nekoSLASH_記録編(日常・登山)

『nekoSLASH』分家。日常、登山、廃墟、珍スポットの記録集。

【登山】R5.8/4-6 南アルプス・聖岳⑤最終日、下山。

聖岳3日目。下山します。ただ下りるだけの回です。何にも新しいことはない。

長い。下りるのも長い。

ここへ再び来ることはあるだろうか? ないのではないか。いやあ・・・。それだけはわからない。

 

文句ばっか書いてたら、「私この山のこと実はすごい好きなんじゃないか」って思ったけど、それはかなり正しい気がしてならない。ああう。くそっ(廃人)

 

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だいたい悶えまくってるな。実は山行レポを装ったワンナイトラブ記録だといっても通用するのではないか。うそいえ。はい。

 

 

■ルートおさらい

さて最後におさらいをします。昭文社「山と高原地図」は必携です。モバイルの電池が尽きてもどうなっても最後まで味方してくれる。

下山はですね。「薊畑(あざみばた)」から50分+40分+40分+45分+40分で「聖光小屋」に戻り、+30分で「易老渡(いろうど)」、さらに+1時間半で芝沢ゲート駐車場まで戻れます。

計365分 ≒ 5.5時間の下山。

休憩も加味すると11時頃に車に乗れるかなという計算です。

 

聖平小屋から「薊畑」までの登り30分も足し合わせると、下山の所要時間はトータル約6時間です。朝5時前から6時間かけてずっと下ってるか歩いてるかあるいはその両方なんですよ。前向きすぎる狂牛病みたいですね。おい倫理を。

 

ちなみに登りでは、芝沢ゲート駐車場~聖光小屋の2時間分を前日夜に歩くというタスク分散策によって、計435分 ≒ 7時間15分の行程を5時間台に低減し、代わりに頂上への往復4時間をオンしました。何が楽しいのか分かりませんが、無意識下で楽しみに転じてゆくのが山のおそろしさです。

 

■8/6(日)4:45下山開始~5:13薊畑

アラームは4時だが3時半に目覚めた。

周囲が光り出し、一斉に足音やテントを片付ける音がザッザッと伝わってくるので、眠りが断たれたのだ。みんな早い。どこ行くんすか。登頂きめて下山か、兎岳とか大沢岳への縦走か、それかストレート下山か。テン場の全員がいなくなるのではと思う勢いで動き出していた。

みんな儚い旅人なのだ。夢か現か。ここはとても儚い中継地点。

 

改めて4時に起きて行動開始。一晩中なんとなく雨が降っていたようでテントは濡れている。なぜかザックも濡れている。なんでや。透過するのかなあ。

雨量は少ない。まだ霧雨のようなのが残っている。雨天にはなるまい、そのうちガスも晴れると判断。

煮炊きをする時間が惜しいので、軽食をばりばりむさぼって済ませる。

テントを畳んでザックを背負うと4:45。時間が立つのが早い。発ちます。あい。

 

楽園を後にします。さよなら。頂上に小屋から片道160分とか鬼です。鬼だ。

 

急にまた雨が強くなってきたので、慌ててザックカバーを装着。やだなあ。気温は高いのでレインウェアは上だけでOK。下半身はいらない。雨はすぐ止んだ。ザックカバーつけただけであった。よくあるんすよ。

 

ザック外側に縛り付けてたシュラフとマットが濡れていて、これを保護するものが欲しくなった。後日、好日山荘に探しに行くが、そんなデカい袋はない。ゴミ袋が最適という結論を得た。

5:13、薊畑(あざみばた)。小屋道を引き返して登るだけで30分かかる。既に体のあちこちに汗をかいている。ヒー。

 

 

■薊畑~6:08苔平

頂上は全く見えない。真っ白である。昨日登っておいてよかったね。空一面に雲が強い、雨天とは聞いていないから大丈夫とは思うが。※この後めっちゃくちゃ晴れます。めっちゃくちゃ。オオ。

 

せっかくだから動画でスケール感をごらんください。風があるね。


www.youtube.com

こんな雑な動画ではYouTuberにはなれない。進退窮まってGoProを飲み込んで胃腸の中身を晒しながら踊るのであった。いや私GoProもってへんし。

たいへん良いところでした、未練はあるけどもう下りますわ。さいなら。

片側が遥か彼方へ切れ落ちたこの稜線入口の小道だけはよかった。これは感動した。感動したなあ、、、帰りますよ。帰る。(つらかったことを連鎖反応で思い出して変な汗をかいている)

 

まあ言うても下りは楽やで。と言いつつオタケ氏の靴は爪先ソールの剥がれを山小屋で借りたテープで応急処置してあるだけなので、何度も不安定になる。なおかつ私もいまいち重心が覚束ない。れれれ。天狗モードは使わず、常人モードで下ります。

 

ズルッ。

 

 

(  >_<)アタ""ッ"

 

 

濡れた木の根に足をとられて転倒、首から下げていた一眼レフで左頬を強打。

自爆である。顎。頬。痛い。

 

(  >_<) あかん。死が追い上げてくる。具体的な危機感が身を襲います。

 

下山こそ登山の核心部であると誰かが言いました。みんな言うとる。こんなものは爪先か足の裏か踵かふくらはぎかどっかに力を入れて注意深くブレーキングすれば良いのである。ズルッ。

 

(  >_<)アダッ

 

 

また転んだ。あかん、

あかん、やばいぞ、

聖岳が私に惚れてのがすまいと足を絡めとってきよる 気は張っていても身体疲労が確実に来ていて、足さばきが鈍っている・重心バランスが狂っている・ブレーキがちぐはぐになっている等の症状を呈しているようです。まずい。

頭では重々分かっているが、体、腿、足先、靴全体にその意識の命令が律として伝わらない。「岩をよけろ!」「ハイ!ワカリマシタ!」「岩の上に片足でうまく重心をとれ!」「ハイ!ワカリマシタ!」ズルッ。言うてる傍から足のホールドが滑り落ちる。どの歩もまったく言葉だけなのだ。これを疲労といいます。

 

しかし「苔平」に向かって降りてゆくにつれ、南アルプスの見事な深き森が広がり、完全に魅了されます。二度と登りたくないけれども素晴らしい緑だ。雨のせいで足元危ないけれども森は美しい。困った。美女だ。結局女か。こうして当ブログは先鋭的なフェミニスト集団に串刺しにされて焼かれましたおわり。うるせえ。苔を見ろ。

6:08、苔平に着。

緑が本当に深い。嬉しい。めっちゃ撮るやん。なんでや。苔やからや。

足は疲れているがこの緑は見逃せない。得難いものがある。通常の体験では得られない緑だ。なんていうか、森というイメージ・概念があますところなく悉くに宿っていて、それが息をしている。人間の立ち入れないところもずっとこうして苔とともに「森」が深く続いているのだろう。人間の日常生活圏からすればこれも、岩石と崖に満ちた頂上直下とまた異なる形での「異界」なのだ。その異界に自分が立ち会っている。人間は異物でありストレンジャーに過ぎない。これほど喜ばしいことがあろうか。絶対的にごまかしようもなく異物であるがゆえに異界であるという状況、ポエムもプレゼンテーションも通用しない領域が皮膚と神経の薄皮一枚外側に夥しく広がっている。嬉しい。

 

あつい。レインウェアを脱がないとまずい。汗が。

 

■苔平~6:37大木の広場~8:00造林小屋跡

異界とひとつになれたらどれだけ良いか。そういう邪念に誘われたことがあるのは私だけではあるまい。山や岩をやってる奴ら、海だのなんだのに行く奴らの何割かはそうなのではないか。木の根や波の不定形に下半身を絡めとられた同類なんだよ。自己実現や目的達成、リフレッシュ、デトックス、そんなものでは済まされない悦と疼きを抱えてて、認知の外と認識のコアを直結させて、自己の殻を反転させて、大いなる異形の形態と質に振幅を馴染ませて、一気に「私」が外界そのものとなる。そういう幻想を現実に来している場がここにあり、ここではその反転を連鎖させながら歩くことが可能なのだ。

だが一方でそれは、良質な心身のコンディションの管理によって成し遂げられた、スポーツ的な良識と正解の項に属するものにすぎないとも言えるだろう。僅かなバランスの崩れによって、たとえば足首の捻挫や骨折による停滞や救助要請によって脆くも崩壊し、不安と恐怖に心中が締め付けられ、森がそれらを黒く増幅するといったことも、無論承知なのである。

今ここの高揚と酩酊は産業化された自我を肉の次元で本質的に解放することの喜び、すなわち幸運なリゾートそのものであることも私は知っている。知ってなお醒める気にならないのが、苔のためだ。苔は視覚的に個別的分解の不能な群体であり、こちらの意識の具体的な再生を逸らし、曖昧なまま横溢させ横滑りさせ続ける。それが常とは異なる「場」を成している。禅もそうやって深度を増したのだろうか? お前は何を言ってるんだ。

苔だよ。酩酊してたらこけるので意識を取り戻して歩くよ。苔でこける。ぎゃはは。ああっ(ゲボ)。足に力を入れてるのに正しく力が伝わっていないという自覚があり、これが疲労の怖いところだなとひやひやしている。

岩と木の根が濡れているのが本当に怖い。ズルッといく。傾斜があるから止まりづらい。誰か私に歩き方を教えてくれ。

後ろを振り返るともう山の全容は見えない。めんどくさそうな道だけが続いている。もういっぺん登れ、と言われたら本当に鬱になりそうだ。やだあ。でかい。しかし順調に下りているという手応えはある反面、まだまだあるとも分かっているので全くあれです。あれだ。

 

「薊畑」~「苔平」~「大木の広場」あたりの一帯が、森が深く、苔と倒木の領域に当たることが改めて確認できた。この規模で苔が山の一面を覆っているのは見事、原生林というものの片鱗を味わった。癒しとかそういうものではない。もっとこう、「私」が捉えどころなく漂うような。

 

6:37、大木の広場。白いキノコが大量の水滴を噴き出していて恐ろしい。取り込んだ水分が飽和状態になると、余分な水分を外に出す「溢液(いつえき)」という現象らしい。怖いが。水なかったら吸ったらいいのかな。

 

普段の日帰り登山なら下りはカッ飛ばしているが、疲れているわ、荷物が重いわで十分に休憩する。ああ。ぬう。唸る。

 

まずい、なんか足が痛い。

ほんまか。

痛いねんけど。

足の裏の、親指・人差し指の下にある平らな骨が、地面によく当たるからブレーキに使っていて、そこのソールが薄いせいか、痛い。

庇うように足の指そのものをブレーキに使うので、靴の中で指がぎゅうぎゅう当たって痛い。足の使い方が悪いのか、靴の形が足にあってないのか、何とも言えないが、ダメージの蓄積がある。誰か私に歩き方を教えろとあれだけ。家に帰ったらYouTube見るからな。見るぞ。

白山と違って道が全然接待じゃないので、階段が無くてただの斜面だったり、道も曖昧だったり、実に足運びに困る箇所がある。赤ロープを常に目視確認していないと、道と紛らわしい窪みに迷い込みそうな箇所がいくつかある。登りとは別のしんどさを与えてくる。さすがは聖岳。なかなかやぞ。ズルズル。ズルズル。

こいつはメガテンとかに出てくる悪魔ぽくてよかった。顔面が平らで長く、長い耳が生えている。私より数倍でかい。なすすべなし。じつとたちつくし ほろびよ人類。こいつに睨まれると映画版バービーを称えること以外しなくなる呪いが掛かる。オアイアウア。

 

さて道はどこでしょう。

赤テープを探せ。

 

気が抜けない。とにかく前を見るんだ。テープが尽きたら終わり。

 

そして足にも気を配ろう。登山靴が立派でも本人の足がいまいちだと、ブレーキの度に中でダメージ積み重なっていく。最後は両方の親指の横が靴擦れ状態になっていた。ひいー。泣いた。靴擦れなんかほとんど起こしたことないのに。

ひどい道(道か?)です。登りではしんどいだけで特に危険のない斜面だが、下りではホールドがなくてマジでいやらしい。ずるずるずるずる持っていかれそうになる。離脱した幻の仲間みっこはん転倒流血事件をメメントモリし、否、リプレイしてたまるかと踏ん張る。このように士気は高いのだが足が痛い。キーッ。

 

黒きのこ、往路でも撮ったな。森山大道のドキュメンタリー映画でも気付いたら同じ路地を撮っていたと言っていたから、無意識とは認知のパターンのことなのだ。

 

道はどこでしょう。木の根が滑るねんな。滑るとは何か。摩擦係数だ。摩擦警察をよぶ。「ゆうべからの雨がわるいですね」しっとるわあほ。あかんこけそう。

 

これがさっきからずっと私が追いかけている「赤テープ」である。見えますか。あるね。登山において最も重要なもの、正解ルートを指し示す最もダイレクトな手掛かり。たまに一般道でないところにもテーピングしてる時があるから過信は禁物であるが、しかしこうしたメジャールートでは赤テープを視認、指差し確認しないことには始まらない。

大体の遭難事例では「道っぽいところを歩いて行ったらいつのまにか迷っていた」とある。ゆっくり霊夢と魔理沙が教えてくれるんや。赤テープを探せ。晴れてきましたね、陽光がよい。

こまかく休憩をとります。

 

昨日からこのような ↓ 感じなのだ。すすまん。体力がない。

ライフゲージのレベル2からレベル3をけっこう食ってしまっている。ぐう。動き続けていられないので短時間休憩を15~30分おきに繰り返して、小分けされたタスクをこなし、「出勤を繰り返していたらいつのまにか今の職場で一番のベテランになってました(てへ)」状態(比喩)を作り出すのだ。

 

ゆるくて安全な道もある。かなり下ってきたようだ。地面が岩岩しなくなってきたか。

 

かと思ったらまたズルズル傾斜になる。一定してくれないのがやらしいな。長いし。体力を地味に奪っていく。登山系YouTuberがケロッとした顔で日帰り登頂してたのマジですごい、というか一周回ってなんかハラ立ってきた。おま。なんやねん(怒) おにぎりでしばきたくなる。せえへんよ。うそやん本気にすんなや通報すんなおいこらきさま。だが、くそ、ああもう、自己プロデュースに長けた者たちよ、自己を高く売り抜ける術を得た者たちよ、私の無様さを見せてやろうという気になってくる。だんだんと懐が もちろんこんな微小な弱者は視界にすら入らない。メディアのパラドクスだ。あほなこと言うてたらこけるよ。ふぁい。

 

いや確実に足元の岩と傾斜が減った、普通の森っぽくなってきた、いよいよこの山行も終わりが近いようだ。などと言っていたら、木々の向こうに大きな屋敷のようなものを発見。あれは。序盤の廃屋・「造林小屋跡」ではないか。

おおー。

戻ってきた。うれしい。また感動がやってくる。だめだ。今回の私は涙腺がはなはだしくゆるい。泣いてる場合じゃない。

 

 

■造林小屋跡~8:15人力ロープウェイ~9:00聖光小屋

8:00、造林小屋跡。3時間ほどでここまで戻ってきたのは良い。もうここまで下りてこれたら勝ち確です。あとは起伏がなく、全て平坦な道。お疲れ様でした。山行は終了でs

 

って思うやん。思いますやん。

 

終わらへん。

 

知ってた。

 

ここからがダメ押しで長いのどす。駐車場まであと2時間40分あるどす。えっまだ倍近くある。倍どす。つまりまだ半分しか来ていない。半分どす。どっちや。しかもですよ。ここからの3時間弱は起伏がありません。しんどいぞお~~。ただただ平らに歩くだけやぞあー。ヒャッハッハァ~~。ハャヒャヒャヒャ。

辛いのは自分なのになぜか自分を嘲笑しています。これを山岳分裂症といいます。あっ。分裂症とか言うのをやめよう。なんやと。きさま誰の味方や。あっ正しい日本語を遣おう。なんやと正しさとは誰にとっての正しさなんや、おれの正しさは何処に行ったんや。あっあっ。

 

下るよ。足めっちゃ痛いねんけどな。

廃屋から川までが長い。3分で着くと思っていたのに歩かされる。ここからは「記憶では3~5分で着くと思っていたポイントまで10~20分かかる」を繰り返します。やばいぞ、圧縮され折りたたまれていた記憶にリアル時間の体感が適合せずおかしくなる。

 

8:08、西沢渡のゴンドラ地点。こちらは古く小さな荷物用の籠。

登山者用ゴンドラを操作する前に休みます。汗でどろどろになったタオルを洗う。

 

( ´ - ` ) ふー。

 

癒される。足が痛い。いたいぞこれ。癒しになってない。休んで足を放り出して冷静になると、痛みの感覚が複雑に押し寄せてきて脳の窓口に殺到するのだ。

筋肉痛なのか軟骨痛めてるのかよく分からない。膝も痛いし足の指が痛い。足の指の関節とか。足の裏の地面に当たる骨のところも痛い。色々と痛い。まずいなこれは。

 

人力ゴンドラを手繰り寄せます。相変わらずクソ重いなこいつ。

ああっああっもうああっ(痛い)

 

乗っても川の真ん中からは頑張らないとだめ。ああっああっ。腰に力を。あっあっ。

なにしてんかわからん。あっあっ。

 

戻ってきたぞ遊歩道。ここに来るともう「山」ではない。ミンミンゼミが鳴きまくり、川の音と風が日射に混ざる。「高原」と森の間だ。

爽やかで素敵な世界なのだが、足がどんどんだめになっている。痛い。何を喋ろうにも足の痛みのことしか出てこない。うち、YouTuberにはなれへんわあ。

 

往路で「あぶねえっ」と思った箇所ほど、復路では気を張っているし、体もほぐれているので難なく攻略できる。問題は何もないところ。ただの道。痛い。もう大した会話もしていない。いや雑談もしているのだが、「ジャニー喜多川のチンポは戦後日本最悪のチンポ・・・」「いや悪いのは脳の方であって・・・」などと全く進展がない。しかもそんな会話はしていない。いやそういう会話をしていた気もする。

 

往路で強烈に臭ったヤマカガシの死骸は、更に強烈に腐敗が進み、足を踏み入れたとたんにワンと黒いハエの塊が浮き上がった。この一尾の蛇が我々の代わりに、聖岳の供物として捧げられ、我々は生きて戻ったのだ。そういう自己都合と感傷の物語行為から全ての神話とスピリチュアルはやってきた。知っている。もう何百回繰り返したことだろうか。トンネルを抜けると聖光小屋が見えた。

 

 

■聖光小屋~9:47易老渡~10:55芝沢ゲート駐車場

なぜか写真が残っていないが、9時過ぎには聖光小屋に辿り着き、休憩した。

小屋が開いていたので軽食を食うか少し迷ったが、特に腹が減っているでもなく、ただ駐車場を目指すことにした。

 

長い。

 

この長さはYouTuberの長尺動画でないと伝わらないだろうから筆圧を高めて表現したいところだが、文章によって体感時間と空間――「体感距離が長い」ということを表すのは容易ではない。最もそれを表すに適したものは、会話の描写と記録だろう。だから私の文体は過剰かつ断片的に口語が混ざる。

休憩し気力が戻ったせいか、饒舌になり、またアイドルオタクや鉄道ファン、撮り鉄の迷惑行為について口角泡を飛ばした。美しい森、美しい青空のもとで、心は軽やかに毒を帯びて、毒は舌に回る。

山の中を下る道中にも、「萌えや自閉した永遠の夏休みのようなアニメ・漫画作品は、一定の割合で社会不適合者をも育みうるのではないか」という話題に触れていた。犯罪者はいつでもどこにでも発生するものではあるが、しかし現代の日本アニメ・漫画・ゲームは、素晴らしき/恐ろしき発明であり副作用として、永遠のモラトリアムをもたらし、実社会と折り合わなくてもよい世界観、いかなる参加・意思決定を行わずに耽溺し続けられ傷付くことのない「世界」を長期に実現したのではないか。その効果を享受しすぎた者の中には、優しさに閉ざされ過ぎたあまりに知らぬ間に完璧に脱落し、実社会を絶望し、無敵の人と化した者もいたのではないか、などと。

京アニはこの先もこれまでと同じ作品を作り続けることが出来るのだろうか?

足を木の根に絡めとられ、岩に脅かされながら、京アニ放火事件の青葉真司被告の顔を思い出しながら会話していた。オタケ氏との会話はいつも快適さや心地良さを伴うものではない。障害物競争のハードルや棒高跳びの踏切り位置に、深い泥が敷き詰めてある。まるで駆けること飛ぶことは二の次であるかのように、泥が主題であるかのように泥が次々に増えてゆく。あつらえた約束事の競技を心底信じていないかのように私達は泥を持ち寄り、盛る。日常がサブカルチャーに無限に慰撫されても、終わらない学園祭の疑似記憶に優しく置換されても、ハードルを飛翔する可憐な学生生活の夢を、歯噛みして睨み付けて、私達はせっせと泥を盛り、変拍子でのたうとうとする。

何故なのか?決まっている。私は学園祭が嫌いなのだ。学生生活も嫌いだ。学校が嫌いだ。永遠も嫌いだ。萌えも推しもアイドルも理解できない。気色の悪い、脳波を宿した肉と骨の棒だ。それでもいい。いいのだ。

 

みずがきれいやねえ。初日の晩に迷い込みかけた電力会社の引き込み道路はこの施設に通じているらしい。

 

山側から雨の水か、湧き水か、ずっと道は濡れている。水溜まりにはアメンボとオタマジャクシが棲んでいた。いつ枯れるのか、いつまでもあり続けるのか、分からない。ミヤマカラスアゲハが飛んでいた。ギラギラと黒と青紫の輝きが視界を横切り、走る。感覚がまた切り替わる。光は人間の脳に別のパターンを与える。未来の予兆とその影。

足いたいんやで。アゲハを追う元気はないです。アゲハは息を殺していても勘がよすぎてすぐどっかいく。はやいねん。

 

9:47、易老渡(いろうど)あたり。

やっとかよ。

 

また疲労が押し寄せてきて、「鉄道写真にも色々ある」「撮り鉄のこだわりにもいろいろある」と言いながら、パターンの列挙とその内容の口述がだんだんめんどくさくなっている。「・・・ある一つの絶対的な正答を模倣すること、完璧な1つに向かって反復し収集すること、そういう写真に取り憑かれた奴は、鉄道だの鳥だのを撮ってる層には多い・・・」一般論を語りながら、その枝葉を伸ばす気力が乏しく、口数は減り、足音と日射だけが続いていく。

 

巨石が多い。白い岩と赤い岩が目立つ。いい光景だ。暴力と秩序がある。

 

「これチャチャッとブルドーザー入れたら3日で車の行き来できるようになるやろ???」と思う程度の土砂で、原付や自転車なら十分に通行可能なようにも見受けられ、レンタサイクル誰かやってやと思う。現実は甘くない。その先に切断箇所があるのだ。

 

道が延々と続いている。一番楽なはずの平らな歩道(本来は車道)が、最後のダメ押しで、一番きついという罠です。いたいねん。足が(倒置法)。

貧すれば鈍するで、行き詰った人間の常として「この長大なカーブを越えた先をしばらくいったら駐車場に着いた気がする」などと思うわけですが、これが2回ぐらいあります。風景似過ぎてる問題発生。ここにきて心を折に来る。

 

そういえば本当に誰とも会わない。追い抜かれないし追い抜くことがない。不気味だ。途中の「大木の広場」か「ガレの上」あたりでおばちゃんパーティーの休憩を抜いたぐらいで、それは登りだったか。人力ゴンドラの手前あたりで登りの若い男性一人とすれ違ったのが最後か。

この平らな道に来てからも男性1人とすれ違ったが、トランシーバーやらを入れた作業着を装着していて登山者ではなかった。釣り人ではないか説。

 

うちらが最後の下山者か・・・。まあいい。着実に歩くんや。

 

10:30、電柱なぎ倒し現場。ここの地面の大きなえぐれが、道路復旧を大きく遅らせている要因か。これさえなかったら重機入れて土砂片付けてさっさと復旧できていたと思うが、電柱を根元からがっつり持って行ってる崩落の仕方なので、かなり厳しいようだ。

今度こそ我々歩行者も迂回路を通ることにする。足が痛すぎてへんなことする余裕が1ミリもない。

 

(><)迂回路に上がるだけで泣いてる(痛い)。両足の指先と親指側面、あと色々が痛い。指ダメージがすごいの、やっぱり純粋に登山靴の形が合ってないのではないか?? ご紹介が遅れましたがこちらが迂回路です。崩落現場の上を高巻きしています。上るのも下るのもめっちゃ痛い。オタケ氏もなかなか来ない。満身創痍すぎる。

 

振り返ってみたけど、どこに聖岳あるねんて思いました。無いのだ。遠すぎて視界の遥か外側にある。手前のよくわからん森と草むらしか見えない。私らほんと何処登ってたんですかね??? 幻のなつやすみ・魔界編でした。暑いし痛い。

 

白い岩、青い水、痛い足。最高の夏休みです。なつかしいおばあちゃんの家はありません。現実だけがある。ミンミンゼミが鳴いている。ごはん食べて温泉入って寝たい。うう。意識が乱れている。ザー(川の音)

 

10:55、芝沢ゲート駐車場に帰還。

 

( ´ ¬`) もうあかんかとおもたよ。かえってこれたね。よかたね。

 

かたことになるわ。イタタ。

いたい。

 

足の指やら裏やら膝やら、痛い、なにこれまじで痛い、

足の痛み、筋肉痛はこの日の晩をピークに、翌日午前中まで続きました。その後はスッと引いていった。この時点ではアホのように痛いです。あほです。

 

車に着くや、ザックを下ろし、登山靴を解除し、速やかにクロックスに履き替えます。あだだ。いたい。しかし真夏は、大量の汗でびちゃびちゃになったシャツとズボンがすぐ乾くのが救いですね。冷えないのは快適でいいです。痛い。あそういえば日焼けも普通で痛くない。足のダメージ以外はすこぶるバランスのいい登山でしたね。いいのかわるいのか。

 

 

■下山後、道の駅~「食楽工房 元家」、かじかの湯

発狂してるので「飯食わせえ」「飯やあああ」と、よくわからなくなっています。とちかんがない、電波がない、理性がない、3ないヘレンケラー状態で、何処に行けば良いのか分からへん。道の駅があると聞いて、とりあえずそこいこ、いこやと、行きます。行くしかない。しぬから。

隘路、急カーブ・つづら折り、厳しい道です。山が終わったら今度は車道がきつい。なんかもう分からんけどナビの言うとおりにハンドルをきります。なんか見たことない道を走ってないか。いや見たような。見てないような。どうもルートが往路と少し違うようだ。メシ。メシ食わせえ。

 

12:15頃、「道の駅 遠山郷」に着。

ここに飯があるんや。。。買い食いするんや。。何か食うんや。。。いや熊が出てますやんか。食われるのは私か。おのれ。

道路情報、行った後に確認するやつ(私)。

「かつら沢橋」ってあの遊歩道の途中でハシゴと仮の橋でむりやり繋いでいた部分か。本来は普通に橋があったんだな。

ブッポウソウって草みたいな名前の鳥ですね。絶滅危惧IB類(EN)。日本には夏鳥として飛来。冬は東南アジアに飛んでいく。

道の駅に隣接する「かぐらの湯」、これが芝沢ゲート駐車場などで巨大看板で宣伝していた温泉だが、初日の記事で紹介したとおり、湯を汲み出すポンプ装置が源泉に落ちて取り出せなくなったので復旧のめどがたっておりません。

tohyamago.com

あかん、湯に入られへん。まあ空腹と脱水でヘロッヘロになっている状態で湯に浸かったら病院送りになるから、まず食わんと。

 

( ´ - ` ) 駐車場のはるか向こう側に、飯屋っぽいのがあります。いくぞ。

 

( ´ - ` )???虎????

 

 

( ´ - ` ) 虎の巣・尼崎市に飛ばされたようです。おかしいな。長野県飯田市にいたはずなのに、おかしい。「遠山郷のジビエ料理 食楽工房 元家」さんです。阪神ファンのようです。そらそうやな。

目がハートになった。

ジビエが売りですが普通にカツ・肉系の定食が豊富。白ご飯と味噌汁がセルフ対応になっており、学生食堂のような気楽さでボリューム大。ああっ。うまいうまい。肉。うまいうまい。うぎゃああああ。肉と白飯が体内を駆け巡ります。くおお。ぬああ。ふうう。

たかだか2~3日山歩きしただけでこのざまですから、戦時中に長期間戦地で兵隊さんは一体どういう精神と肉体をしていたのか・・・合掌。

 

( ´ ¬`)ノ 水。

 

なんぼ水を飲んでも水がほしい。ばかな。下山中は飲水にセーブにセーブを重ねてきたが、実はめちゃくちゃ渇水していたらしい。ばかな。聞いてないぞ。水。水。

 

「かぐらの湯」がだめなら何処に行こうか、となると、ないねん。近くにない。

なんでや。無いものはない。困ったです。汗と汗と汗でどろどろなんすよ。清めたい。

 

天竜川をぐるっと山の中で橋を渡って回り込んだりなんかしたら湯がありました。結構すごいメインになる旅をしているはずなのだが、もうナビの言いなりで車を走らせているだけの機械と化している。ブウー。絶景だらけだったはずだが写真が1枚もない。

 

13:40、「かじかの湯」。わあい。一人600円で湯。安いし嬉しい。

 

kajikanoyu.com

 

( ´ ¬`) かいふくをした。

 

まだのどが渇いている。なんぼでも水が飲みたい。飲む。渇きが止まらない。

足の指がいたい。靴下無しでクロックス履いたら指が当たって痛い。なんやねんなこれ。なに。アクセル踏めるかなあ。ふむけど。

 

狂ったように暑い。太陽の強さがおかしい。山の中、芝沢ゲートまでの空気・日光と全く違う。おかしい。大阪とおなじぐらいかそれ以上に暑い。刺すように暑い。あかんこれ熱中症なるで。危険やで。しぬやで。

 

帰りの車で文学についてオタケ氏から教わる。「ある時期からの村上春樹は・・・劣化が酷すぎて読んでられん・・・」「今まだ春樹が良いとか言ってるの、もう毎年ノーベル賞の時期に騒いでる春樹ファンぐらいなんちゃうか」「こないだ『1Q84』とか『騎士団長殺し』とかを読んだんやけど、もう、中年の肥大した性欲っていうか、やれやれおじさんの歯止めの効かなくなった性欲だけを見せられて、気持ち悪くて読んでられへんかった」

 

 

かくして、我らの南アルプス・聖岳は、終わりを告げた。

 

そうして、我らはまたそれぞれの日常に回帰したのであった。

リセットされる私。

 

( ´ - ` ) 完。