H25.8.4 【動植物】アートアクアリウム(@東京・日本橋)
今回の展示はなんだか力弱いな…と思ったのだが、
写真に写して後から見返すと、その力強さは凄まじいものがある。
これはプロデューサーの手腕なのか?
単に、闇×光×金魚という取り合わせが
うまくハマっただけなのか??
それともEF85mm F1.2L II USM が凄いだけなのか???
( ゚〜゚ )こんなはずでは
なかったの。
アートアクアリウムのプロデューサー。
偉い人。
光のせいで知的なゾンビのように見えるが、生きている人。
「アートアクアリウム」は、大阪でもH24〜25'冬に催されたが、
その盛況ぶりは
リア充どもの恐ろしさを語るのに
十分なものであった。
( ゚ε゚ )
クリスマス〜年末にかけての、男と女とそして金魚のハーモニー。
私はパズドラをやりながら90分の待ち時間を耐えきった。
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<参考> 前回H25.1月 アートアクアリウム@心斎橋
http://d.hatena.ne.jp/MAREOSIEV/20130113/1359743096
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しかし今回は並ばずにすんなり入れた。
日曜の夕方ということで、皆が混雑を嫌って足を運ばなかったの
だろうか。
「獺祭」(だっさい)とコラボというのが、私の気を非常に惹いたのだが
残念ながら「金魚を見ながら酒を飲む」ことができるのは本当に最後のフロアのみ。
それも人混みの背中を見ながらとなる。
そして、とても高価な獺祭だけあって、1杯が千円ぐらいする。
まあ当然なのだろうが、ちょっと割に合わず敬遠。
金魚=ホステス
アートアクアリウム=店
下世話な喩えですいませんがそう感じたのも
事実。
しかし金魚のポテンシャルは並みのねえちゃん
或いはプロの女優をもしのぐものがあること
を知る! (またかよ
この夜、何組の異性が結ばれ、
何組のカップルが夜の営みに弾みがつき、
何人の単独者がハンケチを噛み引っ張ったか
金魚の知ったことではない。
彼・彼女らは消耗品。
明日をも知れぬ命。
そして遠き過去から、未来永劫
改良され続けるだけの、元・フナ。
新しく、絵が展示されていましたが
これは良かった。
余白の美とアイデアの勝利。
肉眼ではこのようには見えていなかった。
もっと遠目で、主張がどこにあるか不可解な、
「アレッ、盛り上げどころをミスってないか!?」とすぐ感じた
ぐらい。
三井ホールでの動線の作り方は奇妙だった。
序盤から溜めてきた見物の期待を、絵のコーナーを曲がってすぐに
空間を開け放しすぎて、散らしてしまっているように感じた。
混雑緩和、巡回客のフリースペースなど色々考えて
この間取り、動線になったとは思うが、
ストーリーとしては破綻していたと思う。
破綻を伝えるような写真になってない私の
方が破綻しててすいません。
個々の展示を個々にクローズアップして視線を注ぐと
そのレベルの高さ、
写り込みの面白さは他の様々な展示とは明らかに
一線を画する面白さがある。
視界の余白から切り取られて初めて見える美しさだった。
しかしそれを肉眼をはじめとする五感で感じることは全く出来なかった。
普通の写メやコンデジでも不可能だと思う。
F1.2というチートな機材があったので、金魚と光と色の真価が
改めて浮かび上がることとなって、家で
びっくりしてるのである。
こんなんやったっけ・・・すごいやん。
怪しく輝く。
悪の組織の、悪しき美意識に彩られた魔王の一室
のごとく輝く。
金魚とは覇王、魔王の美意識の賜物では?
私が魔王だったならこういう魔王城にする。
ああ魔王。
いいよね魔王。
ふう( ゚q ゚ )
(妄想突入
( ゚q ゚ )
おかしいな…おれの観てきた
アートアクアリウムと全然違う…。
実際より写真映えするケースは多々あるが、
今回のアトアクはあまりに極端すぎる!
どうなっているのか??
会場設営時に何を元にして、何を最大目的にして作り上げたのか??
美しいはずなのだ( ゚〜゚ )
それは間違いない。
政府の云う「クールジャパン」とやらに惑わされたのか??
自らの戦略で目が見えなくなったのか???
アトアクはどこへ向かおうとしているのか???
次回をご期待!
もっと日本人以外の人にも見てもらいたいシロモノ。
金魚個別展示は健在。
眼の大きいのが群れて踊る会。
(@_@)(@_@)(@_@)(@_@)
けつ万歳!
ダウナー系( o^−´)b
千差万別の妙を
( ゚〜゚ )
金魚は不健康な体つきをしている。
ふくらんでいて、その膨らみも
いびつで、まるで機能を無視している。
鰭は特にひどい。
ツヤツヤの、チリひとつない床しか
歩くことのできないドレスのようだ。
その不健康さが美しい。
貴族的で、魔王めいた趣味の産物だ。
視覚を楽しませるために開発されたドラッグのよう。
ここまで異形の進化を遂げた遺伝子も、
手を加えることをやめた途端に、元の鮒へと
逆行し始めるらしい。
しょせんは遺伝の過剰さの生け花なのか。
地に下した根は別物なのか。
私たち人類もそのうち
デザイナー遺伝子の虜になって
過剰で儚い人造美にやみつきに
なるかもね。
( o^−´)b うふ
日本庭園風の背景が四季おりおりの表情を見せ、
次々に切変わっていく。
だが、和のテイストを過度に盛り込むことの意味は
一体なんだ?
そのステレオタイプな和は
欧米人にとっての
サムライ・ハラキリ・ゲイシャ・フジヤマの類を
超えるものではないのでないか?
要はなぜこういう映像と金魚を掛け合わせたものに対して
私たちは美しいと感じるのか、
そう感じることで安心感を得るのか、
私はずいぶんと悲観的になったが、
最後のこの「キモノリウム」にだけは
面白みを感じた。
「和」がどうの「ニッポン」がどうのという
コンセプトを自ら食い破っていたので。
だから、金魚の生体展示という枠だけ提供して
後は新進気鋭のアーティストに任せてはどうか?と思った。
「伝統」や「文化」は思考停止の危険を孕んでいる。
それを穿つには、
シーモア最終異体のごとき、わけのわからぬ存在感へと
突っ込んでいくことも必要であろう、
いやどうかな
シーモア( ゚ε゚ )
この後は新宿でしっぽりと
飲みました。
獺祭はおあずけ!