ。どれかは当たるはずなのに。水も減っていない。先週までは一晩で皿の半分以下まで減っていた。なんかいやな予感がする。

 

しかも起きてこない。

普段なら朝5時台には我々の起床に合わせてのしのし起きてきて「メシ食わせ」と鳴き出すのだ。鳴かずとも「・・・あのう、私のメシ・・・」と無言で行き来したりするのだが、ずっと布団に入っている。なんだか変だ。熱の出た子みたいに、虚ろだ。

いよいよ何かが始まってしまったのか。

 

しかし夜。

妻氏からLINE。

 

「ちょび、ちゅーる2本食べた!!!」

 

いけるのか? 点滴で水分きっちり入れたら食欲戻るか?

 

深夜。ひとり1階で作業していたら、階段前の人感センサーが作動し、あれっまさかと思ったら、ねこが下りてきて、水を舐めていた。あんたしんどかったんじゃないんか。2階のお皿に水入れてるのになんでわざわざ下りてきたんや。


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貰った花をてきとうにバケツに入れていたのだが、その水をなめなめしている。

猫は透明な水面を捕捉するのが苦手で、水面にごみが浮いているとか、何か物体がないと「水」と認識しづらいらしい。Xでちょうどそんな投稿を見かけたところだったので、ほんまやね、Xはそういう明日使えるかどうかよく分からん知識雑学ムダ話が一番有意義で楽しいよねと実感しつつ、階を上り下りして水を飲む元気があるなら、まだいけるのではと期待した。いけるんや。

 

◆2026.3/10(火)点滴

ごはん食べてません。水も減ってない。朝、ちゅーる食べず。

 

ねこがちゅーるを食べないというのは、かなりシリアスな事態である。

下品な喩えで恐縮だが、ヤク中にクスリを見せても無言でそっぽ向かれたら、あっこの人はもう終わりかもしれないと誰でも悟るだろう。それだ。ちゅーるは、餌ではない。麻薬だ。(最大級の賛辞)

 

妻氏が動物病院に行き、点滴と抗生剤を貰ってくる。

点滴はこの半年間、適宜使っていたもので、成分は生理食塩水にリンゲルが入った普通の水分補給用、皮下注射用なので、針がこわくない限りは家で自分達でも刺せる。抗生剤は、左目の腫れと膿が再発してきたので、1月の成功体験をもとに再チャレンジである。

 

2階で鳴き声がしたと思ったら、ふとんにいない。探し回るが見当たらない。え? 普段絶対にいないような物陰に隠れていた。これはまさか最期の場所を探しているのではないかと動揺が走る。持ち上げても目が虚ろだ。「瞳孔ひらいてない?」暗所ではそうなるからなあよくわからん、

 

1階へ連行、点滴。

あがきだした。

 

卓上に、イカの焼いたのがある。それが猫にとって猛烈に香ばしく狂おしいようだ。瞳の形が、明らかに変わった。

それまでは目が、どんよりと暗く形がなく、ただ器官として付いているだけで、中身は電気が切れた暗い部屋のように虚ろだった。そこに、イカ香で野性の火が灯り、光が集まって意思の形が作られた。生き物の眼になった。生と死を分けるのは欲望だ。欲望を忘れ、失ったとき、生物は、終わる。

 

すまんイカは猫にはあかんのや。

 

真夜中。猫は妻氏の布団で一緒に寝ていたが、2,3回、布団から抜け出してトイレをしに行った。行動力がまだちゃんとあるのは嬉しいが、点滴が吸収されずにそのまま排出されているのではないかとも懸念する。

 

◆2026.3/11(水)水なめる

相変わらず動きが乏しく、寝てばかりで、目が虚ろなのと、水もごはんも減らない。ちゅーるも食いつかない。

妻氏「もうそろそろアカンかもしれん」、この言葉を毎日聞くようになる。ねこが、暗い螺旋階段を下へ下へと下りていっていることを、否が応でも実感しているからだ。ねこがトコトコトコトコ、暗い階段を回りながら降りていくのを、ちょびー、ちょびー、と、名前を呼び続けて、戻っておいで~~と声をかけながら、人間2人がその後ろを少しずつ追っている。

ねこは、立ち止まったり、振り返ったりするが、螺旋階段を上ってくることはない。一段、また一段と、着実に下りていっている。歩を止めたり緩めるだけだ。螺旋の先は、我々の目には見えない。段が円を描いて下っていることだけがわかる。この先を理解しているのは彼だけなのだと思った。彼の名前を呼ぶときだけ、階段は少し明るくなるが、放っておくと、暗く冷たく閉ざされてしまう。その先は、全く見えない。たぶん、彼にだけ見えている。だから、呼んでる。

 

しかしどうもだめです。


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力が入ってない。全身がふにゃふにゃ、ぐらぐらしていて、抱かれていても安定しないし、生まれたての子供のように四肢に力が入らない。

それに全身が冷たい。

食べていないのだから熱を作れていない。食べないので無理な話だ。電気ストーブの前で暖をとるのだが、距離をちゃんと把握しているのか微妙で、近すぎるのも怖い。あついから離れなさいよ。君には今何が見えてるんですか、、

 

夜23時頃。人感センサーの照明が灯り、暗くなったリビングにまた猫が入っていった。水を舐める音がする。ぴちゃぴちゃ。

自ら水を飲んでくれるのはとても嬉しいが、どうも絵面がよくない。

祝いだか記念だかで貰ってきた花だが、時間が経って萎びてきたので、墓前で朽ちてゆく花にしか見えない。しかもバケツなので余計に墓前感がある。その水を真っ暗な部屋で独り舐める猫。私がマジの写真家だったら私写真的に生と死の象徴的なシーンとして作品化しようとしただろう。だが私はもうただ機嫌よく水飲んでちゅーるを食べてくれたらそれでいいとしか思っていない。ちょびは私を超えたところにいたし、私が撮ったり描いたりしたものの外側の縁のあたりを歩いていたのだ。ずっとそうだったのだが、今ようやく気付きつつある。レトリックではなく実際にそうだった。ヒトのやることなすこと思うことの周縁をひらひらと歩いている。

ストーブであっためてやる。ひえてますやんか。

 

 

◆2026.3/12(木)何もなし

有休消化のため早く帰宅したが、ずっと布団で寝ている。静かだ。

これまでなら玄関の鍵をがちゃがちゃ開けた時点で「にゃーん」と鳴きながら階段を駆け下りてきた。あるいは寝ていてもそのうち「ハラ減った!メシ食わせ!」とにゃんにゃん騒ぎ始めるのが常だった。あるいはタスク処理:猫トイレの排泄後の猫砂の片付け・補充。床に点々と落ちた猫砂の片付け、etc。

活動が不活性なのでそういったタスクが目に見えて減っている。手が掛からないということは、構成員としての存在が薄くなっていることを意味する。手の届かないところへ消えつつある。

 

ちゅーるを口元にもっていくが、顔を背けられた。これはもう今までと違うと思った。歯が痛いとか口腔内にできものがあるとか、分かりやすい症状があれば納得できるし解決可能だが、点滴と抗生剤を与え、目に見える具体的症状がないという中で、ちゅーるを拒否されたら、もう・・・。

とりあえず寂しいからリビングに運んできた。

 

このあたりから「病院に連れていくか?」「でも嫌な思いまでさせて無理に延命させるのは可哀想」「そもそも病院にできることがないのでは」といった、具体的な終末期の会話が多くなる。

 

◆2026.3/13(金)ちゅーる、刺身も拒否 / 点滴

有休消化で終日在宅。

トイレの度に、わざわざ人が寝ている目の前を「ぬん」て押し通る癖は健在である。とりあえず傍若無人なままでよかった。

 

ねこは排尿だけはしているが、何を出しているのか不安になる。水分を摂っていないのだからマイナスの方が多いはずだ。計算が合わなくなってくる。

日に日に痩せて、細くなり、軽くなっている。

体中の水分が排出されているのか?

ただ一応、トイレに行って排泄ができていれば、まだ腎機能は大丈夫だとも聞いた。

 

ちゅーるを目の前にもっていくと、確認はするが、顔をそむける。

そしてついに、水を入れた皿も、一度は顔を近づけるが、明確に顔をそむけるようになった。

アカン現場。

花を入れることで「ここに水があるよ!」とあざとく知らせてあげる作戦、さらに手でもパチャパチャ音を立ててやる。水やで!ちょび!水!

水があることは認識してくれたが、口にしない。顔をそむける。こんなことある??? これまでとてもこまめに水を舐めて給水して暮らしてきたのに、即身仏にでもなろうとしているのか。

 

ワンチャン、これならどうかと、刺身を買ってきて口元にやってみる。

ぷい。

 

だめです。これはもうだめ。

 

これはだめだとはっきり分かった。病院がどうとかいう話ではない。自ら「終わり」を知っていて、体がそこに向かっている。我々人間では感情と理性とで拒絶し解決しようとするところを、動物の場合は体が先に選択しているのだ。

螺旋階段の底へ辿り着くための、もうひとつの体づくりをしているのだと悟った。これは我々人間には持ちえない発想だ。螺旋階段の底のほうへ近づくにつれて、通常の「満ちた」体では浮き上がってしまい、苦しみがより長く続く。苦しみとともにあることに意味を見出すのは人間(の文化と社会構造、あるいは経済)ぐらいだ。苦しみの先へと自力で辿り着くためには、質量の無い世界――真の暗黒へと至るための特別な体が、虚の筋力が必要になるらしい。ゼロカロリーの地階へ至るために、彼は浮き上がることのないラストダイブのための体を得ようとしている。それは特別な瞬間への一駆けで、この世で最も尊重されるべきことのひとつだ。たぶん。

 

敬意、という言葉にぶち当たった。

私はたいがい日頃なめくさって曖昧に生きているが、何か絶対に辿り着けない境地の一端を見せられた気がして、動揺していた。そのせいか分からないが思考がバグって、放置していたFacebookに投稿してしまった。

バグい。

放置していた一眼レフを取り出すなど、私もいよいよお別れが近いなという気持ちになっている。状況は静かだ。ただ、とても早い。

 

 

◆2026.3/14(土)リキッド投与

朝から京都に展示を観に行く。

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帰宅後。風呂に入ろうとするとニャーニャー2階から声がする。部屋の中で居場所を変える度に鳴いているようだ。これまでも特に意味なく、誰もいないところに向かってにゃんにゃん鳴くことが常で、これまでなら「なんだなんだ、うるせえ」「めんどくせえ」と思っていたが、今や、安心とも恐怖ともつかぬ切り立った裂け目となって耳に届く。

なお風呂場にしかけておいた「あからさまに飲んでよと言いたげに水を張った洗面器」は、まったく減っておらず、全然水を飲んでいない。残念。のんでよ。

 

枯れた花と容器と水の組み合わせはなぜこんなに死のイメージが強いのだろうか。

 

実際、イメージどころではなく、確実に「その時」が近づいている。反応は薄れ、粘り気の強いまどろみの中に彼はいて、目は曖昧になっている。呼びかけても返事がない。冷えた背骨、冷えた額、冷えた首筋、冷えた手足・・・どこもかしこも冷えている。螺旋階段の底へと下りていく彼の姿は見えているが、もう私達二人が追い付けないぐらい、距離が空いていることがわかる。なぜなら私達の歩みはどんどんと遅くなるからだ。生者の肉と血は重すぎて階段を下れない。軽くなり続ける彼だけが、その先の段へと歩を進められる。

私達は名前を呼び続けている。ちょびー、ちょびー。彼は立ち止まりながら、階段をまた一段、一段と、下ってゆく。眠るように、飄々と、下っていく。

水をどうぞ。

あかんか。

 

皿に水を張って持ち上げて、目の前で指でちゃぷちゃぷ音を立てたら、飲みそうなそぶりを見せた。だが、飲まなかった。飲み下す力が無いのだろうと思った。ちゅーるも念のため差し出したが、やはり顔をそむけた。あかんか。

 

もう寝ましょうね、と2階を促すのだが、なんか私の部屋に入らせろという。部屋の前の廊下で座っている。はいはいあけます。

こけそうになりながら爪とぎをした後、よろよろでぎりぎりのジャンプをして、ソファーの上に何とか乗った。数カ月単位の周期でこの場所を気に入ったり興味を無くしたりする。最後に最も落ち着ける場所を探しているのだろうか? 90年代のアサカメ読みます?北島敬三もあるで。

 

妻氏がどこからか猫用栄養補給リキッドを持ってきた。これをストローで少しずつ喉の奥へ入れてやったらまだ摂取できるのでは? その方法で過去、歯周病抜歯手術の麻酔で腎機能が低下し、何も食べなくなった際に、露命をつないだという。すごい知見だ。

 

写真が残っていないのが残念だが、格闘した。スマホやカメラ操作してる暇がなかった。

 

当然ながら抵抗するので、ごめんやでと手足を動かなくさせ、リキッドをストローで少し吸い上げ、口の横を刺激して開けさせ、開いたところにリキッドを流し込む。うまくストローを差し込んで流すのが難しい、首を振られるとリキッドが入らなくて流れ出てしまう。床にも落ちるし服にも垂れるしティッシュでは追い付かなくなって、タオルで猫の顔、口元を巻いてなんとか垂れ落ち対策をする。暴れる。すまんやで。暴れる。すまんて。暴れる。

微々たる注入。200mlぐらいのボトルの1/5も飲ませられなかったが、まあなんとかなった気がして、ひとまず安堵していた。

 

 

◆2026.3/15(日)嘔吐、便

朝から寝ている。

布団でおとなしく寝ているかと思ったら、押し入れの奥へ隠れていったらしい。いよいよ本格的に・・・場所を探している。死は、どういう形で現れるのか。看取りという言葉の意味がよく分からなくなってきた。死は月食のように待っていれば観測できるものなのか? だいぶイメージと違う気がしてきた。生者は重すぎるし明るすぎるし熱すぎるから、ライトを当てられた影のように、死はサッと白々しく何処かへいってしまう。

 

そして押し入れから、クローゼットの中に居場所を変えていた。色々と忙しい。眠っているわけでもなさそうで、ぼうっとしながらも起きている。眠りながら静かに死を迎えるというのは、人間の空想上のイメージにすぎないのか。死ぬのにも力が必要だということなのか。螺旋階段の底へは、並大抵のことでは辿り着けないのだと思い知らされ、また何か自分の理解や感覚が根底から揺さぶられる。


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どこにいても落ち着き無さそうではある。下見なのか何なのか分からないが、眠っていない。いつ死の本番が来てもおかしくないので、こちらとしては「目を離した隙に独りで死なれてたらいやだ」という想いもあり、落ち着かない。これは人間のエゴなのだろうが…。

 

日曜の午前中は動物病院が営業しているので、ダメもとで連れていって、アドバイスを貰おうかという話をしていたが、当日になって、やはり行かなかった。二人とも、連れて行ってどうにかなるものではない、これまでの体調不良とは質が違うと分かっていた。分かっているので、本人の向かう先に辿り着けるまで見届けてあげるしかない。酷ではある。だがこれが本来は当たり前なのだ。頭では分かっている。

 

夕飯時、さみしいので2階からリビングに下ろしてくる。

皿に張った水を口元にもっていくと、飲みたそうな仕草を見せるが、すぐ諦めた。

口の中に入れても、そこから先へ流し込む力がもう無いのだと感じた。喉は乾いているはずだ。猫トイレには定期的に排尿の痕がある。全身の水分を使って尿を作っている。この一週間の間にもひどく痩せて、別人のような顔になった。

 

昨夜のリキッドの残りを与えてやれば、少しはもつかもと思い、また格闘をする。

口を開かせて何度かリキッドを入れていたが、大きくむせて、喉から吐き出した。

少量の液状のものでも、口から喉の奥へと嚥下する力がもう無いということが分かった。昨夜にできていたことが、一夜でできなくなった。こんなに急速に筋力がなくなっているのだから、自力で首を支えて水を舐めとって、斜め下を向いた状態のまま自力で喉の奥へと流し込むことなど、まずもって不可能だと理解した。

 

そのしばらく後、リビングの隅で前足をカリカリしていた。あーあーカーペットで爪研ぎしたらあかんよ、と怒ろうかなどうしようかなと思ったら、静かになって、私が反対側を向いて食器を片付けて洗っていたら、最初飲みこんでいたかに見えたリキッドを吐き出した。

直接見えていなかったが、「もう体が何も受け付けない」状態にあると突き付けられて、緊張が走った。理解の前提を何段か先へ推し進められた。ここから急に忙しくなった。嘔吐の後、続いて、何か黒いものが出たと妻氏が声を上げた。「吐血?」「血便?」テーブルの下の影になっていてパッと見、何か分からない。確かに黒っぽいスライムのようなものがある。

慌ててタオルを持ってきて拭いてくれていたが、どうやら軟便だったらしい。

ねこは更に続けて、よろよろと歩きながら別の便を出した。あっだめちょっとまって。便を垂らしながら歩くとは・・・どうしたちょび、どうしたんや。やや固形の形をしていたが、ティッシュを持ってきて掴もうとしたら柔らかくて崩れ、カーペットにへばりつき、処理に苦戦していると、更に小さな便を出した。最初から漬物を掴むみたいにビニール袋越しに掴んで裏返して綴じればよかった。ねこ本人も軟便なのでおしりが色々汚れている。もうむちゃくちゃ。拭いても拭いても取り切れない。

 

「ごめん、トイレ行きたかったのに、リビングにおろしてきたから・・・」

人間2人は反省しきりだった。反省しかなかった。ねこは粗相をしたのではなく、そうさせてしまったのだ。リビングの隅をカリカリ搔いていたのは、爪とぎをしたかったのではなく、トイレを探していたのだとやっと気付いた。弱っているから自力移動もできず、便意はあっただろうのに、1階に下ろしてきて、拘束してリキッドを飲ませたりするから、間に合わなくなってしまった。むちゃくちゃだ。

便で汚れたカーペットを一体どうしたらええんやと洗面台の下をまさぐり返していたら、ウタマロ石鹸の「ウタマロクリーナー」、これがアミノ酸だかなんだかよくわからないけど役立って、カーペットが白さを取り戻した。力業である。

老いた力弱い猫一匹でこんなにバタバタするのだから、大の大人が認知症で漏便しながらウロウロするようになったら地獄でしかない。ねこのことよりも嫌な連想にしばし気をとられていた。

 

あまりにバタバタな展開だったので、写真を撮る気すら起きなかった。

 

 

◆2026.3/16(月)病院に相談

帰宅して死んでたら嫌だなという気持ちと、どこかで楽になってくれた方がもういいのにという気持ちが混ざっている。肉が削げ落ちて、肌、毛がボソボソになり、見るからに痛々しく痩せて、虚ろな目で、フラフラとしている。無理をさせたくない。無理をしているのかどうかも分からない。どこまでいっても人間のエゴでしかないが、そのエゴにテンポよく乗っかってくるのが猫という生き物なので、本当に絶妙で、難しく、面白い。そして切ない。

 

だが最後の最後まで動いている。深夜~早朝、トイレに行くのに私の頭の横を歩いていった。ずしゃずしゃと足音がして目が覚めた。以前のように軽快には歩けないから変な音が立つのだ。それでもトイレの往復をしている。凄い。

 

凄さが際立って見える。

これまで当たり前に「ねこだなあ」と、景色のように見ていたものの中身が、最後まで残された動物としての生存の力が、ソリッドに切り立って、光の筋繊維のように目に見えてくる。

 

妻氏が動物病院にTelで相談したという。「口から何も摂れなくなったら、もうそっとしてあげてください」と医師に言われたと。これで答え合わせができた。完璧な回答と状況が揃った。あとはもう待って、受け容れるだけになった。私達生者が追い付けるところには、彼は、もういない。彼が螺旋の底へと辿り着くのを、待つだけだ。

 

とはいえ寂しいので、1階リビングに下ろしてくる。ぐったりしている。自分を支えることができない。生まれたてのようだ。座りポーズもとれず、上から見るとぺちゃんこに平べったく見える。

正面に回ってカメラを向けて、驚いた。別人の顔になっていた。私のどの記憶にもこんな「ちょび」はいない。目がつり上がり、口元は左側の牙が閉まらず剥き出て、顔全体が左右非対称にズレている。彼は、目も頭も顔も背も腹も全てが丸かった、太りすぎと言われていた。今こうして書いているときもその丸々とした姿が念頭にある。だが最期の彼は、別人になった。

ふと想起したのは千日回峰行で「堂入り」を果たした、僧の風貌だった。ドキュメンタリー番組で明かされた、9日間の断食・断水・不眠・不臥で死の領域に立った者の貌と、目の前の彼のそれとは似ていた。意味は全く違うが、生きながら死線に立っているという事態は同じだ。私達の傍にいた「ちょび」は、私からはもう見えない、はるか遠くの暗黒の線へと至ろうとしている。床の上で、ゆらゆらと震えるように重心の定まらない体は、その降下を続けているものと映った。

 

電気ストーブの前に座っているので、燃えたらいけないと見張っていたが、暑かったのか、足元にずりずり寄ってきた。

そしてやはり、私の部屋が気になるのか、廊下で立ち止まった。

 

ソファに上げてやって、「徹子の部屋」みたいな、対談風景みたいになった。アサカメのバックナンバー読みます?

妻氏が、いつものように前足を折り畳んであげようとしたが、うまく動かなかった。本来は両前足の先を自分の腹に向けて丸め、安定を増して座る。ふわふわ、ぐらぐらしている。

 

 

◆2026.3/17(火)晩、死去を確認

夜2時半頃、ずでんという音と衝撃があり、目を覚ますと頭の上でねこが転んでいた。トイレに行って帰ってくるとき、畳で滑ったらしい。

一体どこにそんな力が・・・ もう感嘆しかなかった。妻氏の布団に収まって抱かれて静かに眠っていればいいのに、そうはいかないのだという。一体何が彼を突き動かしているのか。彼は滑ったまま立つことができず、横になっていた。持ち上げて布団の中に戻してやる。もう寝ていればいいのに・・・言っても通じない。

一週間前から、布団の中で失禁してもいいように、それこそ絶命して体液が漏れた時のことを想定して、シーツの上にバスタオルを、シーツの下に尿取りシートを敷いていたのだが、無用というのだ。実際、無用に終わった。

 

私は本当に何を見ているのだろう。老い猫の老衰、ペットの死、家族の死、そんなものか? 何かもっと強いものを突き付けられていた。こんな感覚は・・・この感じは一体何だ??ペット、愛猫、家族、それらの枠の中にこれはなかった。今までの枠の中にこの歩行と転倒はなかった。今も言葉がない。

 

しかしそれも、もう終わりだと思った。出勤前に二人でふとんを見に行ったが、完全に、それは、いわばもう臓器が動いているだけの状態だった。

全身が冷たい。腹としっぽは動いている。かろうじて生きている。なんとか帰宅までもってほしい、なんとか看取りたいねと言いながら出社する。

 

19時半。偶然同じ電車になった妻氏と帰ってきた。

先に2階に上がってくれという。部屋の電気をつける。

ふとんをめくる。いない。

 

? あれ?

 

近くに置いていた猫用ベッドの中を見る。いない。

 

?? あれ?

 

そこいらを名前を呼んで探すが、いない。なんでや。

 

押し入れの中を覗こうとして、やっと押し入れの扉のあたりに、彼が横たわっているのに気付いた。完全に気配がなかった。

 

硬く、平らで、冷たかった。完全に物質になっていた。

彼が、完璧にやりぬいたことを知った。

暗い螺旋階段の底へ、ひとりで辿り着いたのだった。私達ヒトを巻き込まず、私達の目の届かないところで、着地したのだった。

 

敬意しかなかった。この感情は他に言い表しようがない。というよりもこの体に語彙が見当たらない。今まで感じたことのない感情だった。

 

情報サイトではこうある。「猫の死後硬直はおおむね2〜3時間後に始まり、半日〜1日で全身に及び、その後2〜4日で緩み始めます。」彼は完全に余すところなく全身が硬く、干物のように硬くなっていた。ほぼ1日経っていたのではないか。私達が出勤してから、ひとりになれた、そして、それからようやく「逝けた」、到達したのだと思った。

 

妻氏は傍で看取ってあげられなかったことを詫びていたが、私は私で、ショックを受けていた。

 

彼が「死」という「生」の最終階段を踏みおりるためには、私達ヒトは、気遣いの対象でしかなかったのかもしれない。あまりに弱く、鈍く、手の掛かる、獲物も自分で取れない、爪も牙もない、大きく、長命なだけの生命体。

 

――彼は私達ヒトを最初から最後まで気遣っていたのか。

 

親や職場の同僚や親友・仲間に気遣われるのとは意味が違う。別の世界線が、既存の理解の上に水平に積み上げられるのではなく斜めに上から突き刺さってきた。私達ヒトは、猫からすれば、恐ろしく頼りなく、弱く、どうしようもなく手の掛かる生き物だったのかもしれない。押し入れの床に、少しの尿と、便の痕のようなものを少しだけ残して、あとは、私達と断ち切れた時間の軸へ、音もなく立ち去った。何か圧倒的なラインを見せられた。うまく言葉にできない。死線ゆえに辿り着けないというのでも足りない。このラインを指す言葉はまだ手に入れられていない。

ペットとの末期の別れというのは、ヒトがヒトを看取るときの情愛や思慕や未練と同じものが反復されるものと想像していたが、違った。

私達は動物に包摂されていたし、時間はいつまでも共にあるどころか何時の間にか全く音も立てずに分離して、すごいスピードで去っていった。私達ヒトがすっかり忘れたか、気付かないふりをして生きることにした領域が何か見えるような気がした。だがそこに足を踏み入れてはならない。彼が見せたプライドの絶影は、私達が選びえなかった道の、不可能な可能性だったのか。全てはまたもとの時間へ収束される。その手続きは重々承知だ。食べて寝るうちに、閉じる。しかし。

 

敬意しかなかった。

妻氏のご実家に協力いただけ、亡骸は広大な土地の一角にて土に還してもらえる手筈が進んだ。一週間前から連絡を入れてくれていたので一瞬で話が進み、受け渡しを行い、また帰路についた。歴代の飼い猫が眠っているらしい。

合掌。

 

◇現在、3/21(土)。

妻氏は猫のショート動画を頻繁に見ている。保護猫の里親を募集しているサイトが色々あり、近々、見学に行くつもりでいる。

そのうち新しい猫がやってくる気がする。冒頭で書いたとおり、そうなると今この思いや記憶はもう無くなって思い出すこともできなくなるだろう。今ここに開かれた領域は、再び逆方向の力で埋められて閉じられる。すなわち動物状態からペットへ、そして家族へという融和的な関係性の流れだ。プライドの絶影を直に目の当たりにできるのは、またしばらく遠く先になるだろう。

 

私は平然とフォード自動車生産工場のような手つきで労働と休息を繰り返していたが、やはり2階にあがるとねこが「いる」前提で体が反応する。そして、今こうして書き起こしたことによって、何か理解や感情の裂け目に手を入れて、より大きく開けてしまったかもしれない。

閉じ方は知っている。食べて寝ると閉じる。

 

猫がもっと巨大な理解不能になった。素晴らしく理解不能になった。

 

( ◜◡゜)っ 完。