三連休最終日、早朝から「仙丈ケ岳」アタックに行きます。通称「南アルプスの女王」、難易度はゆるく、たのしい山行となるはず。はず。
たのしいね。 腸があばれてくるしみます。またかよ。
- ■MAP確認_仙丈ケ岳
- ■9/18(月)3時過ぎ起床 ~ 4時出発
- ■4:05 登山口 ~ 樹林帯 ~ 5:27「大滝ノ頭 5合目」
- ■森から稜線へ ~ 6:30「小仙丈ケ岳」
- ■6:35「小仙丈ケ岳」 ~ 7:10 仙丈小屋への分岐点
- ■カール上の稜線歩き ~ 7:32 登頂
- ■朝めし(本番)
甲斐駒ヶ岳の直登ルートと、下山のアップダウンで力を使い果たした私。なおかつ腸がバカになってて下山時にビービーブーブー言うから死にそうになる。泣いてる。
■MAP確認_仙丈ケ岳
今回は緑のルート。難所もなく、シンプルに登った道を下りてくるだけのお仕事です。景色が良いと言われている。
往路4時間、復路2時間40分。頂上で飯や大休止をとるとなると実質7時間超となる。朝4時発なら11時台には下山でき、テント撤収など十分に余裕があるが、前日の甲斐駒の下山で17時を回ったりしたので、油断できない。
13時に来る林道バスに乗りたいので、それまでに下りて来れるかが勝負。バスに間に合うことを目指し、緊張感のある山行をやります。こういうときの私は仕事の数倍緊張感がある。やるぞ。
■9/18(月)3時過ぎ起床 ~ 4時出発
アラームより早くスッと起きれるのだった。仕事より正確かつ意欲的である。人事評価に山行も算定されたら上ブレが凄いと思う。
また夜通しずっと夢を見ていた。仕事の夢である。ミーティングを開いてタスク割り振りや問題点の洗い出しなど自ら仕切っていた。つまり登山とはそういうテンションが持続する類の活動だということだ。山は私にとって仕事以上にマジな場なのだと判明した。なんでや。昨夕は脱糞の危険があったからな。仕方ないじゃん。やん。
ひしゃげてベチャベチャに蜂蜜のはみ出たコンビニのホットケーキを、ベトベトになりながら喰らっては冷水で口をゆすぎ、これを仮の朝めしとする。真・朝飯は山頂に着いた際にコッヘルで煮炊きして食す計画である。
荷物もできるだけデポしておく。上で煮炊きするからそんなに減らないんだが。
ちなみに懸案の体力・筋力と体調については、あれだけ昨夕死んでいたのだが、わりとまともなコンディションに戻っていた。
なお、下山時に最大の問題点となっていた例の件について、大いに懸念があったので、トイレで腸をしぼり、ガスを出せるだけ出しておいた。ぐぬう。私はナマコか。そうなんだよ。ぐぬう( ´ ¬`) ブババ。ババーブ。
泣いてないでさっさと登りますよ。
気温がいうほど低くない。動くと半袖でOK。
■4:05 登山口 ~ 樹林帯 ~ 5:27「大滝ノ頭 5合目」
登山口はバスが折り返し運転する太い道の脇にある。テント場から上がってきた道からそのまま真っすぐ車道を横切ると登山口である。入口の脇にはまた飲み水が流れっぱなしになっている。豊かだ。
辺りは暗い。真っ暗である。ヘッデンを新調してよかった。
暗くて静かだ。静かで暗い。暗い。ただただ歩く。歩いて進むのみ。歩くことがすなわち時間である。思索すら要らない時間が流れる。いやもう樹林帯さあ退屈。闇夜だからトランス状態で心身が自動的に動いているが、日中だったら疲弊してそうな気がする。
GPSで時間&地点管理。まだ15分ぐらいしか登ってません。登山開始のセットだったかもしれない。まめに操作しないと正しいログが取れないんやて。
とにかく真っ暗なので写真が少ない。秋の午前4時は夜と大差がない。が、登山者は既に動き出している。遠くが光ったり物音がするのは、全て先行者である。
会話も思索もなく闇と木の根と段差を歩いてゆく。あまりに変化が乏しいせいか、地図上では次のスポット「大滝ノ頭 五合目」まで2時間とだけある。途中に「二合目」があるがタイムは不明。
2時間ただただ登るというのはけっこうな苦行である。「登る」動作しかない上に、自重と荷物を持ち上げて前に運ぶことのただただ繰り返しで、そのままの大きな時間と労力の塊だとあまりに辛い。
そのため「30分の登りを4回繰り返す」とか、更に「15分の登りを8回繰り返す」、もっと「10分を12回」などとタスク分割し、ミニマルな反復に還元して感覚を麻痺させる。半自動運転のトランス状態は容易に作り出される。私達は正方形の宇宙に閉じながら歩くことができるのだ。ちきゅうのみなさんおげんきで。
4:34、二合目。
まだあと8割も残っている。
などと思ってはいけない。
後先のことを見据えながらも考えないことが自動運転トランスでは重要となる。言ってることが矛盾しているが実際それを実践することで、辛くない登山となり、辛さの向こうにあるものを直視できる。 ※今ちょうしが良いだけです。あとで泣きます。
1組、2組かの先行者を追い抜いた。まずまずのペースで進めているようだ。
4:56、大所帯を追い越す。
引率者が2~3人いて交通整理をしていた。大所帯である。仙丈ケ岳は難易度が低く、景色も良い上に、百名山の一つであり、3,000m級である。つまり気さくなアイドルなのだ。みんな憧れクラスのトップアイドル。仙丈さん、あんたの闇が見たいな。あらやだ、私の闇を覗くだなんて、あなたが自分の闇を見てるだけよ。ウフフ。おほほ。キャッキャッ。※一人で会話してます。
( ´ ¬`) あほなこと言うてたら日が昇ってきた。闇が終わり、朝が来ます。ウェッヘッヘッヘッ。
闇ィ~~を 溶かすよ~ うに切 ッり ッ裂い ッッて~ェ♬
そんな歌はあらへん。
視界の上に3人組のパーティーが休んでいるのが見えた。別パーティーで来ていた仲間:みっこはん組であった。えっ我々よりもっと早くから行動していたのか。追い越して先へゆく。一定のペースで登り続けることが今は気持ちいい。
いい、
5:11、圧倒的登り。
( ´ ¬`) おい登りが過ぎるぞ。
本気出してくんなや(泣いている
5:23、圧倒的登り。
まあ今はいいです。許す。
これさあ、下山でずっと同じような光景&急な下り坂を強いられるってことですよね。木の根と岩の段差に耐え続けるような。脚を傷めるね確実ねこれ。傷める足ね。
5:27「大滝ノ頭 五合目」。
コースタイム2時間のところ、1時間半弱で来られた。この短縮は大きい。仙丈のコースタイムの設定自体が、初心者やライト層寄りになっていて、基準が緩いのかも知れない。もしそうだとすれば想定より早く下山できるかもしれない。
この時点で早くも、かかとの靴擦れの予感がしている。まずい。靴を脱いで絆創膏を貼ります。ありったけ貼るぞ。
前回の山行でメタメタに擦り切れた両足親指の側面には、昨夜のうちに2枚ずつ絆創膏を貼ってガード済み。今回はぬかりない。勝ったな。
⇒途中で絆創膏が剥がれており、何の意味もありませんでした。皮ベロン。痛い。めちゃくちゃ痛い。登山には普通の絆創膏は通用しないことが判明。
■森から稜線へ ~ 6:30「小仙丈ケ岳」
木々が多く、深い森である。だが登っている最中はトランス状態のため、足元の運動と地形にしか関心が向かない。見ているのに見えていない。
このへんからはみっこさん組の後ろについて歩いており、実質5人パーティー状態になっている。普段の登山が2人組、多くて3人パなので今回は例外的な。
ごらん朝日が綺麗ですよ。
えっなに。どうでもいいわ私。
あらやだ綺麗。金パブより黄金色だわ。
陽は登り、登りはまた繰り返す。まあ登山ですから。登りますよね。
完全に前2人と後ろ3人(みっこはん、私、オタケ氏)で分かれてしまい、いつもの山行と変わらない様相を呈する。先月できなかったことが、うんめいリセット&ループによって、1ヵ月おいて果たされている。なにバックアップ機能ついてんすか地球は。
※前回の山行:みっこはんが合流と同時に脱落しました。
ごらんきれいな朝日だよォッッッヒッヒッヒッヒッウェエッヘッヘッヘッヘッ
ウェッヘッヘッヘッヘッッヘンリーウェッセルJr.ェッヘッヘッヘッヘッ
テンションおかしくてみっこはんにイエローカード出された。高山病はすっかり治っている。
何山か忘れたが、方向的には北岳(3,193m)ではないだろうか。晴れたときにリベンジしてみたい。
5:56、六合目。
何だかんだでまあまあ登ってきた。眺望がとにかく良い。接待登山には最適。
あれは頂上か!?
地図をまめに見ていないとこういう時に「あれが仙丈ケ岳のピークだ」と勝手に思い込み、期待して、裏切られ、勝手に疲弊して自滅します。あれは「小仙丈ケ岳」。なんなんすか、なんなんすか「小」って。「ヒメボタル」「コクワガタ」「小スキピオ」みたいな名称、い、いけてると思っているのか。お、愚かな。ほ、滅びよ。許せん。踏破します。
朝というものがこんなに美しく、奥行きがあって、豊かで太いものだとは知らなかった。私は今はじめて朝を感じている。
うそだ。これまでも年齢に応じて段階的にこうやって、包み込まれるような「朝」を体感してきた。これは、感傷だ。美しき、物語だ。知っているぞ。そうやって人間は自身の人生を有意義に彩り、自分というものを形作っていく。だがここは山だ。語りが通用するのはもう少し先のことだ。登らねばならない。小のつく仙丈とやらへ。
そうしてようやく小仙丈ケ岳への稜線に出た。
遠くにはっきりと富士山の影/形が見えた。台形である。もはや「山」であることを超えて、純度の高い図形となっている。それに遠すぎて、地形というより光を透過した「影」である。山のイデアだ。なぜこれほどまでに人類が魅了され、狂ったように登りたがるのか、少し分かった気もする。富士山は、真理の結晶体として我々に訴えかけてくる存在なのだ。
しかし甲斐駒ヶ岳といい仙丈ケ岳といい、花が全然ない。季節柄なのか、そういう植生なのか、高山植物ならではの花の姿がない。赤い花の群生があると思ったらナナカマドの実だった。花じゃないや。まあ赤ければどっちでもいい。赤い実、それは散った新左翼、連合赤軍の闘士たちの魂。合掌。
6:30、小仙丈ケ岳。
登頂した気分にさせてくれるけど手前のピークにすぎない、が登頂したも同様の平和で幸福な空気に満ちている。広いのでひるめしポイントに良い。
( ´ ε` ) 小休止します。
\アッ/
ガラッ🙄 ガシャーッ🙃
「うぐう」
浮き石に体重をかけたら成す術もなく転倒!あざやかな転倒!
「hypernekoさんが滑落した!」
「えっ何」「えっ」
いわんでいいです転んだだけ( ◜◡^)っ はずいやめて。
※右手小指を打ちつけてまる1週間は痛みで曲がらず、2週間経った今でも痛い。Daboku。
みっこはんパは少し長めの休憩、私達(というか私)はランナーズハイ状態のため踊るように登り続けたいといふものなり。のぼり行為の中に、私はビル群の中を練り歩くような、終わりのない奥行き感を見い出していた。全身性のテクスチャー。麺類や丼を食い続ける最中のような、永遠を乞う刹那に似たものを見ていた。
■6:35「小仙丈ケ岳」 ~ 7:10 仙丈小屋への分岐点
「仙丈ケ岳」本体はまだ先にあり、片道1時間ある。御覧なさい。また登りですよ。標高200m弱をまだ登らないといけない。帰路、登ってくる後続者の半数はゾンビのような顔になっていた。私は涼しい顔であっただろうか。否である。
ま た 腸 あ ば れ て ま す (´・_・`)
今日の暴れ方は昨夕よりも狂っている。意識でお門の開閉をコントロールできないのだ。昨夕に「あ、この人間、意識にどれだけ訴えかけても開門しねえわ」と腸が学習しやがったのか、単に運動蓄積効果で腸の活性化が度を過ぎてしまったのか、知らんけど、あかん出る。DELLあたしDELLサポートセンター、サポートしてほしいセンターDELLがDELL、あぐう。
脳/意識を無音で切り裂くように便意・ガス衝動が、腸というより門を直撃し、気付いた時にはもう遅い状況が既に出来上がっていた。だが本物の下痢や不調とは違う。プギュウウウ。ゥグrrrルルルルルル。ひいっ。イッイッ。漏れる。盛るどころではない。漏れるのや。そんな状況下で激しい下りを強いられる。やめてや。
小仙丈ケ岳ピークの下りは垂直的な岩場である。急にアルプスの本性だすなや。なんぼメジャーなクラス一番のアイドルみたいなしっかりものの美女みたいな風体をあれしていてもアルプスはアルプス、獣は獣なのだ。牙を秘めておる。
岩場は大したことはないが、腸とお門がアカンことになっているので脳波は乱れており、更にはうっすらと疲弊が支配してきており、この程度の下りが負担に感じられた。私のこの時の自我は「ガス、便漏れ、腸、疲弊、足のふらつき、頂上まであと1時間、疲れ」であり、国家や天皇、あるいは初恋の人、為替市場、マイノリティの言説などが入り込む余地はなかった。思考はなく、脳波だけだ。忸怩たる思いである。
目の前の丘はかなり大きく、そこを歩く人は虫のように小さい。これは20~30分かかるだろう。よく見るとその背後にまだ起伏がある。あれが真のピークであろう。わかるぞ。目の前の希望を信じきれないぐらいにはまだ元気がある。
また岩を下りるんや。これ下山時にかなり登らされるぞ。つらいが。あっすべりそう。 ※筆者は確実に疲れてきています。
6:53、八合目。
3時間弱を登った。ハイマツと景色を堪能している。ライチョウはいませんでした。生息域としてはいます。
7:10、手前のピーク、分岐点。
この分岐は、仙丈ケ岳手前のピークを迂回する形でぐるっと一周しながら頂上と繋がる小規模な別ルートで、頂上直下の「仙丈小屋」へのルートになっている。下りで通りますたがなんにもおもしろくなかった。
■カール上の稜線歩き ~ 7:32 登頂
最後のピークを越えて頂上へ向かう。青空が眩しい。登りが続くがテンションの高さで乗り越えられる。危険個所はゼロ。ただただ斜面を歩いていて、上質な麺を啜っては噛み締めていく時間が流れる。言語化すると「おいしいですおいしいです」となる。
先ほど通り過ぎた「小仙丈ケ岳」ピークが、この地形のどこにあるのか見えない。かなり歩かされたのか。山では見た目以上に移動していることが多い。
最後の稜線。右側の平らなピークが頂上である。下からは大きなピークが手前に1つだけ見えていたが、上がってくると2~3の起伏が続いている。地味に終わらないのだ。順調に疲労ポイントがたまる。換金してくれないかなこれ。
稜線側ルートから下の迂回ルート&仙丈小屋が見える。小屋が影にずっと隠れているのが気になる。布団を干すのに苦労するのではないかといらん心配をする。
真ピーク手前のピークは「×」印を大きく打って、人が登らないようにしてあった。ご丁寧にも石柱などが奉ってあり、あたかも真・頂上のようなやや紛らわしい外観である。ガスで視界が悪いときに誤登する者もいたのかもしれない。上は狭すぎるので違和感はすごいだろうが。私も元気なら登ってみたかった。
真・頂上は向こうのあれ。まだ登らすんかい。だがこれが最後なのだ。一歩一歩登るたびに、住宅ローンの最後の数カ月を払っているような気分である。歩を進めよ。民衆よ決起せよ。墓碑銘に銀行名を刻め。ちくしょう。
7:32、登頂。やりました。3,032mです。
3,000mを超えると何があるのか? 何もない。そんなものは実感できない。よく食べてよく寝ていれば高山病にもならない。だが海抜0~100mちょろちょろの下界と比べると世界そのものが圧倒的に異なることは言うまでもない。異世界がある。そんなところに至っても絶え間なく襲い掛かる下腹部の便意、お門あたりの決壊危険性、なんなんだお前らは。いや私自身か。ちくしょう。泣いた。
■朝めし(本番)
頂上はさほど広くはなかったが、団体客さえ避けられれば場所がある。菓子パンを口にするだけではない、真の朝めしをします。プレ昼飯とも言う。煮炊き。
煮炊き。お湯3分で作れるリゾットにしたが、水の吸いが甘く、出来損ないのおかゆのようにべちゃべちゃしていた。ベチャ子。やはり昨日と同じく、べらぼうに美味いのは「湯」である。湯。たまらん。思考が白く蕩ける。火を通して熱を帯びただけの水が、べらぼうにうまい。おかしい。脳を直撃する。体の芯をsssssssssァアアアア。あああ。「カーッ!」あああ。ああ~。あ~~~。湯がうまい。湯がうまい。
白湯を飲んで喜ぶのは病人とか老人であろう。
登山のたびに、生者の肉体的な欲望からどんどん遠退いてゆき、死者に近付いているのではないかと少し不安になる。確かにもはや何のために自分が登っていて、登り終えた後にどうしたいか、どこに向かっているのか、何も知らない。何も分からない。ただ青い宙と岩との間に自分がいる。悟りではなく疲労というだけでもない。異世界の一部になりつつあるのか。
食べ終わったカップラーメンの汁を処分するために空きボトルに詰めた図。内臓から漏出したいけない体液のようなやばいビジュアルがある。店の前の街路樹を枯らすのに使えそうである。キャッキャッ。
我を忘れたとかなんだとか言っていたが汁に喜んでいる。キャッキャッ。
疲れた。下山の体力は大丈夫か。ああ残してある。下りるだけなんだろ? ※みなさんも自分の腹のうちにいる影と会話することがありませんか。あるよね。
山岳信仰。山に剣は刺さっていないが、石に掘られた菩薩?が並んでいた。
なお省略しているだけで昨夕に勝るとも劣らぬ、いやそれよりも勝る便意・ガス衝動は満ち満ちており、危険水域の緊張がずっと続いている。これはもうあかんのではないか(諦)
( ´ ¬`) つづく。下山するよ。