nekoSLASH_記録編(日常・登山)

『nekoSLASH』分家。日常、登山、廃墟、珍スポットの記録集。

【登山】R6.2/18_雪の高島トレイル・赤坂山(滋賀県、マキノ高原)

写真作家みっこはん(作家名mikko氏)、滋賀の山で「琵琶湖の水源となる最初の1滴」、日本海側からもたらされる雪が、福井県と滋賀県に分かれて落ちる分水嶺を求めて、雪の高島トレイル・赤坂山に赴いたのだった。雪はどこだ。

今回はそうした、撮影の山行である。

 

メンバーはいつもの山師匠オタケ氏、写真作家みっこはん、ドーピング人間(私)の3人でお送りします。安定感がある。

 

◆introduction:行先と作品制作

いつもの昭文社「山と高原地図」をごらんください。私は紙原理主義者なのでYAMAPもヤマレコも使わない。

行先はここですここ。琵琶湖の隣は福井県なんだよ。

マキノ高原から「赤坂山」へストレートに登ります。往復4時間程度の簡単なお仕事です。危険個所もない。なんならアイゼン要らず、スパッツとレインウェアさえあれば良い。簡単なお仕事です。わあい。

何なら三国山に寄ったり、下山ルートを工夫したりと目論んでいた。そういうアレンジ一切しなかった。山頂付近で撮影をがんばったのだ。初志を完徹。良き。

 

なお冒頭の写真の取り組みだが、みっこはんは「Reminders Photography Stronghold」のR6年1月「実験的ワークショップアトラスラボ・眼光紙背に徹す」に参加。これまで数年間にわたって撮り溜めてきた琵琶湖とその水源、分水嶺となる周囲の山の写真を「作品」として展開させるべく模索する中で、僅か1カ月ながら、このワークショップは非常に大きな刺激になったようだ。

 

そこで得られた結論として、テーマの核を表す1枚、すなわち「琵琶湖の水の源=雪」、「分水嶺の最たるもの=福井と滋賀の県境」、「日本海と琵琶湖の両方へ伸びてゆく視点=山の稜線上~山頂」といった要素を重ね合わせた写真を撮るべく、雪のある高島トレイル・赤坂山に登る必要があったのだ。

なお写真の色味が独特なのは、photoshopでエモいことをしたりフィルターでエモいのではなく、フィルムカメラ撮影、現像&手焼きという、いにしえの手法でやっているためです。 

 

なお本作『水は憶えている(仮題)』は、地形や風景論、琵琶湖そのものの作品ではない。成熟した大人の女性が、生きる中で何を選択し、どう歩んできたかを語り、考える作品である。勢いと上昇志向で走る20代・30代とは違う、自身の道の畳み方を考える50代・60代とも違う、様々な意思決定と環境の中で、選択肢を歩み続ける年齢ならではの思いが重ねられている、という。

乞うご期待。

 

 

◆5:50合流@うち →7:00合流@大津 →8:40マキノ高原

オタケ氏に朝早くからレンタカーを発進してもらい、順々にピックアップ。ポストモダンのその後の状況について言い表す言葉がないのは窮屈であるとか、沼と耕地と現在の風景・住宅地への変遷について思いを馳せた。全ては曖昧でひどい沼だったんだ。分かるか? 朝焼けの陽射しが雲を割って降り注いでいるのを目にして、咄嗟に連想されるのがフランス映画でも純文学でもなくFF6であるという事実は重い。サブカルの呪いの上に自我があり、それが国家感を形成している。FF7リメイクが高貴なホストとホステスの美顔世界になったのは源氏物語からの伝統だからだ、高貴な人種の顔をポリコレでマンドリルにするわけにはいかなかった、つまりもう一つの呪いとして麗しき血統としての皇族、天皇の神話が効いている。そんな話をした。してない。

 

滋賀は広いんだよ。大津に入ってからが本番である。大津には路面を走るやつがいる。

滋賀が広いのは、琵琶湖が広いからだ。琵琶湖西縦貫道を走っていると、時折、琵琶湖が姿を見せるのだが、それは想像以上に大きかった。湖というより、風景そのものであり、視界それ自体だった。空と同じように琵琶湖はそこにあった。渇水も何のその、無関係に空の色を照り返しているのだった。それは、人の生き死に、行方不明者の影すら飲み込んで曖昧にしてしまいそうなぐらい、大きい。

完。

 

 

( ´ - ` ) 終わってもうた。いかんいかん。

 

急に5月ぐらいの暖気に見舞われ、もう雪はだめなんじゃないかと思ったが、

いやそもそも雨が降ったる。雨やぞ。いややあああ。やめろやああああ。叫ぶ私。2月だというのに雪ですらない。なんやねんな。これ普通に雨やないか。雨に濡れるだけの山行ほどつらいものはない。1年で一番冷える時期にこの仕打ちはひどい。

 

8:30過ぎに「マキノ高原」入り。雪が全くない。うそやん。仮にもスキー場ではないのか。

はい。荒野が広がっている。

「マキノ高原温泉 さらさ」と元スキー場(現在は広大なテント場として再利用、冬季は子どもスキー場)です。すごいね、マキノと言えば関西を代表するスキー場だったのに、いつのまに廃業してたんや。

それもこれも雪が無いせいです。ないねん。暖冬どころか亜熱帯化である。

 

さらさちゃん。まあまあ可愛い気に入った。ビッチしろまるひめと近いものを感じる。ヤツのほうがもっと「わかっててやってる」堂の入りっぷりが深いが。

www.shiromaruhime.jp

 

廃屋カフェ。かつてスキー場だった名残り。ウェアやスキー板を貸し出していたであろう廃物件も脇に点在している。1980~90年代が、完全な「終わり」としてそこにあるのは、何とも複雑な気持ちだ。

と言いつつ、近所の「グランスノー奥伊吹」は昨年に「3季連続 入場者数過去最多」と活況を呈しており、なんだかわけがわからない。要は現代人の感覚に合うよう設備更新し、華やかさを演出することが必要ということか。

prtimes.jp

しらんしらん。写真家は流行やノリに追随しない。己が道を行くのだ。雪のない荒野を、山すそを歩き、あるのかどうか全然わからぬ雪―「最初の一滴」、源泉を求めて歩くのだ。誰かに作られあてがわれたエモーショナルな物語に乗るのではない。あるかどうか分からない断片を、写真という断片を繋ぎ合わせて自らの眼と手足で物語を作るのだ。TikTokでバズも狙わず暗室でピチャピチャとプリントを焼いている。そういう写真家の性質と所業の一環としてこの山行は為されている。しかし雪がねえな。大丈夫か。

 

◆9:00 登山口、開始。

暑い。気温が高すぎて、下半身がむちゃくちゃ暑い。

階段やあ(鬱)(´・_・`)

 

防寒に仕込んだタイツ、厚手のズボン、その上から耐雪のために履いたレインウェアの3重装備が、暑い。ひいひい。上半身もたいがいやばい。シャツ、ジオライン、レインウェアの3枚しか着ていないのに、やばい。

この日は大阪で最高気温18℃だとか。むちゃくちゃである。ここで標高350-400m程度、まあいくら涼しくても15℃はある。暑い。4月下旬にKYOTOGRAPHIEを回る時に近い暑さを感じる。

 

巨石、磐座を見ると、神を感じるわけだが、インスタレーションアートの原点ではないのか。そこに何かが「居る」ことを思わせる場所。なぜそう思うのか。共感力を高めすぎてしまったのか。ヒトは想像力、連想力から逃れられない。つまり神から逃げられない。それを殺せるとしたら革命に伴う破壊行為か、トートロジー的なアートの作法か、自らが神(=想像力)に成り変わって座するのか。おほほ。ゴッホはなぜ自分の耳を切った?

 

登山道のスタートからは、こうして階段がずっと続く。これがきつい。親切心で作られている接待道だというのに嫌がらせのようにこたえる。段差のピッチが人体に合わないのだ。うちら3名、体形バラバラなのだが、どの体形にも合うてない笑。人体の定型を定め おいコルビュジエをよべ。15分ほど汗をだらだら流しながらピッチ闘争をした。

 

振り返ると、空が地面に食い込んでいた。それは広大な琵琶湖であった。地が空に落ちたような光景であった。山頂に行けばもっと全貌が見渡せるだろうと話をしたが、それは全く叶わなかった。なんと稜線から上は、猛烈な雨と風が吹き続ける霧の中だったのだ。天候の差が極端すぎて、GWに山で登山者が毎年死ぬのもむべなるかな、と納得した。

 

ものの20分ほどでそれっぽい場所に出るが、まだ地図上のどのプロットポイントでもないのでぬかよろこびしないように。

 

足元が最悪である。グチュッグチュッぬかるみヴチュッ。寒い日にはそれなりに雪が積もって、この週が高温すぎて全部溶けグチュッ。スパッツがない人間は泣く。

 

30分弱歩いてようやく雪の残存が出てきた。無いことはなさそうで安心。ウィザードリィのスライムを思わせる、平べったくへばりついた形状。

 

うみうし的で可愛かった。これが9:30時点。

 

なお下山時14:05の姿がこちら。雪溶けが広がっている。

時計が早回しにされたような気持ちになった。冬が今ここで終わっていくのだ。

言うてもまあこのblog書いてる時点でまた冷え込んでるんで終わってないんですけどね。終われや🤤

 

ウィザードリィのスライム的な残雪が続く。これはこれでいいんやが。道と気温は完全に春仕様。珍奇な光景ということで楽しんでおりますが、何をどう撮ったらいいものか分からぬ。撮るけど。

 

周囲にも雪が全く無い。

向こうの山をご覧なせえ。どこにも雪なんてありゃしませんよ。

やつは春なんでさ。へっへへ。冬なんて地上のどこにも残っちゃいませんや。

 

誰やねん(´・_・`) 温暖化の下男だ(´・_・`) こうした大きくて具体的な変異を目の当たりにして不安を得るとき、人はすぐ救済を得ようとするが、その選択肢の有力なものの一つに陰謀論が数えられるだろう。自己に不安を作らせないためには科学的態度か、不安を吸収・分散させるunion、コミュニティが不可欠だが、陰謀論供給者らはその両者をも逆手にとってブレンドして織り込んでいるのでたちが悪い。おのれ畜生。怒るからまた体温が上がる。

 

まだ休むには早すぎる箇所にベンチ。ずいぶん念入りで、メジャーな道であることを物語っている。

 

「これが琵琶湖の水源なのだ、このじゅくじゅくとした雪解けの泥水が、あれに通じているのだ」急に盛り上がってまいりました。私が作品作ってるんじゃないんだけどな。

いかなる神秘も崇高さも、その実体はこういう汚濁や小さな混ざり合いから始まっている。ビチャッビチャッ。アウトドアもそうだ。快適なアウトドア、なんていうのは最初から矛盾している。だからこそ娯楽となり得るといえばそうなのだが。野外、自然など、まさしくこういうグチャッた泥水みたいなものだ。忘れてはならない。

 

そういえばアウトドア用品でお馴染みのスノーピーク社、2023年12月期決算で売上高が前期比16%減の257億円、純利益が同99%減の100万円(!)であちこちで報道されていた。株価下落やらで騒がれたがアメリカの投資ファンド傘下企業がTOBで買い付け、これで一旦収まったんかな。株情報サイトでは来期予測で純利益が1130百万円(1130倍)となっていた。みんな山いこうで山。

 

入口から45~50分登ると、雪面積が増えてきて、木々の根元にも雪が多く見られるようになってきた。これは上の方の雪、期待できるのではないか?

 

いうても地面おもいっきり見えてますけどね(´・_・`) 2月のマキノやぞ、

 

木々の湾曲がすごいことになってきた。風がないのに根元から孤を描いているのは、言うまでもなく冬季の積雪量がすごいからだ。そして階段がまた始まったが、今度のは雪に埋もれている。確実に雪が増えてきている。凍ってもおらず、踏み固められた上で溶けていて、靴のホールドがやや悪い。

 

 

 

◆10:00~10:20_「武奈の木平」のあずまやでアイゼン装着

なんだなんだ。いきなり雪国ではないか。

階段の坂道からいったん広い平地に出ると、様相が一変した。一面の雪だし、ガスってるし、吃驚した。気流が違うのか?

 

予想外に雪が多く、歩きづらそうと判断し、アイゼンを装着することに。雪量は知れてるが登山靴の靴底では滑りそうでいやだ。本来の滋賀の雪深さならワカンやスノーシューの方が良いのでは、とも思っていたが、逆に邪魔になるところだった。あぶねえ。

 

本来の姿。麓の高島トレイルビジターセンターに貼ってあった写真である。えぐいぐらい世界観が全然違う。おわかりいただけただろうか。こんなに違うのやから、人は冬の雪山に行くのである。

 

そんで12本爪のめんどくさいアイゼン(セミワンタッチ)しか持ってないから、装着に時間かかるの。ああっバンド(紐)の処理どないすんやっけ。わからん。(^<^)ノ アー。

yamahack.com

アイゼン装着&歩行の復習ができただけでも、来た甲斐があったと言える。最近まじでちゃんとした登山やってないんで、あやしくて。

 

※案の定、バンドの折り返し方が間違っていたため、この後1~2分歩いたところで踵が完全に外れて付け直しの刑です。5分はロスした。アルプスの稜線上でなくてよかった。

 

 

◆10:30~ 稜線に向かって登る

雪景色も立派であるが、なんと上半身はアンダーシャツ+レインウェアの2枚のみ。後に雨風が吹いたら冷えたが、それまでは割と適温であった。何なら自宅の方が寒い。エアコン28℃に服3~4枚着込んでさむいさむい言うとるだよ。ジオラインと山用フリースまで使ってるのに家の方が寒い。つまり行動すると発熱タイプである。どうでもいい。

 

はい。川沿い歩いていくよ。

雪面がすごく増えたので、アイゼンが便利なのだが、砂防ダムの脇を上る時などに石段を爪がガチガチするので不安定だし、「キーッ」「ギィーッ」と金属のひっかき音が鳴り、生理的に不快。神経質な人にアイゼンは向かない。

 

そもそも2月の滋賀の山奥で「アイゼンの爪が岩に当たって不快だ」などと言ってる状況がおかしいんだが。腰まで雪に埋もれるのが滋賀の北部である。そういう意味ではひどく平和な山行。

まあ溶けた雪が雫となり、川となって流れてゆく様が観察できるという点では、本来の趣旨にものすごく適っており、文句のつけようもない。シャバシャバでドバドバ。撮り放題です。赤坂山は巨大な蛇口のように琵琶湖へ水を垂れ流す。

 

明らかに小川が生き生きとしていて、清流も清流である。季節がちがうんや。だがおいしいカットである。撮影会を開始。

なんか登ってると登山が主眼になって撮影が二の次になるんですわ。登山脳と写真家脳というモードがあるのをご存じかね。

 

シダ、コケ、ササと、四季に関係なく青々としたやつらが、水辺で生き生きとしており、初夏のような清涼感を漂わせている。生命力というのはこちらの主観を食い破ってくる。造形の奇妙さと生命力の予測不可能性を兼ね備えたるものが植物である。それを工芸品の美のようにして撮影し提示したカール・ブロスフェルトは凄い。カメラと人間との間に距離があったからこその感性だろうか。今やカメラは身体、動きに追随し拡張的なものとなっているので、植物に対するフレーミングの前提も変わろうというものだ。

 

山に動物や鳥の気配はない。電気が漏れて擦れるような「ジィー」という音が響いている。鉄塔が立っているらしいので、その電波か何かだろう。イタチでもタヌキでも出てくれて良いんだよ? 出ねえな(´・_・`)

 

ガスが立ち込め、周りは白くなってきた。いい雰囲気。危険個所もなく、筋トレ登山のような状況なので、もう歩くことに意識が10%ぐらいしか向かっておらず、残りはエンドレス再生されまくるZARDのアップテンポな名曲の迷宮に居た。『愛は暗闇の中で』『女でいたい』『私だけ見つめて』がぐるぐると回る。そのイントロと声の中を回る。何をしに雪山に来たのか。しらんしらん。私は。しらん。

なぜ何もないところで身体を動かしていると、意識の内側、感覚の反響しかないところに陥るのか、どんどん外界が遠のいていく。外界そのものであるはずの「自然」にいることで、逆にコミュニケーション不可欠な「他者」への回路が断たれ、それが内部で円環のような独自のネットワークを成す。新しい音楽は生まれない。ただただ古いメモリーナンバーが反復される。だが懐かしさはない。反復から「今」が生じてくる。あっこの黒ツヤの激しい草かっこいいすね。

イワカガミというらしい。マジで鏡。すごい光ってたすよ。雪をはねのけていた。

 

登るにつれて風が露骨に強くなってきて、さすがに寒さも感じてきた。山の斜面がどの方角に向いているかで、風の吹き付け方が違うようだ。風の弱いところは雪の溶けた水がジョボジョボと音を立てて流れ、強いところは寒い。

 

 

◆11:20_ロープ、稜線への道、鉄塔1

なんか急にロープが出てきた。要るんかなこれ。

森の天井が抜けて空になり、稜線にのっていくルートが開けた。風がなあ。強いんや。

 

そして雪もモフモフではない。ズボズボ。

人の歩いた後は踏み固められていてまだ上を歩けるが、道を外すとズボる。

 

「ヴッ」「あ”っ」「もう・・・」 面白いぐらい引っ掛かる。

 

人のこと言うてたら自分も落ちる。

 

あっほら右手に鉄塔が見えてきました。おそらく地図上にプロットされているやつ。

鉄塔1。のちにもう1本出ます。

白いガスの中に幻や象徴のように立つ。旧共産圏のシンボル建築のようであった。砂上の楼閣ならぬ、白日の革命。ついに革命は来なかった。かつての武装戦線の爆破犯は病床から身元を明かした。元SEALDsは叩かれるだけの境遇。私達は政権とグローバル企業のよき従僕となり一体化することで、生産性と自己責任論をインストールされた上で生活と優越を得た。何だろうな。それはそれでいいんだ。革命など鬱陶しい。だがなあ。雨風とZARDが鳴りやまない。何だろうな。

 

思わせぶりな広場に出たが、道標はここが「赤坂山歩道」であること、つまり稜線上であることを示しているだけだった。本来は道が見えているのだろう。木々はより奇怪な踊りを舞っている。祭だ。

 

 

◆11:30「粟柄越」~鉄塔2、山頂へ

地図の「粟柄越(あわがらごえ)」、要は四方の道の合流点である。我々の登ってきたマキノ高原からの道、反対側の福井県側からの道、西の大谷山からの道、そして東の赤坂山山頂~三国山へ続く道が、ここで合流する。

が、雨風とガスでようわからんのですわ。ビュゴオオオ。雨量は少ないがフードをかぶらないと雨が痛い。ばちばちいうとる。数十m先が白くて見えない。

「これ昼飯の煮炊きできるとこないんちゃうか」「身を守るものがないな」「登ってもこんなんやったら赤坂山で引き返していいんちゃう」「下りてから温泉で飯くおうや」「三国山どうする」「もういいんちゃう」モチベが全然ない笑。うける笑。

 


www.youtube.com

ばちばちびゅうびゅういっててウケるよ。危険とかは一切ないけどこれがずっと続くのは辛いんやで。飯は食えんな。

 

じゃぁとりあえず山頂を踏みに行きます。

起伏も乏しいから登るのはしんどくないが、風が冷たくてしかも濡れると、地味に力を削られていく。なぜだ。風が体力を削る?? 防風対策は出来ているぞ。なんやねんな体力削るなんてありえへんわ、と思っていたが、そもそも服2枚しか着てないのがよろしくないのではないか(よくない。早く追加で着ろ。あと雨で中が濡れるからザックカバーを付けろ。)。

右手に巨石と、その中に石仏がおる。昔から使われてきた道のようだ。

これの近くに寄って確認しに行ってない時点で、地味に疲労が溜まっている証拠。疲れてくると人間は判断と行動の省エネをやり始め、けっこう雑に断捨離をするのである。登りの中盤あたりで痴話喧嘩や別れ話などをすると、即攻で話がまとまるのではないか。夜の駅の改札口前でやるより10倍速く別れられるだろう。恋バナに興味はないが別れ話は良いね。熱力学第2法則を感じる。(努力をせえ

 

鉄塔2。地図にないやつ。これも遥かなる遠く彼方の、辿り着くことのできない憧憬としての旧共産圏を思わせる。何をいうとるんや。わからん。建築、構造物は、人に神以外のものを見せるのだ。それは思想であり社会である。黒川紀章のメタボリズムは勿体なかった、もっとその先を見てみたかった。

 

みっこはんも撮影どころではない。釣り堀のフナぐらい罠にかかりまくっている。

やはり気温が高すぎるようで、足元の雪は溶けていでズボズボ、ビチャビチャなのだ。もう琵琶湖の水源がどうのというより・・・一体これは何の種目なんだろうか。ズボ

ズチュッ ズチュッ

( ´ - ` ) 

 

 

◆11:50_山頂 → 下山 → 撮影会

はい山頂。

おつでした。山全体が小高い丘という感じで何の感動も達成感もない。

白いし。雨が痛い。

本来の姿。へえ(感情の無い声)

日本海側と琵琶湖が一望できるわけですな。分水嶺の背に立っていることを確認できますね。それはそれは結構なスポットで

風が強すぎて全然長居してられへんが。

記念撮影だけ義務的にこなし、5分で下山します。こんなとこでゆうちょうにメシくっとったらしぬどす。

 

なんか書いてる。「琵琶湖は世界的にも古い湖」とか基礎的な小話ですね。ここでジオラインを足してザックカバーを付けるとかやることあっただろうにと思う。まあ風が強かったんだ。

 

写真では無人に見えるが、変な天候のわりにけっこう他の登山客と会っている。登山口へのアクセスが超良い、かつ難易度がゼロのため。印象的だったのが4人以上のグループ。中には十人前後で隊列を組んだ高校生~大学生ぐらいの若い子集団も2回遭遇した。こんな安全に冬山経験値を得られるスポットはなかなかないですからな。

 

安全ゆえに本来の目的を果たしましょう。すなわち撮影会である。

景色は悪いが、溶けかけた雪と流れ出た水なら大量にある。これです。これ全部が琵琶湖の素です。ここを撮りましょう。ここがすなわち琵琶湖。うおお。面白くなってきた。

いうても私は作者やないんで「これが良いんでは」「これも」「あれも」と風景にいいねを押す係。

水の惑星である。触れるもの全てが水。なんぼでも水。さすがに水の豊富さに驚かされた。一つの山でこれだけびちゃびちゃなのであれば、そら、琵琶湖あんな大きくなるわと納得した。どこにあるのか見えませんけどね琵琶湖。

 

撮影を待ってじっとしていたら、風が濡れたレインウェアから徐々に攻め込んできて、二の腕~肩あたりから体力を奪っていた。あかんやんか。なにをしとる(/_\) 

稜線上で濡れたり着替えを怠って風に吹かれて身体を冷やす、GWとかに最も凍死するパターンである。あっ風吹涼子というセクシー女優を思い付いた。あかんてそういうことしてる場合じゃないから。服を着ろ。※着ませんでした。中途半端に暖かくてよかったですね。まあそれも織り込み済みでやってますから。

 

鉄塔2。やはり旧共産圏の象徴物だ。うむ。

寒さがそう思わせているところもある。しかし寒い寒いと言っても、雨ばかりで全く雪が降ってこない。

 

鉄塔2の傍の道がすごい溶けてるんや。電磁波が!

うそです

 

 

◆12:25「粟柄越」 →撮影会2 →稜線から退避

ここに琵琶湖があり、これが琵琶湖なのだ。

 

言うてたら雪にはまるよ。ドリフの世界が展開したかのように落とし穴にはまりまくる。指さして笑ってた3分後には自分がはまって抜けられなくなった。グボォア。けどそんな雨と風と雪の中でも「EOS 5D Mark Ⅳ + EF24-70mm F2.8L Ⅱ USM」はノーガードで正常作動しています。すごいんやてほんまに。本日の優勝はCanon機体。

 

木々と雪と根元の溶け具合がよいため、みっこはん撮影会2。

行き交う登山者が「?」「何かあったんですか?」と立ち止まる。ほぼうつ伏せで撮影してましたからね。木々の根元の水を撮ってましたんや。まあ指輪落としたか、盲腸炎でうずくまってるように見えますわな。へへ。

水の惑星でした。ええすね。

( ´ - ` )

 

体は冷えたが水の素晴らしさがよく分かった。ガンが消えたり知能指数が上がったりしませんかね。しません。はい。

 

気温がじわじわ上がり続けているのか、下山中もそこいらじゅうビタビタというか、溶けた雪の水がチョロチョロ、チョロチョロと流れているのが目につく。木々が受け止めた雨が収束されて流れになっているのか。

一本、大きな木が、上の葉や枝から水を受けて、濡れに濡れていた。根元を見ると、その水分の流れがはっきりと小さな線になっていた。

屋久島みたいな光景でテンション上がりますね。上がった。

 

 

粋なことを。やったの誰すか(誉め言葉)。

 

※後に真似したけど雪がシャーベット状で、丸めたものに木の枝を付けたりするのが出来なかった。これどうやったんすか。いいなあ。

 

また無心で歩いていたらしい。記憶が特にない。

妄想も邪念もなく、他者もいない。だが自然と一体化したわけでもない。マッサージが十分に効いた状態と言うべきか。きっと20数年前、30年前、パラパラを踊っていた人生の先輩方もそういう境地にあったのだろう。でなければあんな奇怪で退屈極まりない動きを機械的に続けることはできまい。モテやエロ、名誉欲すら超えたものに突き動かされていたのではないか。

 

 

13:15、砂防ダムの上あたりまで下りてきた。

この岩々したところ、アイゼンがガチガチ当たってキイキイ鳴る。ああっああっやめてっっ。ちくせう。

上から見た時「なんで雪面に寝そべってるんだろう… 快楽かな…」と訝しんだが、ピッケルを用いた制動レッスンだった。そうよね😋

 

 

 

◆13:25「武奈の木平」、アイゼン片付け →更に下山

あずまやに着。うわあ満員や。昼飯タイムだろうか。

アイゼンを脱ぎます。もうやだ。役には立ったけど生理的に良いもんでもない。(生理的にどうとかではなく、この先から雪が激減し不要となるため外します。不快だからという理由でアイゼンを外すのは危険なので止めてください)

 

そしてなぜかこの段階になって、ザックにレインカバーを取り付け、上半身に服を1枚追加した。なぜだ。なぜそれを稜線上でさっさとやらなかったのだ。ここから先は暑くなるし雨もあれ以上強くならへんぞ。わああいみわからん。

正常な判断と行動が遅れてやってきている。低体温症の人の症例を見ているようで心苦しいばかりである。インシデントレポートとして反省を記録しておく。まあ読み返さないのだが。こんな長いblog誰が読むんだ。読まねえよ(怒)。それでもかたくなにYAMAP、ヤマレコの採用を拒む私。つまりはエクリチュールの快楽である。「それ言いたかっただけやろ」はい。

 

アイゼンを解いていると、ベンチにいたグループの職場の山仲間?のイキッた言動とか困った性格の話が聞こえてきて、ほっこりした。自然の中、山の中だからこそ、人間関係の話題が最高のごちそうになるわけだ。私も大阪府知事とか吉本興業のわるぐちを言うか…。後にプラスマイナスの岩橋が「真木よう子にエアガンで撃たれた」とX告発し、吉本からコンビは契約解除され、真木よう子が「重度の精神障害者かな」と応答して炎上、まあ下界は地獄なわけです。こわ。

直下の階段あたりを抜けたら、極端に雪が減る。やはり異様な光景だ。冬なんてどこにも無いんでやすよ旦那… 地上のどこにもそんなものありませんや(温暖化の下男) うるせえ黙って日本海のしめった空気をもってこいってんだ。

 

雪が溶けるとそれはそれで木々の姿形に眼がいくようになる。まあいつもの登山ですね。奇怪な、定形外のものに出くわしながら通過し忘れ去ってゆくことを繰り返す、遭遇と忘却の無責任な連続が、いいんですよ。それを夜の飲み屋とかマッチングアプリなど対人関係、異性関係によって行う人もいるし、海外旅行でやる人もいる。私はオブジェクトとテクストによってそれらを繰り返す… 遺伝子的な義務のように律義に繰り返す。

 

おっゲレンデ跡地が見えてきた。階段を下りるだけの筋トレ。翌日ヒザが痛かった。

 

 

◆14:20 下山 →「さらさ温泉」 →15:30 食堂でカツ丼、終了。

この登山道も元はゲレンデの一部。見る影もございません。

反対側の斜面も含めると結構な広さで、スキー場というのは潤沢な面積が必要なのだなあと知った。他の催しに転用するには広すぎて持て余す。フジロックとかやります?

 

手前の方のごく少しだけ、「サンキッド」という子供用スキーエリアがあり、そのための短いリフトが設置されている。敷地を持て余しすぎててシュールだ。しかも雪が無さ過ぎて閉店状態。ひでえ。実家がスキー場経営してなくて本当によかった。

 

昔の劇画調が混ざってて怖い。

 

 

「マキノ鉱山」「北牧野製鉄遺跡」気になる情報きた。

『続日本紀』(762年)に藤原仲麻呂が朝廷から近江国の浅井郡、高島郡の「鉄穴(てっけつ)」を賜ったとの記述があるという。

もう早く風呂入ってご飯食べたいから散策しませんけど、スキー場あたりに古代の製鉄所跡と考えられる遺跡があるのだという。

 

琵琶湖は水だけでなく、その背後に鉄をも湛えていたというのか。何やら神秘的なイメージから一気に国家としての色を帯びてきたな。鉄は武力ぞ。

 

「さらさ温泉」(大人750円)で速やかにリフレッシュします。短時間のイージープレイだったため、何の傷もダメージもなく、単に汗を流した程度。こんな軽い山行が今まであっただろうか。て言うてるけど翌日仕事にならんぐらいだるかった。なぜだ。疲労のメカニズムが謎すぎる。

 

makinokougen.co.jp

温泉と名乗ってるが、本当に温泉だった。露天風呂が芋を洗う桶のように狭かったので、「野郎どもが芋洗いのごとく体をぎゅうぎゅうに押し込み、互いの体を押し付け合い擦り合わせて肉を洗う風呂である」などと男肉芋洗い風呂の詩をそらんじ、体が温まった。

 

あがったらコーヒー牛乳飲んで、食堂でソースカツ丼をします。駒ヶ根でもないのにソースカツ丼を頼むやつ。

まあ普通でした。駒ヶ根のソースカツ丼が食べたい。

朝が早かったのと、カフェイン摂れてないので、眠くて仕方がない。ああう。

ねる。

 

温泉から遅れて上がってきたみっこはん、ラストオーダーに間に合わず、飯の提供を断られる。ええっまじすか。我々はギリギリに滑り込んだ模様。ギリギリカツ丼。

 

マキノ高原、広いなあ。ほんと広い。

 

そして我々が登って下りてきた山、上の方が完全に雲・ガスに覆われていて、何も見えない。上にいる時は下のことが全く見えず。全容がよく分からん山行でしたね。まあ全然それでよいです。見えてもいいし見えなくてもいい。それが山。

 

さらさちゃんが出るモードがあるのかと思ったら、何も入ってなかった。無のボタンである。

 

「温泉ビットと地中1500mのスライム」「江若花崗岩」よくわからんけど素敵なものであることは分かる。登山をやる人は地学をやるべきです。地学ちゃんねるとか見ようかな。

 

さらさちゃんは「サラサドウダンツツジ」が亜人化したものであることが判明。だいぶフォルム違うけど、、かわいいからそれでいいです(´・_・`)

 

ホワイトアウトするスキーヤーと、水の精霊ウンディーネ(マキノ地域個体群)。

 

 

薪がすごい良い匂い。買って帰ったら家族におこられます。テント場でつかいましょう。家に置いときたいが。

 

これにて山行は終了した。撮影の結果がどうだったかは、またそのうち分かるだろう。フィルム写真、しかも手焼きなので、時間がかかるのだ。水は答えを知っている。いやそれちがうやつ。はい。

 

さきにも書いたが、楽勝な山行だったのに翌日まったく仕事にならんレベルで疲れ果て、コロナ後遺症を疑うレベルでした。政府さんお金ください。

 

( ´ - ` ) 完。