2010.8/16_岡山・山陰旅(1) 【廃墟】津山プラザホテル(前編)
地味な名前、よくありがちな名前、全国津々浦々に散らばった雑草のようなビジネスホテルが想像される。
実際、全国どこにでもあるような見慣れたシティホテルだった。
そして、廃墟だった。
ばかのように暑くて死にそうだったオボンの或る日に。
新大阪で集合してレンタカーをぶっ飛ばし、津山を抜けて山陰へと至る旅。
メイン企画者は前回の「摩耶観光ホテル」「六本木アートナイト」や「淡路島」でお世話になった大学時代の後輩・小唄氏。
同行者として小唄氏の同期であるタクちゃん。
この布陣は野戦で実に強い。いかなる徘徊旅になるであろうか。
車中泊で日本各地を攻めまくる彼ら2人の最大の好物は、何と言っても廃墟。
先日などは松尾鉱山にも潜入したというし、まったく生粋の廃墟バカなのだ。
そんな2人について行って、何処にも潜入しないはずがない。
さっそく潜入開始。
「津山プラザホテル」
おうい( >_<) あかんかったんか。
経営あかんかったんか。
まだ生きているリンクとして、
http://www.harenet.ad.jp/okayama/shukuhaku/hotel/tsuplaza.htm
まあ、ありがちなホテルである。
しかし、廃墟になっているくせに、なぜか廃墟サイトが大々的に出てこない。また、経営の顛末に関する記事すら出てこない。閉鎖されたのが最近だからか、例えばマヤカンのような独特の廃墟美を誇るでもなく、雰囲気があまりにサバサバしているからか。現役時代も地味、廃墟になっても地味という、少々マイナーなホテルである。
ではどうぞ・・・
ホテルへと向かうなだらかな坂。両脇の草は自由に繁茂しているが、侵入者を阻むほどの生育にまでは至っていない。
とにかく暑い。のしのし通り抜けてゆく。
暑い。
あいつが本丸か。
すぐ近くの学校から部活の爽やかな掛け声が聞こえてくる中、我々は陽気な忍びとなって白日の下、おっとり歩く。
大人になるっていうのは、爽やかでなくなることなんだ。暑い。
坂を登りきるとカーテンで覆われた本丸が。
マヤカンのような美学は皆無。ただただ冷静なシティホテルである。
ぐるりと周囲を取り巻くように車道が敷かれていてなかなかホテルの入口にたどりつかない。徒歩の客泣かせである。
送迎バスが基本だったのだろうか。そうでないとしたらかなり不親切だ。
ホテル名がやっと登場した。
すさんでいる。
美しくはないが、まあそれなりといったところ。
栄枯盛衰・・・諸行無常の響きとは、こういう夏草ぼうぼうのくそ暑いところで呟きたいものである。
暑い。
遠目にはホテルはまだ綺麗に見える。若い証拠だ。
津山なのに…。
最初から飛ばしてくれるぜ。
正面玄関はガラス戸が閉まっているものの、先駆者(恐らく地元のバカタレ)が開けた大穴で通ることができる。
ただし切り立ったガラスに注意。
バカタレどもの悪行のせいか、館内の至る所で「ペインティング」とは呼ぶに値しないような程度の落書きが見られる。
動物のオスのマーキング行為みたいで少々無粋である。
果たしていかなる秘境となるだろうか。入る寸前が最も緊張し、興奮する。まるで女性の衣類を少しずつ脱がしてゆくときの前戯的な興奮を覚える。ウー。
侵入直後。受付手前のロビー。
もはや散乱を極めている。
宿泊・観光関連のチラシも多く残っている。記録物フェティストは是非回収を。
ロビーからエレベーター、宴会場に向かう段差。
この佇まいが1Fのヤマ場であろう。美しい形を撮ることができる。
床の荒れ具合が良く、当時の面影をいい具合に消している。廃墟らしい一面。
さきの階段を上らずに反対側へ行くと謎のスペース。
背を曲げた芋虫みたいなのが津山プラザホテルのブランドマークだ。なんでしょうか。
立ち位置から振り返ってフロントを。
ゴミの量が半端ではない。
我に絵心あり、みたいな糞自負心で一筆そこいらに書きつけるのは実に止めて頂きたい…。
電灯。
寺社の門とか柱についているあの呼び鈴みたいな出っ張りに似ていると思いました。
今は昔。政府登録ホテルのゴールドが目に眩しい。
従業員だれか記念に持って帰ったら良かったのに。
レシートでもなし、機械から出力された様々な書類がこんもり。
いちいち調査はしていないがこれも膨大である。
処理しないままに置き去りにしたというのは一体…。
フロントへの扉が開いていたのでおじゃまします。
フロント内側から。
足の踏み場がない。
一体何があって廃業に至ったのだろうか。
棚にも各種の帳簿類が未使用のまま溢れている。
どっさり。
撮っても撮りきれない。
フロントの裏へ続く扉を行くと、従業員専用の事務室が。
そこは更に書類で埋もれていた。膨大な量だ。
日々の金銭出納長から、経営に関わる重要な帳簿もあるだろうのに、なぜ廃棄せず放置したのだろうか。
貴重品の類は見当たらない。ただ書類ばかりが鬼のように積もっている。
ただでさえ暑いのに余計に暑苦しい。
普通の会社ならこんなお金に関わるものを置き去りにしない。
まるで夜逃げですよ。
この分じゃ、税金も滞納してたなきっと…。
あまりに多すぎていちいち確認はしていない。時間は限られている。タク氏と小唄氏はとっくに別のフロアへと散策を進めてしまっている。暑い。一つ一つに目を奪われて先へなかなか進めない。どう撮ろうかと考えているものの撮り方は結局いつもとほとんど同じになる。
横倒しの金庫。侵入者らが荒らしたのだろうか。
この部屋の異様な乱雑ももしかしたら、たび重なる地元の侵入者(不良とか)が金目の物を期待してひっくり返した後なのかもしれない。
食器として使われたであろう竹筒や貝殻。
風流を催させた小道具も今や完全にゴミと化している。
窓に面した流し台のあたり。
宴会場・食堂へ食事を供する部屋だったらしい。
ここで重要なアイテムを発見する。
当時の山陽新聞。
「2000年7月19日」の表記がある。
その時分ごろまではこのホテルは稼働していたと見るべきか。
併せてこちらも貴重な資料となる。
同室に掛けられていたカレンダーは2000年6月で止まっている。
客をもてなすための部屋なのだから、調理場の稼働がこの時点で終了したと見るべきか。
7月までは新聞配達があったと。従業員の出入りはそのあたりまでか。
ネットからは一向に廃業への過程が見つからない。
謎である。
いよいよメインとなる宴会場へ。
暗がりに赤絨毯とは豪勢だ。
今までの冷静さと打って変わってこの転調は、廃墟好きは好むところであろう。
廃れ、鄙びたところだけでなく、華やかな色も見たい。
宴会に使用したと思われるレコード。
曲名・歌手までは見ていません…。
真夏晴れ。
いい天気だった。
まったくすがすがしいが、空気の通りの殆どない廃墟の中で我々は「ペキ・・・」「ミシ・・・」と足元で音を立てながら徘徊する。
なかなか暑く、そして緊張する。
1F、エントランス〜宴会場までの太い通路。
右手に折れると窓側に大きな階段がある。
ナショナル製の館内スピーカーが宙ぶらりん。
なんだか可愛かった。
これより、2Fへ上がってみようと思う。
小唄氏とタクちゃんは既にずっと上へと向かっている。
チームは組むが現場では散開して単独交戦するのが私達のやり方だ。
わくわく。
角度を変えると、
こっちのほうが廃墟らしくて良い。
よくよく考えてみれば物件がうち捨てられたところで、書類が置き場所と関係ない階段の根元に積もったり、やたらめったら建材が剥落して床の色が変わるなどということは自然な風化では起こり得ない。誰か侵入者が暴れて無茶苦茶したか、重要な器具を取り外す工事をした際にもぎ取るようにして放置したとか、非常に人為的なものが作用しているのだと思う。すると廃墟らしい廃墟というのは誰かが程良く荒らしてこそ廃墟足りえるということなのか? まあそういう要素もあるわな。
できればこのままの状態で数十年と時を経て劣化してもらいたい。
そして2Fフロア以降については…後編にて。
つづく。