nekoSLASH_記録編(日常・登山)

『nekoSLASH』分家。日常、登山、廃墟、珍スポットの記録集。

【旅】R5.8/14-15_①芦屋発、犬島経由、百島(アートベース百島)行き、

ある夏の旅の記録。岡山~広島・尾道を回る。

永遠のなつやすみ。

この旅は愉快で偏った3名(珍旅マスター小唄氏、写真家みっこはん、ジャンキーねこ私)で敢行した。私にはもう単独行をやる気力がないので、仲間の力が必要である。感謝をしろ。はい。

 

犬島精練所美術館、百島(ART BASE 百島)、尾道B級グルメ、倉敷美観地区、そして最終夜は岡山のどこかの果樹園にあるという防蛾灯をで〆る。というツアーを毎度お馴染み・珍旅師の小唄氏が組んでくれた。感謝の辞。きみがよのダブ素揚げを贈呈したい(お気持ちにとどめる)

 

全体像はこうだ。

A:芦屋、B:犬島、C:百島への港、D:向島の宿

移動距離がおかしい。海以外は車である。これがおぼんパワーである。おぼん帰省することで、一部の者は実家の車を借りられるというチート技を使うことができるのだ。使ってもらいました。

 

初手はまず犬島へ向かう。そこからは、あれだ、島と本州とを行ったり来たりする。

 

基本的に写真レポでお送りするが、最近の私の写真はわけがわからないので、映えがほしい方は美しいインスタと並べてご覧ください。

 

■芦屋発、牛窓経由、宝伝港へ

7:30芦屋で落ち合う。新快速が停まるのだ。政治力を感じます。旅は政治を振り切るために行われる。

「End of The World」(世界の終わり)と「World End」(世界の果て)から成るプレイリスト・by 小唄氏。12時間ぐらいあったのを刈り込んで9時間ぐらいにしたという。両者は似て非なるもので、全く異なる地点を指す、むしろ「世界」という生存空間の存続においては真逆なのだが(前者は世界そのものが終わる状況、後者は世界は存続していて物理的にか心理的なエッジに立っている状況)、もう作り手の側の想いがほとばしりすぎていてどっちもどっちに混在している。

また様々な「世界」と「End」があり、作者自身や登場人物の一人称的な心情や日常を指すもの、自分と大切な・愛するあなたとの関係=二人称的なところを指すもの、自己の外側にある世界、時空間や時代、人間の生きる地球的なところを指すもの、といった次元の差が見られるという。

2日間、ずっと世界の終わりと世界の果てについて聴き、話題にしていた。健康体で疑いようのない未来があるから「終わり」や「果て」に惹かれるのだろうか? 多くの者の語る「世界」や「終わり」や「果て」の無邪気さや拙さに真理とカオスの一端を感じずにはおれないからか? 車は尿意を乗せて岡山へ、瀬戸内海へ。

 

9:42、道の駅・一本松展望園。

みっこはんがもらしかねないので停車。11時の船・宝伝港発に間に合わせるために、ここではトイレ休憩のみ。暑い。「一本松美術市場」とは!?瀬戸内サザビーズ?骨董品かなあ。

コロナ禍に異様にマッチしたガチャ、体温計。この3年間では売れたかもしれませんね。

 

役所の分室のようなスペース感。デッドスペース多すぎるが、道の駅になる前、別の用途で使われていた? 

 

ロロン。伏字ではない。桃も売っていたがめちゃ高かった。1500円とか。ブルジョワの食べ物。

 

展望台から黒い田んぼが見え、それがソーラーパネルの群れだと気付いたときにおぞけが走った。緑が、国土が電気に食われていく。電気を使って電気を作っているのだ。

 

牛窓方面へと降りていく。「日本のエーゲ海」などとフジテレビ的なキャッチコピーが躍るが、ペンションがつぶれていたりキリストがあったり普通に良いローカル。

しばし走ると水没ペンション帯が見えてくる。そういう施設かと思ったらマジで水没して廃墟化していた。誰もが予期した計算外の事態であろう。

「鹿忍(かしの)グリーンファーム」という物件である。もう人気すぎて文春オンラインにすら記事がある。牛窓というリゾートで売りにしている場所にあるから「影」を体現していてショッキングなのだ。

bunshun.jp

 

見なせい、エナジーと災厄ずら。丘は黒いソーラーパネルが占拠している。定位置で固定されているのかズレてきているのかは素人では判別不能。日本の里山は電力源となりました。

牛窓のリゾートな表情が輝いていたのが海水浴場。急にトレンディドラマになるやん。私達はネクラなので参入しません。ブウー(車の快音

 

 

■宝伝港で船を待つ

10:15、宝伝港。犬島行きの船が11:00に出るまで待機。

と言っても本当に何もない。駐車場に停めたら自由行動だが日光浴かフナムシを数えるかぐらいしかすることがない。癒しだ。暑い。暑すぎて危ない。みんなあぶない。しかし真夏ハイでじっとしていられない。

 

フナムシも暑すぎて日陰に固まっている。これボーッとしてたらバルサンより危ないよな。さぼってるようで生きている。フナさんs(複数形)も必死なんだなと思いました。数えてるとキモくなってきた。かに見ましょうかに。

 

お盆はご先祖様の帰ってくる装置を用意しましょう。

 

 

■宝伝港~犬島へ

10:45頃、もうあらかた客が乗り込んでいて、今にも出港しそうになっていた。そして私達3名が乗り込むと、出港した。えっ早い。ナンデ?ハヤイ。お盆の臨時便だったらしい。

船の外側の座席で子供がキャッキャする中、波間を見つめ、風に揺れるカーテン

かくして犬島に10:55 着いた。これが犬島か。うむ、記憶がない。あれやな人の記憶なんてあやしくそして儚いものです。

 

犬島では犬ではなくアートと銅の精錬所をします。しました。ごっついたのしかったんや。これぞ夏やな。

www.hyperneko.com

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「F邸」のすぐ隣には神社があり、祭壇のような階段がしつらえてある。最近整備されたような新しい階段だ。名前も言われもあるような無いような神社。Google Map先生を見ると「山神社」とある。概念系か。

お世話になった超コンパクト便所。我ながら体形がスリムでよかった。極悪な暑さで便より汗の方が沢山出てよけい痩せた気がする。

 

■宝伝へ戻る、常石港へまっしぐら

13:10くらいの船に乗って13:20くらいに宝伝港に戻る。次の百島(ももじま)への船がギリギリなので昼飯抜きで動き続ける。だが蟹がいるのだ。蟹を見よう。よく見ると死を招く大鋏のシオマネキ。2㎝程度と意外に小さい。テレビで紹介されるときアップにしすぎるから掌ぐらいのサイズを期待してしまうんよな。

駐車場と船着き場の間は、シオマネキ楽園、かに道楽。

めちゃくちゃに殺人的に熱いクルマに乗り込んで、福山の常石港を目指して、ひた走る。世界の終わり・世界の果てを詠わせ続ける。ゴーゴー。船に間に合え。めし抜き、ドデカミンをあおって、ゴーゴー世界の終わり。ゴーゴー世界の果て。どっちや。どっちもやるんや。山陽は大らかに全てを許す。

15:20過ぎ、常石港。小唄氏の安全かつ素早い運転で船に間に合う。スゴイ。

巨大船を作る工場は1stガンダム製造現場のようで熱かった。巨大で機能的であることは理性を超えた理をこちらへぶっこんでくる。それこそSFと近代のパワーである。スゴイ。港の駐車場も工場に囲まれ、ハードSFみがある。

 

 

■百島、「ART BASE 百島」へ

15:40、百島(ももじま)。

着いたはいいけど一切の売店がない。軽食を出す店もこの時間ではほとんど売り切れだという。飢えたまま島タイムに突入する。島時間でハイになっていたので飢えを忘れていたが、徐々に脳内麻薬も切れてきた。へんな農家道みたいなところを上がっていたら疲労を感じた。のど飴で飢えを紛らわすという持久戦をやる。飴ポーション。

 

ここでは「ART BASE 百島」という、元・中学校校舎を用いたアートセンターがある。今回の旅の目玉でもある。鑑賞レポはまた別途やります。追い付いていないのだ。くくく(泣く

artbasemomoshima.jp

なぜか施設の裏側に回り込んで来てしまったので体力を余分に消耗した。全部太陽のせいだ。

内部、特に教室は学校色をかなり消し去っていて、見事にギャラリー空間へ転じていた。廃校のレトロみを頼みとせず手放しているのは見事だった。

 

黒ごまアイスをかっ喰らって少しは回復したか。いや疲労が溜まっていく。

島内でもう一ヵ所だけアート「日章館」を見て、急いで港へ帰る。船がくるんや。間に合わないと餓死する。どこもかしこもソーラーパネル。民主党が、民主党が、ばらまいたんや。ねこは泣きぢゃくりましたとさ。

 

17:20過ぎ、船が着いて乗り込む。17:30、船が出る。ミズクラゲが次々にやって来る。そうだ。クラゲが来たらボンなのだ。夏が、終わろうとしているのだ。夏は儚い。雄大で、強くて、そして儚い。

 

■満越港、厳島神社と鳥居、そして常石港へ戻り

17:37、満島港(みちごえこう)に着く。行きと帰りで港が違うのは船便の都合です。車を停めた常石港にストレートに戻れないため、約5.6㎞を何とかしないといけない。徒歩だと1時間かかるが車は12分。タクシーを呼びつける策である。

船を降りる時に海岸沿いで見えたものがあった。海に迫り出した朱塗りの鳥居と、祭りしているらしき様子。歩いて行ってみることに。名も知らぬ街の小さな鳥居と祭りに誘われて飛び込む。後で知ったがこの尾道市浦崎町のあたりは「(伊勢)神楽」が盛んで、8つの団体が活動しているという。何か陽の呪力に引き寄せられたのかも知れない。

祭りは準備中で、翌日にやるという。片付けているのかやろうとしているのかが分からなくて、時の流れの澱みの中に居るように感じた。祭りという時の燃焼・炸裂点に向かって1年という流れが織り上げられているのだろうが、その間際にあっては空白のような踊り場もある。

海にはまさにリトル厳島神社。後に車に乗せてくれた地元の方によれば、特に宮島の厳島神社の分社などではないということだが、確かに神社の由来を見ると産土神を祭っていたり、海上の鳥居が建てられたのは1977年だったりする。

 

18時すぎ。

結局、タクシーはどこも捕まらず、祭りの準備をしていた地元の方に助けられ、常石港まで車で送っていただいた。感謝申し上げます。もうしあげ。あげ。歩いていたら確実に途中でアウトだった。何かがおかしい、判断が何歩か遅れてズレてやってくる。犬島で脳を暖め過ぎたらしい。水分はかなり摂っていたのに。太陽がまぶしい。

車は宿のある向島へ。

 

つづく。

 

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