nekoSLASH_記録編(日常・登山)

『nekoSLASH』分家。日常、登山、廃墟、珍スポットの記録集。

【diary】H28.12/7(水)~12/13(火)

【diary】H28.12/7(水)~12/13(火)

 日常がせめてくる。おしよせる波のようにきりがなく、

痕を残してはすぐに消し去る。

ザパー。 (´-`)

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寝よう。いや仕事いけ。

 

○12/7(水)

星占いが悪い日なので、通行人にどつかれるわ、Excel資料を作り直して改良できたと思ったら最新版があったので不要になるわ、EOS 5D Mark Ⅲの隠れ露出補正に騙されるわ、順調にえぐい。

 

EOS 5D Mark Ⅲは、ファインダー内や上面液晶では露出補正が+-3段までとなっているが、内部的には5段まで存在している。表示外にメモリが行った場合、メモリ位置は表示されないという恐ろしい仕様があり、一見故障のように見えるのだ。わあい。

 

個人的なあれがあって資生堂の調査を行う。キーワード抽出が容易なのは資生堂が自社の課題をクリアにしているためであろう。最大級の事業規模を擁する老舗の実態とは、まさに「化粧業界の公務員」の様相を呈しているのだった。たいへんや。

 

ルミナリエというものにいく。

 

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\(^o^)/ 昔々に行った時よりブルーが増した気がする。かっこいいね。

 

~回想~

 

mareosiev.hatenablog.com

 

ただ警備員がうるさい。私が子育て授乳ノイローゼだったらEOS 5D Mark Ⅲをフレイルのように振り回してぶち当てていたかもしれない。つまりそれぐらい騒音です。

「立ち止まらずにゆっくりとお進みください」コールがものすごい騒音と化していて、これは害悪のレベルと言える。周囲の歓喜に包まれているとまあ忘れていられるが、我に返るとものすごい騒音である。授乳中でなくてよかった。

 

しかしハレの場には妙な空間の隙間が散見されて面白い。日常をぐるっと回り込んで側面や背後からつつくようなことができる。

 

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役割を中断させられた都市システムは一瞬でオブジェ化するので面白い。満足しました。

 

 

○12/8(木)

マーケティングとはそもそも何かを問う。他業種、他組織の皆様がどうやって日々のしのぎを得ているかを知ることは、非常に意味があります。

どうすれば市場を認識できるか、どうすれば顧客を刺激できるか。

マーケティング戦略のたぐいは世にあふれている。もはや大学の学部生が座学として学ぶ領域である。しかし実社会のシーンに当てはめて、ロジックを企画の構築にまで落とし込むことはなかなか出来ていないらしい。企画とは本来どろくさい、面倒くさいものだ。ロジカルな図表で扱われると妙に美しくスマートなものとして消費される。変なかんじ。

 

どこぞの議会の中継を見る。ものすごい鼻炎のひどい議員さんだなと思ったら泣いていた。えらいこっちゃ。

市長と議会とが紛糾しているのかいないのか、中継ではよく分からないが、双方のblogなどを読む限りは紛糾している。議場ではどこか遠慮気味のやりとりになる。育ちが良いのだと思った。昨今の都議会のように、奇妙で不快なヤジが飛んだりはしない。あれは何なのだろうか。都議会の自民のヤジは醜悪だ。言語によるコミュニケーションから遠ざかった動物種が、自分の便を投げつけているような不快さがある。

 

○12/9(金)

朝は多方面のblogおよび地元紙のWeb記事の確認から始まる。

感情とは恐ろしい。どこまで行っても人間の住まう世界は、感情論で動いている。もしかすると幾ら優秀なAIが開発されても、人類のこの感情の偏りという現象の前には歯が立たず、というより面倒くさすぎて、AI側は「もうお前ら人類で勝手にやれ」と合理的自滅を選択するかもしれない。 

 

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部長との面談でいろいろ聞かれるが言いたいことがなかった。写真のことだけが気になる。決定的に足りていないものを獲得するために次年度は動くことになる。それは展示から先の実戦である。異動とかどうなるかわからんでという話。はい。

そうなんだよ今年度が例外的にすごく幸運だっただけなんだよ。

はい。 

梅田の夜景に取り組む。サウスゲートビルディングは「太陽の広場」というテラスがあり、少々外に出てガラス越しに都市景を拝むことが可能。パンジーが植わっている。くぁわいい。わあー。

 

深夜、イメージのキメラ化を試行。よみがえれ。うはは。

 

 

○12/10(土)

 

午前は考えをまとめる。まとまってるのか不明。

都市とは何か、そこで見出されるストレンジャーをどうしてあげればよいか。

都市論って大体は東京論ですよね。東京に非ずんば日本にあらず的な。

 

夕方はルーブル美術館展。

荒木飛呂彦の独創は文句なしに凄い。谷口ジローはもっと厄介なテーマのときに人間の業が露わになるので今回は薄味に感じる。五十嵐大介は無音の中で美しい。

 

mareosiev.hatenablog.com

 

好日山荘に半年以上ぶりに訪れるが、2年ほど前に4万円ぐらいで買った高性能超薄ダウンが半額で溢れかえっていて、私は 残念 ちっ。

登山に行っていない。それどころではない。

土曜の晩のヨドバシのグルメ階は謎の満席、行列。別に祭をやっているわけでも、みんな外国人観光客というわけでもない。居酒屋だけが空いている。氷をかみ砕きながら鯛めしを喜ぶ。新しい掃除機が欲しいなあと夢を語る。

 

 

○12/11(日)

 

写真表現大学。

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阪急電車はリズムを刻むときがあって、黒めの栗色の車体は光でゆらゆらとする。光はいいですね。映像の原始的な姿です。何となくたのしい。興奮する。美しい。

 

作品制作の進捗状況が個々人から発表される。みんなそれぞれの道を歩んでいて良いですね。誰ひとりとして同じところで群れていない。皆が多彩です。

皆が同じことを同じようにやって、それで互いを称え合っているコミュニティというのは、居酒屋のいけすのようで恐ろしい。栄養の尽きた魚たちがゆっくりと死んでいく、例の舞台。痩せ細って死んでいく。やだしんじゃう。

ここは違う。自分で考えて自分で何か重要なものを掴んでこないといけない。何が重要なのかは自分で考えて仮説を重ねながら直感を駆使しないといけない。そして「こういう可能性を見つけました」と発信しないといけない。真剣に問うたものについては有意義なレスポンスがある。すばらしい、

業深い日々だ。深い熱狂がある。

 

色彩を武器に留学に行こうとする人、同世代の同性の想いを特集する人、80歳近い「現役」高齢者を取材する人、記憶や認識の向こう側へ行ってしまった同胞を見つめる人、自分自身の存在の復権を試みる人、地元の地方都市の栄枯盛衰を扱う人、庭の美のプロをがんばる人、自分の子供の躍動感を映像と静止画で表わそうと模索する人、垂直に着手するも浮気してくるくる回り出す人、実に多彩な、千差万別である。よろこばしい。うっうっ(泣く)

 

ミドルエイジのおじ様が誰よりも美しく強度のある世界観を展開していてたいへんに刺激になる。更にその先へ進もうとしておられる。たいへんだ。

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こんな感じでゴボゴボ。

 

 バイタリティも桁違いなので、

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講師とは別の時空で授業が始まりそうになったりする。

本日もカオスでした。

 

○12/12(月)

 あたまの完全にあれな人がくる。

騒然となる。罵詈雑言を投げかけ、「あなた方は無知で無学で無教養だ」と一方的に罵り、珍説を絶対に曲げない。どこか言葉の端々に、「俺はインテリだ」「本当の美意識と教養を備えたエリートなのだ」という自負が強烈ににじみ出ている。恐ろしいと思った。もしかすると「美」や「知」の世界で負けたり居場所を失った、再起不能者の慣れの果てかもしれない。

「美」や「知」は外部から客観的に測定したり、他者と相対視することが難しい面がある。自分のプライドの宮殿の中に逃げ込むことが可能となりやすい。おそろしい。私達は誰もが美の敗北者になりうる。

 

HP改修案がDr.から出てくる。わあい。やっと進む。

なぞの咳が出始める。ルミナリエリア充免疫不全症候群が発症したのだ。

ゲボッ

 

○12/13(火)

エクセルで集計をすると幸せになる。グラフを作ったりするとみんな幸せになる。これは組織の幸福論の重要な本質。数値の見える化は、業種や職位を問わず、幸福になるという作用があります。皆さんもぜひ。

 

超久々に『10+1』を読むことになったが、っここここれはおもしろいですね。

パズドラ、FFBEをやめてよかったと思う。【都市】というあまりに大きな概念(現象?)の実体など実生活の身体レベルで語ろうとしたらご飯が不味くなるだけです。ごはんがおいしくなるような都市論がいいよね。そんなものはない。わああ。

そういうわけでレム・コールハースの『錯乱のニューヨーク』を参照したいと思っている。ある程度主観を交えて、自分で踊らないと、客観的な論述だけで何かを表わすのは、面白くないような気がする。センスのない人の論述は、ちょうちょの死骸を集めて並べただけのような、停滞と残念さがある。センスのある人は、文章自体が脈動していて、息吹を感じる。センス・・・生きている間に手に入るだろうか。

 

 ゲホッゲホッ

浅田飴食っても食っても止まらない咳 雨天見上げ吠える底冷え